21話
(今、ジュリアって……)
まるで喋り方を忘れてしまったかのように、そのまま暫く口をパクパクとさせるだけで何も言えなかった。けれど、
「……私のことなど、もう口も聞きたくないくらいに嫌いになってしまったかな」
静かに涙を流すヴァレリオ様に悲しそうにそう言われて、黙っていられるほどのものではなくて。
「な、何の話ですか。確かに本当は喋れました。それに関しては黙ってて申し訳ないですけど、ジュリアさんではありません。……何より彼女はまだ生きていらっしゃるではありませんか」
前世の記憶を持つ主人公の正体が前世の知人にバレる。物語ではよくあるシーンだけど、それは前世の自分が死んでいるからこそ発生しうる展開だ。でも私の場合は、ジュリア・ザハがちゃんと生きている。そう。だから大丈夫。きっと隠し通せる──。
「そうだね。ジュリアは生きている。けれど君は──私が見殺しにしたジュリアじゃないのか?」
「違いますっ!!」
無理だった。思わず声を張り上げてしまった。最初は、もう一度ヴァレリオ様と会えたら、すぐに正体を明かしたいと思っていた。けれど実際に会えて、まだジュリアが生きていて、邪魔をしてしまったのだと知ったら合わせる顔がなかった。
……でも見殺しにしたなんてことを言われては、隠すとか合わせる顔がないとか全部吹き飛んで、否定せずにはいられなかった。
「……私が、勝手に死んだんです」
自分の正体を決定づけるのは想像よりずっと緊張して、声が震えてしまう。反応が怖くてヴァレリオ様の顔を見ることが出来なかったが、うつ向いていた私にかけられた彼の声も震えていた。
「触れても、いいかな」
小さくコクリと頷いた瞬間──強く、強く抱きしめられる。
「ジュリア……!」
存在を確かめるかのようで、二度と離さないとでもいうかのような力強い抱擁は痛いくらいで、肺が圧迫されて正直息苦しかったけれど……二十一年ぶりの温もりに、窒息死してもいいと本気で思ったから黙ってその背中に腕を回した。
「すまない……っ。君が転生して幸せになっている可能性を考えていなかった。ただ会いたくて……やり直して、今度こそジュリアと結ばれたいと……」
「ヴァレリオ様が謝る必要など何もありません。元はと言えば私が悪いので……」
罪悪感からおずおずとそう言えば、彼の大きな手が私の後頭部を優しく撫でて。
「何があったか、聞かせてくれる?」
そうして私達は、きっと同じ長さではない空白の期間を埋めるように話をした。
テーブルでお茶でも──私は持参したスティックコーヒーを──飲みながらお話しましょうかと提案したが、それではくっつけないと言われてしまい、二人以上並んで座れるソファはこの部屋に無いのでベッドサイドに並んで座っている。至近距離からの彼の熱視線を感じて、恥ずかしさから視線を膝の上に置いた手に向けながら話を始めた。
「まずナナセっていうのは、苗字なんです。今でも名前はジュリアで」
「今もジュリアなんだ。それは凄いね」
日本において転生は完全にフィクションだったけれど、この世界ではかなり稀だが前世の記憶を受け継ぐことがある。それでも名前が同じことはまず無いといっていいから、母には実は何かしらの能力があるのだろうか……なんて。
「死んだ後、気がついたら赤子になっていたんです。視界はハッキリとしていませんでしたが、聞こえてくる言葉や音からこことは違う世界なのだとわかりました。ジュリア・ザハとしての記憶はしっかりあって、ジュリアとしての意識は抜けないまま生きていました。それでも家族がいて友達がいて、魔法はないし竜もいない世界だったけれど……それなりに幸せでした」
それなりに幸せという言葉に、どういう意味で反応したのかは分からないけれど、腰に回された手に少し力が入った。
「でも、どうしてもヴァレリオ様と結ばれたかったという未練があって……魔法陣を作ったんです。その、女神様に私こそがヴァレリオ様の番に相応しいので番にして下さいって『布教』……熱願する魔法と、ヴァレリオ様が番召喚をした際自分が召喚されるようにする魔法を」
この魔法陣の話は、ジュリアはさておき乃亜くんにする時も大分羞恥心でいっぱいになったが、本人に対してだと尚更恥ずかしい。……ので、返事をする時間を与えないよう話を続ける。
「とはいえそれは、あの時こう出来ればという考えから作ったもので、そもそもヴァレリオ様がもう一度番召喚をすることはないから、無意味なものだと思っていたんです。けど……」
「私が時を戻して、もう一度番召喚をしたから、それが発動したんだね」
その問いかけに頷いた。それからここ数日考えていたことをこの際だから彼に尋ねてみる。
「……あの、もしもう一度時を戻すことが可能なら、その魔法陣を使えば次こそはこの世界のジュリア・ザハを番に出来ますが、どのくらいの負担があるのでしょうか」
番召喚の儀の前に戻り、対象を私からジュリアに変えて魔法陣を発動させる。そうすれば今度こそ正真正銘ジュリア・ザハがヴァレリオ様の番になれるのだ。……ただ、時を戻すための試練とやらがキツすぎてもう二度と御免だと仰るなら、やはり別の方法を試すしかない。
「時を戻すこと自体は、私にとってそこまで負担ではないよ。……けれど」
ふとヴァレリオ様の手が私の顎に添えられたかと思うと、彼の方へと顔を向かせられる。金色の瞳が切なげに細められていて心臓がドキリと跳ねた。
「……君は?」
「え?」
「君はもう、私のことなど好きではなくなってしまった? 好きな人がいると頷いていたし」
な、な、なんてことを聞くの……! その質問は本当に予想外で、私は瞬きを不自然なまでに繰り返して言葉を探した。
「わ、私の気持ちなんか、関係ないじゃないですか」
「そんなことはないよ」
「関係ないです! 私はジュリア・ザハじゃなくて、ナナセジュリアなんです!」
このやりとり最近ジュリアともしたばかりだな、なんて頭の片隅で考えながらも必死に反論するが。
「それでも関係ある。だって、私が愛して、悲しませて、みすみす死なせてしまって──また取り戻したいと願ったのは、間違いなく君だから」
そんな、そんなことを言われてしまったら。
「す、好きですよ。そりゃ、今でも……あの時の問いかけも、好きな人はヴァレリオ様ですってつもりで……」
好きだという気持ちは伝えたくなってしまって、躊躇いながらも白状した。すると彼の表情がぱあっという効果音がつきそうな程に明るくなったから、慌てて言葉を繋げる。
「……でも! 私、もう日本人なんです。体質も価値観も変わりました。 この世界の食べ物や飲み物、何もかも味がしないし」
「君が美味しいと思えるものを必ず作るよ」
「この間私が薄手のワンピースを着ていたらビックリしていらっしゃいましたけれど、あれくらい日本では普通だし」
「確かに驚きはしたが、可愛いかったし似合っていた」
「……ジュリアだった頃とは、性格も違う」
「それでも君は今でも私が愛したジュリアだよ。そういう自分のことは二の次で頑固なところも変わっていない」
「じゃあこの世界のジュリアはどうするんですか。二股ですか? 私のいる世界では二股は許されざる行為なんですよ……!」
それまで澱みなく反論してきたヴァレリオ様の口がピタリと止まった。勝利を確信……とまではいかずとも、勝ち筋が見えてきている。って別に戦っている訳では無いのだけれど、あまりにも言い合いが続いたからつい。
「……私からすると二人は同一人物なんだけど、駄目かな」
「駄目に決まっています。この世界でだってそんな前例ありませんし、第一、番である私がいたらこっちのジュリアには触れられないじゃないですか」
番の願いということで触れる、みたいなすり抜け方はあるかもしれないけれど……一旦それは黙っておく。ヴァレリオ様にはその発想は無いのか、或いは非道な方法だと思って口にしないだけか、困ったように眉を下げた。
「……そんな捨てられた子犬みたいな目で見られましても」
「だって愛する人が二人に増えたと知って、どちらかを選ぶなんてこと……私には出来ない」
顎に添えられていた手が頬を撫で、髪を耳にするりとかけられる。そんな何気ない仕草にさえキュンとしてしまって、温もりが惜しくなる前に離れなければ、離れられなくなると息を吐いた。
「じゃあ私が選びます。この世界のジュリア・ザハと、結ばれてください。それだけが私の未練です」
ジュリアだった頃はすぐに強がりを看破されたけれど、精神年齢と乖離した幼少期に培った演技力によって今なら──という思いも虚しく。ヴァレリオ様は全く信じていないような顔で笑っていた。
「ジュリアは、私に嘘は通用しないってことを忘れてしまったのかな」
「ほ、本心ですから。っそれより私もききたいことがあります!」
こうなっては話を変える他ない。気になっていたことがあったのは事実で、無理矢理話題を変える。
「そもそも、なんで私がジュリアだと分かったんですか?」
「それは……申し訳ないが、ラウラの名を聞いて以降君のことを疑っていて、この世界のジュリアと君達の会話を聞かせてもらっていたんだ」
「ああ、成程……それは怪しかった私が悪いので、お気になさらないで下さいといいますか、寧ろこちらこそ怪しくてすみません」
もしかしたら黒竜の手先かもしれない──その上本来の番だった者を知っているかもしれない──奴が、ジュリアとやたら仲良くしていたらそりゃ警戒もするだろう。イムレがジュリアを攫いに来たのかと考えたかもしれない。だから端的に言えば盗聴されていたということだが、それは仕方ないと思った。
「それから、消えて貰った意味がないって仰ってましたけど、誰の事だったんですか?」
「っ、」
「私てっきり、それがラウラ様だと思っていたのですが……」
そう尋ねると、ヴァレリオ様は目を開いて暫く固まってしまった。言いづらいのであれば無理にとは……と言ってあげたいところだが、流石に知りたい。番召喚で番が現れないように消えて貰った、というのがラウラ様でなければ誰だというのか。
するりと頬から滑り落ちた彼の手を追いかけてギュッと握れば、
「……大事なことを口に出す迂闊なところ、私達は似た者同士だね」
そう言ってヴァレリオ様は観念したように苦笑した。
「聞いていて楽しい話ではないと思うけれど……」
「ヴァレリオ様が話すのが辛くなければ、聞かせて頂きたいです」
「それなら……出来れば嫌わないでくれると嬉しいな。自分でも最低な奴だと思っているんだ」




