12話
私が日本に転生する時にこの世界と時間がズレたとか、ここに転移する時に過去に来てしまったとか、そういう予想はただの現実逃避だった。過去は記憶の中にしかなく、未来は想像の中にしかない。時の流れはただ一つ、現在だけなのだから。
今が私の死んだ時よりも前なのだとしたら、それは時間が過去に巻き戻ったという事。そして恐らく、ラウラ様の事を知っているヴァレリオ様こそが時間を戻した張本人だろう。
ヴァレリオ様を忘れたことなどなかったけれど、現世で同じように転生した彼に会えたなら結ばれたいと、ある意味では私は前を向いていた。でもヴァレリオ様は未だに……前世の私の死に囚われていたんだ。時間を戻すのには膨大な力が要り、その上時を司る神様から無理難題な試練を課せられるというから、そこまでしてでも諦められなかった彼の想いをあろうことか私はこんな形で邪魔してしまったのか。
動揺を誤魔化すように握りこんだ爪で手のひらに痛みを与える。それでもバクバクと高鳴る心臓が五月蠅い。
そんな時、ふいに彼の手がゆっくりとこちらに伸ばされて。最後にヴァレリオ様が触れてくれたのは、番召喚の儀の前だったななんてことをどこか他人事のように考えていた時。
『──どうか拒絶して』
切実な声に、考えるより先に身体が動いてバッと一歩後ずさる。言葉を理解していると疑われるかと思ったが、知らない相手から触られないよう振舞うのはさほど不自然な事ではなかったようだ。彼のその手はたった一歩の距離を追いかけてくることは無く、重力に従うようにおろされた。
『……それでいい。番の嫌がることはしないから』
その一言で彼の思惑を察する。番の傍にいたい、番に触れたいと思うのは竜族の本能で、それを抑えるにはそれらを上回る「番を大事にしたい」という理性かつ本能を利用するのが一番だ。……まぁ、かつての私の意見を殆ど無視した黒竜の長みたいな竜もいるけれど。少なくとも白竜は番の意思を大切にしようとする。だから今後ヴァレリオ様が積極的に私に触れてくることはないだろう。
そうまでしてジュリアへの想いを貫こうとしてくれているのだ。……番召喚を妨害する魔方陣で彼の計画を邪魔してしまった私に出来る償いは、このまま穏便に日本に帰ることくらいである。
「 目、 鼻、 口 」
帰郷への決意を新たにしていると、ヴァレリオ様が自分の目や鼻を指しながらそんなことを言い出す。なんだろう? と首をかしげると、他の物も指差して。
「 ドア、ソファ……ヴァレリオ」
自分を示してそう言い、最後に私に指を向けてきて、名前を聞かれているのだと察する。ここまでしてもらってまさか実は言葉を理解しているなどとは、絶対に知られる訳にはいかない。
「えーと……七瀬です」
ジュリアは既にここにいる上に、自分で言うのもなんだが彼にとって大事な存在だから同じ名はまずいだろうととっさに苗字を告げた。
「エート・ナナセデス?」
「うっ」
凄くセンチメンタルな気分になっていたのに、ヴァレリオ様のその返答に思わず吹き出しそうになったのを喉で堪える。ちょっと和んでしまいつつも訂正した。
「ナナセ!」
「ナナセ?」
「そうです!」
思わずサムズアップをするが、この世界ではOKやGOODを意味するポーズはこんなのでは無かった。どちらかと言えば影絵の狐に近い形である。かといってそれをすれば異世界人なのに何故、と疑念を抱かせるかもしれない。そう考えて何とも形容しがたい微妙な形のまま固まっていると優しい声がかけられる。
『ナナセか。……本当に、新しい番がナナセでまだ良かった』
それはきっと私が異世界人だから、番を諦めることを周囲に受け入れて貰いやすいとか。当然のように愛し合う竜ではなく、竜の番に選ばれることは誉であると考えるティルナノーグの人間でもないからとか。そういうことだろう。
にもかかわらず、良かったという言葉に少し嬉しいと思ってしまう単純な自分がいたり、まだ、という言葉に罪悪感にさいなまれる自分がいたりしたから。
続けられた言葉を、無表情で受け止めるだけの余裕はなかった。
『でなければ、あいつに消えて貰った意味がない』
──あいつに消えて貰った? あいつって誰? 消えて貰ったって死んだってこと? ……まさか。
召喚された私を見て驚いていたヴァレリオ様の言葉を思い出す。『そんな筈は』と確かにそう言っていた。かつてと同じようにジュリアを番と思っていたから、番が現れて驚いたのだと判断したけれど。彼が私と同じ記憶を持つなら、ジュリアが番じゃなかったことに今更驚く筈がない。かといってラウラ様じゃないことに驚いただけなら、あいつに消えて貰ったって何?
それらを統合して判断すると、そんな筈、が意味するのは──ラウラ様は死んだ筈なのに、何故別の番が召喚されたのか、ということ?
いやいやいやいや。そんな訳ない。ラウラ様はこの時幼い少女だったのだ。そんな女の子を、ヴァレリオ様が手にかけるとは思えない。思いたくない。私の死を受け入れられずに力を得て試練を乗り越え時間を戻せたとしても、幼気で罪の無い少女を殺す事の出来る彼ではない筈だ。
……なら、もしかするとラウラ様が産まれる前まで戻り、何らかの方法でそもそも産まれないようにした……とか? しかし産まれる筈だった番が産まれなかった場合、別の誰かが代わりに番に選ばれる可能性を否定出来ないから確実ではないから、別の番が登場してもそこまで驚くとは思えない。
『必ずナナセを元の世界に帰してあげるから』
心を落ち着かせるような柔らかい彼の笑顔にも、ひきつったような笑みしか返せなかった。
ヴァレリオ様が去り再び一人になった部屋で、その場に座り込む。
私のせいで、優しかったヴァレリオ様の手を汚させてしまったのだろうか。彼が深く悲しむことなんて分かっていたのに。自らの命を軽く見てこんな結果を招いてしまった。自己犠牲と言えば聞こえはいいが、私がしたことはただの、自己満足だった。いや、自己愛といった方が正しいか。
物語の中で、ヒロインが「私には権利がない」と嘆くシーンがある。読みながらもそれを決めるのは貴女じゃなくない? とツッコミをいれていたけれど。
先に死んで悲しませた。彼の手を汚させた。計画を邪魔した。
……こんな私がどうして、ヴァレリオ様と結ばれることを願えるだろうか。
そんな権利はきっと、私にはないのだ。




