16話
完全に納得したわけではないと言いたげな表情を隠さなかったジュリアと話し合った結果、全く以て言葉が理解出来ないのでは余りに不便なので、聞き取りだけ魔法で出来るようになったことにした。万が一ジュリアが魔法士達からどんな魔法陣を作ったのか聞かれた時の為、以前外国語の小説を読みたくて考案した魔法陣をベースにしたものを用意しておいたが、実際に言葉を理解しはいといいえの返事がジェスチャーで出来るようになった私を見て疑う者はいなかったようだ。
そんな訳で彼女と話した翌日の昼下がり。ヴァレリオ様から呼び出されて応接室へとやって来た。ローテーブルを挟んで二つある長いソファの一方にヴァレリオ様が座っており、案内されるままジュリアと共にもう一方のソファへ座る。ヴァレリオ様の背後には彼の秘書のようなポジションのカスパリ、それから護衛のジェーノとルドからなる側近の三人が立ち並び、室内には他にも番の護衛やメイドなどが控えていた。ジュリア・ザハだった頃沢山の時間を共にした良く知る面々だが、余所者として相対すると中々に威圧感がある。
一体何の話をされるのかと緊張していたが、蓋を開けてみればこの世界についてやヴァレリオ様の立場について等々の説明だった。まぁつまり当然ながら殆ど知っている事だったが。
「──という訳ですから、私共と致しましては、ナナセ様にはこの世界に留まって頂きたいのですが……」
「いや待て、それはお前達の希望だろう。私はずっとナナセを元の世界に帰してあげたいと言っているじゃないか」
総意として話を纏めたカスパリに、ヴァレリオ様が鋭い視線を送る。その後呆れたようにため息をついて、今度は私の方を見つめて問いかけた。
「ナナセは元の世界に帰りたいんだよね?」
はいといいえの首の振り方は、ティルナノーグも日本も同じである。私がその問いに迷わず頷くと、カスパリが困ったように肩を落とした。
「殿下もナナセ様もそう仰らないで下さい。ここでの暮らしも必ずやお気に召して頂けると思いますので、ご決断はもう少々お待ち願いたい」
「ジュリアの前で、よくそんな事を言えるな」
「殿下が番と添い遂げる為であれば、私は喜んで悪人になりましょう」
「……ああそうだ。お前達がそういう考え方なのは、嫌という程分かっているよ」
……ヴァレリオ様のカスパリへの当たりが強い。気のせいとかいうレベルではなく強い。もしかして……前世の私が死んだあの日、襲撃に来た黒竜に私がヴァレリオ様の番であると誤認させたままにしようとした時の事を根に持っているのだろうか。あれはそもそも私がそのつもりでやったことだし、全く気にしていないのだけれど……。
「ヴァレリオ様、わたくしは気にしておりませんから……」
心を読んだ? と思うくらいのタイミングで、ジュリアがヴァレリオ様へそう声をかけた。それに彼は苦しそうな表情を一瞬浮かべる。
「──兎に角、私はナナセを留まらせる為の説得をしたかった訳じゃない。こんなことに巻き込んだ謝罪をしたいんだ」
そう言ってヴァレリオ様が私を申し訳なさそうに見つめる。元はと言えば自ら巻き込まれにいったというか、そもそも私が巻き込んだ側なので寧ろ謝るのはこちらの方である。けれどそんな事情を話す訳にもいかず、首を左右に緩く振るだけしか出来なかった。そんな私をジュリアがフォローしてくれる。
「謝らなくていいと仰りたいのですね?」
それに大袈裟なくらいぶんぶんと縦に首を振れば、苦笑した彼の表情から罪悪感のようなものが少し抜けたような気がした。
「ナナセが必要ないというならこれはただの自己満足になるんだけれど……それでも、すまなかった」
私の死後彼が何年生きたのか分からないけれど……こういう誠実なところは変わっていない。意味が無いと分かっていても、こちらこそ本当にすみません、と心の中で返す。
「それにしても……召喚したばっかりの時からずっとナナセはジュリアにべったりだけれど、随分と懐いているね」
「もしかすると元の世界の親しい方に、わたくしと似たような方がいらっしゃるのかもしれませんね」
「成程」
その後、宮殿内や庭園などを案内して下さることになり、自由に行動していいところや暇つぶしになりそうな場所を教えて頂いた。
「他に何か話しておかなければならないことはあったかな」
「では後は私にお任せください」
カスパリがそう言って一歩前に出ると、露骨に嫌そうな顔をしたヴァレリオ様。
「任せたくないんだが……」
「そう警戒なさらないで下さい。まだ番召喚以降、殿下とジュリア様お二人でお話する時間をとれていないのでは? と考えた次第です」
「意外だな。お前からそんな事を言うとは」
「私も黒竜ではございませんからね」
この場合の黒竜は、日本で言うところの鬼が近いニュアンスだろうか。非道とか恐ろしいものの例えとして使われている。ヴァレリオ様は暫く考え込んだ後、小さく息を吐いて頷いた。
「そういうことなら少しの間お願いしようか。だがくれぐれも変なことを吹き込むなよ。それから決して二人きりにはなるな」
「おや、何だかんだ言いながらも確かに番として認識しておいでなのですね」
「……違う。知らない世界で知らない男と二人きりなど、怖いだろうと思っただけだ」
いくら番とはいえ、ヴァレリオ様が私に独占欲のようなものを抱くとは思えない。もし微かにあったとしても、それは抗えない本能によるもので、彼の言う通りただの気遣いで、カスパリの期待とは違うだろう。
ジュリアとヴァレリオ様にルドが続きどこかへ行くのをぼんやりと眺めていると、座って話をしようと提案され応接室へと戻った。
私は先程と同じ席に座り、カスパリは正面……つまりヴァレリオ様が座っていた場所に腰掛けた。
「さて、ナナセ様。先ほども申し上げました通り、私共としましては貴女にこの世界に留まって頂きたいのです。殿下はああ言っておいででしたが、竜族にとって番というのは本当に……本当に大事な存在なのです。出会っておいて手放すなど、自らの首を絞めるようなもの。現に殿下は衝動を堪えるように、ずっと手を握りしめていらした」
カスパリはヴァレリオ様への忠誠心が高い。というかこの世界では、人は竜を敬い、竜はより強い竜を敬う。だから彼がヴァレリオ様に忠誠を捧げているのは自然な事だけれど……それにしたって彼は凄い。
本当はカスパリに協力して貰えれば助かるのだが──というのも、彼は魔法陣を創ることにおいて右に出るものは居ないほどの天才だ。本来竜は神力とイメージで魔法を使うから魔法陣を必要としないのだが、彼はイメージというのが苦手らしく、魔法陣できっちり設計する方が性に合うのだとかなんとか。……物語にいれば確実に眼鏡をかけているようなインテリキャラだろうが、魔法で視力をどうにか出来るこの世界に眼鏡をかけている者はいない。
まぁそんな訳で必要な魔法陣も、彼の助けがあればもっと早く完成するのだろうが……その為にはまず彼の考えを変えなければならない。
「私はまだ番には出会っていないのですがね。そこにおりますジェーノには番がいますよ」
見た目も中身も大人びているので千歳を超えていると言われても違和感がないカスパリだが、ヴァレリオ様より一つ歳下で今現在十七歳である。だから彼の番召喚は来年だ。
一方護衛のジェーノは正確には覚えていないが八百……何十歳だった筈。彼には竜族の番がいて、惚気話を時々聞かせてもらったものだ。
「番を別の世界に送るなど考えられません。想像しただけで……」
言葉の通り一旦想像してみたのか、青い顔で苦しそうに胸元を押さえたジェーノ。考えただけでこれなのだから余程だろう。
それでも私は帰りたい。帰らなければ、きっとまたヴァレリオ様が時間を戻すだけだ。如何せん時間を戻すのに神から課せられるという試練が不明なので、果たしてどれ程の負担があるのか分からないが……出来ることなら今回で終わらせてあげたい。
私はヴァレリオ様にはジュリアがいるだろうという意味を込めて、彼女が先程座っていた場所をポンポンと叩いた。なんとか言いたいことが伝わったようで、カスパリは苦笑いを浮かべた。
「ジュリア様でしたら、きっとご理解いただけるかと。お辛いとは思いますが、ジュリア様は殿下を苦しめるような事をなさる方ではありませんから」
……買いかぶりです。実際はめちゃめちゃ苦しめました。なんて言える訳もなく、私も苦笑する。
「それに、エドアルド様も既に通常であれば寿命を迎えていておかしくない御年齢でいらっしゃいますから……エドアルド様の結界がなければ、ティルナノーグには黒竜が攻めてくるでしょう。そのような理由もあって、私共はそう簡単に諦める訳にはいかないのです」
一年後には現実となる話に、何とも反応出来ずにただただ手を握りしめる。それに気づいたのか、カスパリは少し申し訳なさそうに眉を八の字にした。
「勿論いきなり召喚されただけの貴女には関係ない事でしょう。帰りたいという願いも尤もでございます。けれども範囲をティルナノーグのみに指定しているにも関わらず、異世界にいた貴女が召喚されたこともきっと神のお導き。元の世界よりティルナノーグの方が良いと思っていただけるよう善処致しますので、もう暫くお待ち頂きたい」
そう言って深深と頭を下げられては、それでも帰りますと即答出来ず。やはり私のような番では不適切だと考え直して貰う他ないのかもしれない。
思いつきのままにまずは無理難題でも吹っかけてみようかと、スマホをローテーブルの上に出した。
「こちらの板は? おお、再現画のようなものですか?」
再現画とは写真のようなものであるが、再現画の場合は記憶から画像として出すことも出来る。
私は写真をスライドしながら彼に見せてみた。カスパリも興味深そうに眺めている。
「な、なんですかこのキモ、ごほんエキセントリックな食べ物は……これが食べたいのですか? おお……いえ、ナナセ様の為……ひいては殿下の為に必ずや用意してみせましょう!」
かぐや姫の話においても、無理難題を吹っかけられ諦めて帰ったものとそれでも諦められずに挑んだものがいた。当然予想のついたことだが、彼は後者だったようだ。
とはいえいくら魔法があろうと味も材料も分からずにこのストロベリーミルクタピオカのクリームとチョコレートソースとチョコスプレートッピングが作れる筈がない。こういうのを積み重ねて言って、諦めてもらえればいいのだが……。
他にも再現の難しそうなものを見せようとして、テーブル越しではやりづらいなと彼の隣に座り直そうとすれば、カスパリは勢いよくソファから飛び降りた。
「な、ナナセ様、近づき過ぎでございますっ!」
『え?』
別に真横に座ろうとした訳では無い。電車ならば間に一人は余裕で座れるだろうくらいには離れたつもりだったが、言われてみれば確かにこちらの世界基準ではそれでも近かったかもしれない。
「殿下の番としての自覚をお持ち頂かなければ……」
ブツブツと呟くカスパリを見て、ふいに見切りをつけられ追い出されるための今後の方向性が浮かんだ。
暴力は心が痛むし、怠惰は許されそうだし、我儘は叶えられてしまうかもしれない。けれど常識が異なるが故の問題なら──そう、例えばこの世界ならオフショルダーのトップスに膝上のスカートくらいの格好でも露出し過ぎであるから、そういったことで王子の番には不適切だと判断してもらえるかもしれない。それなら多少は精神的にもやりやすいし。
そうと決まれば乃亜くんに、夏服を送ってもらわなければ。
ついでに逃げるカスパリに詰め寄って手を握り『いいこと思いついた。ありがとう!』と日本語で言えば彼はヒィ! と叫び声を上げた。




