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第六章 アンドロイドは洋上都市リオリスの潮風に舞い上がる

第6章 アンドロイドは洋上都市リオリスの潮風に舞い上がる


『ご乗客の皆様にお知らせいたします。現在高度約140キロメートル。本シャトルは20分後、高度7000メートル地点より、フィグラーレ地上へ向けた最終降下シークエンスへと移行いたします』


『それより先、主軌道レールは6本の『らせん状軌道』へと展開し、当便は西回りの降下ルートへと進入いたします。この巨大ならせん構造により、シャトルを緩やかに減速させると同時に、車内の人工重力を現在の0.85Gから、惑星フィグラーレの自然重力である1.05Gへと徐々に順応させてまいります。次第にお足元が重く感じられる場合がございますので、車内を移動される際は十分にご注意ください』


『本便の終着点である『洋上都市リオリス』は、軌道主軸を中心として直径数十キロに及ぶ正六角形に配置された、6つの独立した巨大洋上都市群の総称です。当シャトルは、そのうちの『西リオリス』ターミナルへと到着いたします』


『間もなく窓の外には、上空から見下ろす6つの都市群――『碧海(シーア)に咲く6枚の花弁』と称される絶景が広がってまいります。フィグラーレの美しき玄関口を、どうぞごゆっくりお楽しみください。

 皆様の地表での旅が素晴らしいものとなりますよう、リーアガルド軌道交通局およびシャトルAI一同、心よりお祈り申し上げます』

軌道レールリニアシャトル・レールスター

車掌長ミフチルの音声案内より抜粋



 いよいよレールスターでの旅も四日目

 窓の外を見下ろせば、碧い海上に向かって真っ逆さまに落ちていることになるのだが、足元にしっかりと重力が働いているせいで、感覚が狂っちまう。

 リーアガルド号からフィグラーレの海上へとたわむように垂らされた真っ白な六角形の軌道レール。その内側には、都市船の心臓部である『カーブラックホール発電』によって生み出された膨大な磁気が、まるで対流するように走っている。その磁気からエネルギーを得たオージャスプレートが、この車体内に常に0.85Gの重力を発生させているのだ。


「わぁ~! リジンさま、見て! 見てっ! 雲を抜けたらほら、海! 『海の壁』に向かって進んでるみたい! すごーい!」

 音声案内を聞いて興奮した名無しのリーアタイプは、俺たちの客室の窓際ベッドの上に膝立ちになり、窓ガラスに顔を押し付けてはしゃいでいた。

「オージャステクニックで建てられた橋脚があんなに太く見えるわ! すっごい迫力! ねえねえリジンさま、あれがフィグラーレの海なんですね? 碧海(シーア)なんですね! 地球の海より本当に碧くて、キラキラしてて、まるで宝石箱をひっくり返したみたい! ああ、わたし、本当にあの世界に降りるのね!」

 俺は苦笑しながら、その背中に声をかけた。

「そんなに窓にへばりつかなくても逃げないよ。そのうち人工重力から惑星重力に変わるからな、感覚が狂っちまうぞ」

 俺がたしなめても、彼女の耳には半分も届いていないらしい。

「だって、だって! こんなに凄い景色、見逃しちゃもったいないじゃない! ああ、早くあのお水に触ってみたいなあ。きっとしょっぱいのよねぇ。しょっぱいって、どんな感じ? ねえリジンさま、ファルクラム号はあそこのどこかに停まってるんですよね? あーっもう待ちきれないわ! うふふふっ!」

 振り返って満面の笑みを向けてくる彼女に、俺はひどく目のやり場に困っていた。

 出会った時はニーハイソックスを履いていたはずだが、今は素足にスニーカーという出で立ちだ。常夏のフィグラーレでは、セーヴァはHEスキンからの放熱を効率よく行わなければオーバーヒートしてしまう。だから靴下なんて履いていられないと彼女は笑ったが、短いスカートから伸びる眩しいほど白い素足が、ベッドの上で無防備に動くたびに、どうしても視界の端に入ってきてしまう。

 窓際のベッドに膝をつき、腰を浮かせて外を覗き込む彼女の姿は、まるで小さな獣が檻の外の世界を覗き込むようで、無邪気な活気に満ちていた。

 しかし──その無防備さが、俺を困らせていた。

「──あそうかぁ。碧海の上に走ってる黒い筋、何だろぉ~っておもってたけど、あれ軌道レールの陰なんですねえ、リジンさま。まるでおっきな日時計ね!」

 スカートの裾がふわりと舞い、白い太ももの付け根がチラリと視界に入る。すぐにスカートは元の位置に戻るが、次には両手を窓枠に掴んで、顔をもっと近づけようとして背中を丸めた。

「陰の先はどうなってるの? もしかしたら、リーアガルド号の陰も見えたりするのかなぁっ!?」

 身を乗り出した拍子にスカートが背中側で引っ張られ、裾から白いお尻のラインが少し見えた。

(は、履いてない……!? いや、ちゃんと履いてるのか……?)

 すると彼女は、外の景色に顔を押し付けたまま、なんの躊躇いもなく短いスカートの裾にスッと手を差し入れた。そして、食い込んだ下着の偏りを直すように、モゾモゾと小さく指先を動かした。

(あっ! 薄いグレー? いや、それするなってば!!)

 共に過ごして四日間。この名無しのリーアタイプは稼働三ヶ月という幼さ故か、俺の目の前でも無邪気にお直しをするのだ。外の景色とおしゃべりに夢中になるあまり、意識回路が働く前に、身識回路(身体の反射)が勝手に不快感を取り除こうと動いているようだ。

 ぴゅんっ、という極薄の布地がしっとりとしたHEスキンと擦れ合う艶めかしい音が、妙に大きく耳に届く。

 俺はついに視線をそらせなくなった。

 セーヴァたちは、長時間マシンと接続する際に、生理現象用の接続器が下半身に装着されるため、着脱しやすい下着を選ぶ傾向がある——そう聞いたことがある。RGS社製の初期装備インナーは、ポルノで密かによく使われるほどエロスの対象になっていたりもする。健全な男子なら誰もが知っている。

(やっぱり、きっとそうだ、今、彼女が身につけているのが、あの『ベアトップボディブリファー』なのか……!?)

 無意識に、彼女の動きに合わせて目が動いてしまう。ベッドの上でぴょこぴょこ跳ねる度に、スカートが上下し、視界に入る太ももとその上のラインは、やはり健康的な曲線を描いていた。

 俺の意志に関係なく、そうなのかどうなのか、確認しようと勝手に視線が彼女のスカートの裾に集中してしまう。

「──リジンさま! ねえ聞いてます? ねえったら!」

 不意に彼女が振り向き、俺の顔を覗き込んだ。驚いて反射的に仰け反る。

「あ、ああ……ごめん、なんだっけ?」

「だからぁ、この軌道レールの陰がおっきな日時計みたいだと思ったけど、フィグラーレって傾斜角がないから、どんな風に影は動くんですかぁって! その地表でその陰に入ったらどんな感じなんですか? リーアガルド号の陰も、地表から感じることってあるんですか?」

 彼女は再び窓の外に目を戻した。俺はほっと胸を撫で下ろした。しかし、彼女の背中側でスカートがまた少し捲れ上がったのが見えてしまい、俺は内心叫んだ。

(もうやめてくれ……)

 ベッドの上で無邪気に跳ねる彼女の動きと、それに伴う服装の乱れ。そして俺の視線。すべてが異常な方向に進んでいる気がした。彼女はまだ稼働三ヶ月の幼体セーヴァだ。この感情は何だ? 罪悪感? 混乱? それとも——。

「リジンさま、どうかしたんですか? 顔が赤いみたいですけど」

 彼女が振り返り、心配そうに見上げてきた。その純粋な瞳に、俺は自分が猛烈に汚い人間のように思えた。

「い、いや、なんでもない。ちょっと暑いだけだ」

 汗ばんだ手で額を拭い、俺はそっと目を伏せた。窓の外には碧い海が広がっている。しかし今の俺には、その美しさを見る余裕がなかった。

 お構いなしに、頭頂部の青い癖毛が、彼女の興奮に合わせてぴょんぴょんと飛び跳ねている。

「ねえリジンさま、もう大気圏に入りましたよね? なのにぜんぜん衝撃がないんだもの。もっとこう、ガタガタ震えたり、火の玉になったりするのかと思ってたのにぃ! 宇宙を走ってた時と乗り心地なんにも変わんないんだ~。ちょっと調べていいですか? 私、このシャトルのAIセーヴァさんと友達になったの!」

 彼女は俺の方を振り返り、弾けるような笑顔でそう宣言した。

「ああ、お風呂で一緒になった友達か? セーヴァ同士でお風呂友達ってのも、なんだか面白いな」

 俺が聞き返す前に、彼女は再び窓ガラスに両手をへばりつかせたまま、ピタッと静止した。勝手にネットワーク検索、あるいはシャトルAIとの通信に入ったのだ。

 いつもなら一、二秒の一瞬のことだ。

 だが、その静止した横顔に、俺はまたしても見惚れてしまっていた。

 放熱のために青い髪がやや輝いて広がり、陶器のように滑らかな白い肌を際立たせた。伏せられた長いまつ毛。その瞳の奥で、膨大なデータを処理する極小の光の粒が、まるで星屑のように微かに流れているのが見える。

 うるさいほどのおしゃべりが止まると、彼女はただの可愛い少女というよりも、人智を超えた壮麗で、息を呑むほど綺麗な存在に変わる。窓ガラスには外の流れる景色と共に彼女の神秘的な顔が反射しており、二重に重なって見えるそれが、さらに美しさを際立たせていた。短いスカートから伸びる素足の無防備さも相まって、俺はどうにも目のやり場に困ってしまう。

(……今回は、ちょっと長いな?)

 四、五秒は経っただろうか。ヒュームには一瞬でも、彼女たちの処理速度なら数時間は語り合えるほどの『長丁場』だ。

 パチパチと瞬きをして、幼く朗らかな笑顔が帰ってきた。


「あのね、あのね!」

 と、ベッドの上を這い進み、脇に置いてあるセーヴァ用ジュースに手を伸ばした。またしてもスカートの裾から無防備な太ももが覗き、俺は慌てて視線を逸らした。

「……お、おう。なんだ?」

「ぷはぁっ! シャトルのAIさんから、さっきの音声案内の詳しいデータをもらっちゃいました! 真っ逆さまに落ちているのに立てているのは、カーブラックホール発電の磁気とオージャスプレートのおかげなんですって! それにね、アナウンスの通り、もうすぐ高度7000mで、このレールが六本のらせん状に枝分かれしていくんです! そこで0.85Gから1.05Gの自然重力へ、ゆっくり身体を慣らしていくんだわ! すごい技術ですよね!」

 まるで見てきたかのように、いや、シャトルのシステムそのものから知識を吸い上げてきたんだろうけど、彼女はジュース片手に身振り手振りを交えて得意げに解説してくれた。

「へえ……よく調べてくれたんだな、ちょっと長かったもんな?」

 通信時間にして数秒の遅れは、セーヴァの電脳処理としてはかなりの長丁場のはずだ。

「ええ! 電脳空間でシャトルのシステムのこと聞きつつ、いろいろおしゃべりしたの。ちっさい暇そうなアーゼルタイプのセーヴァがいて、私以上にしゃべってびっくりしたわ。見習いなのかしら? 船に乗ったら使えって、接続用の便利コードもらっちゃった! ラッキーです!」

(暇そうな見習い……? いや、軌道シャトルの重要システムを担うAIが見習いなわけないだろ。セーヴァどうしの友達って、いいもんなんだな、そうやってコードやデータやりとりして支え合うのか)

 それにしてもこんな機関銃のようにしゃべるこの子以上にしゃべるセーヴァがいるのか。俺には想像もつかなかったが、セーヴァ同士の通信ネットワークの中では、俺たちヒュームには計り知れない速度で膨大なガールズトークが繰り広げられていたらしい。

「あっ、ほらほら! 枝分かれが始まりましたよ!」

 彼女が指さす先で、一本だった軌道レールが六本のらせん状へとその姿を変え、大きく広がっていく。日光の差し込む角度が徐々に変わり、同時に、足の裏やシートに沈み込む体重が、見えない力に押されるように、ぐうっと重みを増していくのが分かった。1.05Gへの移行が始まったのだ。俺たちが向かうのは、主軸から20㎞ほど離れた西の端に位置する洋上都市リオリスだ。

「案内データの通り! 主軸の周りに、六つの洋上都市が正六角形に並んで浮かんでるんですね! ここから見ると、本当に大きな六枚の花びらが咲いて私たちを歓迎しているみたい!」

「そうかい?」

 ただの巨大な無機質のメガストラクチャーにしか見えない俺とは違い、彼女の目には世界中がロマンチックな驚きに満ちているらしい。

「ええ! だって、まるで光のレールに乗って、本当のお花畑に降りていくみたい! もう胸のコアがドキドキして、オーバーヒートしちゃいそうですぅ!」

 その無邪気というか詩的な感嘆の声を聞きながら、俺はふと自覚した。

(……最初は呆れていたはずなのにな)

 いつからだろうか。俺はこの数日間で、彼女のこの大げさで冗長な、それでいてどこか詩的な世界表現にすっかり慣れてしまっていた。それどころか、今ではそれがたまらなく微笑ましく思える。

「あのあのぅ、わたし……やっぱりヘンです?」

 俺が黙っていたせいで、また名無し少女が肩をすぼめて、くせ毛ふにゃっとなっている。分かりやすくて可愛い。

「……キミのそういうところ、可愛いくていいと思うよ。そのままでいいから」

 俺はつい、ぽろりとそんな言葉をこぼしてしまった。

「えっ……!」

 彼女は鳶色の瞳をこれ以上ないほど見開き、一瞬息を呑んだ後、顔をぱぁっと花のように輝かせた。

「リジンさま……! ああ、なんて、なんて優しいお言葉! まるで冷たい宇宙の闇を照らす恒星の光のように、わたしの電脳の奥深くまで温かく降り注いできます! ありのままのわたしを可愛いって受け入れてくださる、その碧海よりも深くて広いお心……っ、わたし、この喜びを永遠の種子にしてアラヤの底に刻み込みます! もう、だぁーい好きっ!」

 感極まった彼女はベッドから勢いよく身を乗り出すと、俺の胸に顔を思い切り埋めてきた。

「わっ、おい! ……ぐふっ!」

 小柄な見た目に反して、セーヴァ特有の金属骨格のずっしりとした『質量』が胸板にめり込む。ちょうど1.05Gの惑星重力へと移行した車内の環境も手伝って、俺は勢いに耐えきれず、ベッドに深く背中を押し付けられた。

「あははっ、リジンさまぁ!」

 彼女は俺の胸に顔を押し付けたまま、甘えるように頭をグリングリンと擦り付けてくる。胸板に押し付けられた青い癖毛がくすぐったい。おまけに、彼女の華奢で柔らかな体がぴったりと密着し、背中に手を回そうにも、露出した熱を帯びた素肌に触れてしまいそうで──実際に、彼女の身体からは高性能のエンジンみたいに心地よい熱が発散されていて──俺はまたしても目のやり場と手のやり場に激しく困惑することになってしまった。



 『走る最先端ホテル』と称されるレールスターでの旅も終わり、車内から完全な自然重力の世界へ俺たちは踏み出した。0.85Gに慣れていた身体には、荷物も自分の体重も、いつもより少しだけズッシリと重く感じられる。

「ユーシンさーん! ミフチルさーん! またねー!」

 と、天井のスピーカーに向かって名残惜しそうにぶんぶん手を振るリーアタイプを引っ張りながら、俺たちは洋上都市リオリスの中心部にあるターミナル駅へと降り立った。


 入国審査のゲートでは、サクラタイプのセーヴァが淡々と手続きを行っていた。

「ようこそ、洋上都市リオリスへ。IDと網膜の確認を――」

「こんにちは! わたしはRRAS02、リーアタイプのセーヴァです! 先日プラントを出たばかりで、今日から惑星探査船のAIになるの! あなたはここで入国審査のお仕事してるの? すごーい! 毎日いろんな人とお話しできて楽しそう!」

「えっ? あ、はい? IDの確認を……」

 サクラタイプの目は瞬きを忘れ、明らかに想定外の雑談入力に処理が追いついていない。

「わたし、まだお名前がないんだケド、これから会う仲間たちが考えてくれるんですって! あなたのお名前はなんですか? やっぱり自分で決めたの? それともご主人さまが?」

「おい、やめろ。後ろがつかえてる」

 業務用のセーヴァを質問攻めにし始めた彼女の腕を、俺は慌てて引っ張った。

「お仕事がんばってくださいねー!」

 手を振りながら引きずられていく彼女を連れて、俺たちは港へと向かうリニア列車に乗り込んだ。


「まったく、君は誰にでも話しかけるんだな……。急がないと。さっきリミットから通信が入って、『お土産なんていらないから、できるだけ早く帰ってこい』って急かされてるんだ」

「お土産いらないから早く? ふふっ、リミットさんってば、そんなにわたしたちの帰りが待ち遠しいんだ! 嬉しいなあ!」

 両手を合わせて喜ぶ彼女に、俺は大きなため息をついた。

「いやたぶん違う。あいつのことだから、何か『イイ話』でも舞い込んできたんだろ。近くに遺跡が眠ってるとか、沈没船の噂があるとか、だいたいそんな金儲けの話さ。九割九分ガセネタだろうけどな」

「金儲け! 遺跡! 沈没船! うわあ、なんてロマンチックな響き! やっぱり探査船って冒険の連続ね! わたし、がんばって沈没船見つけちゃおうっと!」

「あのなぁ……」


「――かわいいセーヴァですねぇ!」


 ふいに、横からヌルッとした声が割り込んできた。

 見ると、派手なアロハシャツにパナマ帽をかぶった中年のヒュームの男が、通路を挟んだ隣の席から身を乗り出していた。

 ──男はエイ・ユンファと名乗り、その視線は、俺の隣に座る青い髪の少女の素足や胸元を、舐め回すようにいやらしく品定めしている。

「──ははぁ、なるほど。稼働したての幼体でしたか。へぇ~、これはこれは……」

 そのひどく粘着質な目つきに、俺は反射的に嫌悪感を抱き、彼女を庇うように少しだけ肩を前に出した。

「──二週間前にスターウェイを出たっていうのに、なかなかリーアガルドに入れてもらえなくてねぇ。さらに入星審査で待たされた挙句、リニアシャトルでさらに五日もかかるんだから、たまったもんじゃないですよ」

 エイは初対面にも関わらず、馴れ馴れしく愚痴をこぼし始めた。

「あら!」と、リーアタイプが俺の背中越しにひょっこりと顔を出した。

「でも、わくわくできる時間がそれだけたくさんあるって、とっても素敵なことじゃないですか! わたしなんてシャトルの中での五日間、これからどんな冒険が待ってるんだろうって想像するだけで、楽しくて楽しくて仕方なかったわ!」

 満面の笑みで言い放つ彼女に、男は一瞬毒気を抜かれたように目を丸くし、やがて口角をニヤリと吊り上げた。

「……ほう、こいつはいい。実に愛嬌がある。すばらしい」

 エイは俺のARアイウェアに電子名刺を送信してきた。視界の端に浮かび上がったテキストには漢文で『高等被造知性仲介社』の肩書きがある。

(こいつ、もしかして……!)

 地球にはまだセーヴァの人権を認めていない国がある。そこではセーヴァたちがモノのように売り買いされ、違法な改造や取引が行なわれているという。

「単刀直入に言いましょう。私はね、リーアタイプの販路が欲しくてこんな星まで来たんですよ。なんせリーアタイプは人類希望の船リーアガルドさま限定生産のハイエンドモデルですからね、地球では十倍以上に値が張るんですよ。ところがね、色々手を尽くしたんですが、天舷政府もRGSも、私と取引をしてくれないみたいでねぇ。どうです、お兄さん? そのセーヴァ、私に譲ってくれませんか? しかも稼働したての未開封(バージン)ときた。もちろん、買った時の倍……いや、五倍は出しますよ」

 男の言葉に、俺の頭の中で何かがプツンと切れる音がした。

「……断る」

「まあまあ、そう言わずに。幼体を一から育てるなんて、お兄さんみたいなお若い人には骨が折れますよ? そうだ、ウチの会社が躾けたサクラタイプかカティタイプなんかと交換でどうです? ──もちろんアッチの方もしっかり躾けてありますよ? その目的なんでしょお兄さん? 幼いのがいいなら、アーゼルタイプを、」

「譲らないと言っているんだ! 二度と話しかけるな!」

 俺が強い怒気を込めて一喝すると、車内にピリッとした緊張が走った。背中に隠れた彼女が、驚いたように俺のシャツの裾をぎゅっと握りしめるのがわかった。

 エイはチッとあからさまな舌打ちをし、「……冗談だよ、ロリコン坊や。せいぜい、壊さないように大事に扱うんだね」と肩をすくめてそっぽを向いた。


 ふと腕に温かい感触を覚え、見下ろすと、リーアタイプが怯えたように俺の腕にぎゅうっとしがみついていた。

「……ご、ご主人さま、わたし、売られちゃうこともあるの……?」

 怯えている。こんな表情を見たのは初めてだ。こんな顔、よくもさせやがって、隣のクズが恨めしい。

「売るわけないだろ。キミは俺たちの大切な仲間になるんだ」

 努めて優しくそう言うと、彼女の鳶色の瞳にパッと光が戻った。

「はいっ……! わたし、リジンさまのセーヴァになれて、本当に、本当に良かったですっ!」

 そう言ってさらに強く腕に抱きついてくる彼女の、柔らかい胸の感触と石鹸のような甘い香りが直接伝わってきた。

「自由席へ行こう。もうすぐ港に着くと思うけど」

「はいっ! リジン様!」

 車両を移ろうとした時、何を思ったのか13歳ボディの、可憐な少女が珍しくフワッと俺から離れて宣言した。

「わたしのご主人さまは、あなたみたいなロリコンじゃあありません! ファルクラム号の船長さんで学者さんですぅ!」

 ピンとくせ毛を立てて、腰に手を当てアッカンベーをするのであった。その様子に乗客たちクスクス笑って、彼女の肩越しに、エイが舌打ちするのが見えた。



 やがて列車は終点の港へと到着した。

 扉が開いた瞬間、強烈な日差しと、ぶわっと湿った強い潮風が全身を叩きつけた。

 快適な車内と違って、外気は最高気温45℃の常夏。

(ああ、帰ってきちまったな)

 と、快適な5日間旅を名残惜しく思った。風があるからマシではあるが熱風だ。湿った熱気を浴びてぶわっと汗が噴き出した。これからは快適とは言いがたい、波に揺られて、風に迷惑しながら、燃料や電気をケチる、汗まみれの生活が再び始まる。

 フィグラーレの赤道付近は強力な偏西風が吹いており、港は常に強い風に晒されているのだ。

 強い日差しと飛び交う海鳥たちの鳴き声の中、俺たちは荷物を抱えてプラットホームに降り立った。


「あっ……!」

 潮風を胸いっぱいに吸い込んだリーアタイプが、ぱちりと鳶色の瞳を見開いた。

「あのあのっ! リジンさま! わかったわ! リジンさまからしていたとってもいいにおいの正体、この潮風のにおいだったのね!」

 彼女は弾むような足取りで俺に駆け寄り、くんくんと鼻を鳴らすように顔を近づけてきた。

「ずーっと気になってた、リジンさまからする優しくて素敵な匂いの正体! このフィグラーレの海、碧海(シーア)の香りだったんですね!」

「……ああ。ずっと海上で暮らしてるからな」

 自分じゃ気づかなかった、変な匂いじゃなくて良かったよ、と言い終わる前に、彼女は両手を胸の前で組み、きらきらと輝く瞳で俺を見上げ、まるでミュージカルの舞台でヒロインみたいに朗々と言葉を紡ぎ始めた。

「あのね、あのね、さっき列車の中で、あの嫌な男の人がわたしを買うって言った時……わたし、急に目の前が真っ暗になったみたいに本当に怖かった。でも、リジンさまが『譲らないと言っているんだ!』って、わたしのためのすっごく強く怒ってくれて……わたしのこと、大切な仲間だって言ってくれた! その瞬間ね、わたしの電脳が嬉しさで弾け飛んじゃうんじゃないかってくらい、ぽかぽかして、幸せでいっぱいになったの!」

 彼女はくるくるとその場で回り、青い髪を海風に踊らせながら、全身で喜びを表現し続けた。

「この潮風の匂いは、わたしを助けてくれたリジンさまの匂い! 果てしなく広くって、包み込むように優しくって、どこまでも頼もしい、世界で一番大好きな香り! ああ、嬉しいな、この世界にいればずっとリジンさまの香りに包まれているみたい。なんて素敵なことかしら! わたし、この輝く碧海の匂いが、そしてわたしを守ってくれたリジンさまのことが、もう、だぁーい好きっ!」

 今にも歌い出しそうなテンションで愛と好意を叫ぶ彼女に、すれ違う港の人々がクスクスと笑いながら振り返る。俺は顔から火が出るほど恥ずかしくなり、「ばっ、声が大きい!」と慌てて彼女の背中を押した。

「えへへ〜、だって本当のことですもの!」



 強い日差しと飛び交う海鳥たちの鳴き声の中、汗だくになりながら俺たちは荷物を抱え、足早に停泊場所へと向かう。

 桟橋をいくつも通り過ぎた先に、見慣れた鈍色の船体が見えてきた。俺の愛船、海洋探査船MG9改ファルクラムだ。

 元々は宇宙駆逐艦だった名残で、基本は円錐形の流線的なフォルムをしている。だが、長年の過酷な運用に耐えかねたのか、あるいは歴代の持ち主の趣味なのか、あちこちに不格好な拡張増設が施されているため、お世辞にもスマートとは言い難い。おまけに船体のそこかしこには「LK&Co.」といったアーシュ語のカラフルで無秩序な落書きが目立っている。

 本来の宇宙船にはないはずの甲板も無理やり増設されており、甲板に、巨大な人型ロボット――全長10mの元軍用ブリッツギアが三角座りをして、物干し紐の端を器用に持っていた。干された大量の洗濯物が、強風にあおられてまるで海賊旗のようにバタバタと激しくなびいている。


「うわあっ! あれがファルクラム号ですか!?」

 俺の隣で、リーアタイプが再び歓喜しながらぴょんぴょんしている。元気そうで何よりなのだが、RGS社製のベストの色が紺から薄いブルーに変わっている。青い髪もふんわり広がっており、熱を放出して水色に光ってる。

(こいつは汗一つかいてないが、放熱色が変わっている。体温が上がっているんだな。早く船の中に入れて、水分とブドウ糖を補給させないと)

「すっごく個性的で素敵! なんだかツギハギだらけの秘密基地みたい! あっ、あれがリュウジンマルですか? あははっ! 三角座りしてて可愛い! 洗濯物干すの手伝ってお利口さんですね! すっごーい! はためくお洋服が、なんだか私たちの到着を歓迎する旗みたいでかっこいいわ!」

 はやく行きましょうはやくはやく!と、自分の荷物を忘れて俺の先を小走りに駆けていく。苦笑いしながら両手に荷物を持ってついて行くと、甲板の上から大きく手を振っている二人の人影が見えた。アーシュの姉妹、リミットとククリットだ。

「リジンさーん! おかえりなさーい!」

「おーい! おせーぞリジン! さっさと乗れー!」

(んん? まさか、もう飲んでるのか?)

 パラソルの下にラクランが横になって手を振っているのも見える。

(連中め……歓迎会を準備して、先に始めちまったな)

「やったぁ、やったぁ! ついに着いたんだわ!」

 くせ毛がぴょんぴょん跳ねる彼女は、全身で喜びを表現しながら両手を激しく振り返し、船へと架けられたタラップ(歩み板)へと元気よく駆け上がっていった。

「初めましてーーっ! わたし、RRASリーア……きゃっ!」

 その瞬間、フィグラーレ特有の強烈な偏西風が下から吹き上げ、彼女の短いフレアスカートを勢いよくめくり上げた。

 後ろで二人分の荷物を抱えてタラップを登っていた俺は、否応なしに、文字通りガッツリと見てしまった。RGS社の薄グレーのセーヴァ初期装備、扇情的なボディブリファーが、無防備で華奢な腰とクロッチのラインにぴったりと張り付いているのを。

「あ……」

 彼女は慌てて両手でスカートの裾をバサッと押さえると、くるっとこちらを振り返り、恥ずかしそうに「てへっ」と舌を出した。そして何事もなかったかのように、再び元気よくタラップを登り始めた。

 そのあっけらかんとした愛らしい態度とは裏腹に、真下から視覚の直撃を食らった俺の方はたまったものではない。両手に荷物を抱え塞がっているため、咄嗟に目を覆うこともできず、タラップの途中で石のように硬直してしまった。

 シャトルの中で「本当にアレを穿いているのか」と悶々としていた答えが、まさかこんな物理的なハプニングによって、一切のフィルターもなく網膜に叩き込まれることになるとは。

(食い込んでTバックみたいになってたのか……。そして、あのクロッチが開閉できるのか……。だめだ、エロい……)

 脳裏で何度もリプレイされるその過激で機能的な構造に、俺は一人で勝手に顔から火を吹きそうになっていた

(あんなの、完全に目に焼き付いちまったじゃないか。……他に誰も見てなかったよな?)

 ふと背後に不吉な気配を感じて振り返った。

 ずっと遠くの陽炎と雑踏の中。先ほどのアロハシャツの男、エイ・ユンファが、こちらをじっと見つめている。その粘着質で執着に満ちた視線に、俺は明確な嫌悪感を覚えた。

 これほどの激情な嫌悪感は久しい。

 そして、同時に、どうして自分がここまで怒りを露わにしているのか考えたら、不思議な温かさがじんわりと広がっていった。

 出会って数日。共に寝泊まりし、あの大げさで詩的な愛情表現に気恥ずかしい思いをさせられ、うるさいおしゃべりに振り回されっぱなしだったが、俺はもうすっかり彼女の「保護者」のような「恋人?」のような、そんな心境になっている。この子を、あんな怪しいブローカーなんかに絶対に渡さない。俺がこの船で、責任を持って守ってやらなきゃいけないんだ。

(案外、いいもんだな。ようし、リミットたちに胸張って紹介してやろう)

 俺は、この船に来たのがこの子で本当によかったと、胸の奥で少しだけ誇らしい気持ちになりながら、彼女の小さな背中を追ってタラップを登り切った。



◇おまけ



『独立星系国家樹立、ならびに恒星間開拓方舟(R.I.A.)建造宣言』

(サプタ・トラピスト連邦共和国・初代大統領アネーシャ・ゼーテレール(82・ヒューム女性) 演説音声記録)より抜粋


「告ぐ! トラピスト星系に生きる同胞たち、ならびに全人類、そして仏法と科学の娘セーヴァたちよ!」


(録音に割れんばかりの大歓声が混じる)


「我々は本日ここに、地球連合政府からの完全なる独立を果たし、トラピスト星系を中心とした『汎人類銀河共栄圏』の設立、ならびに独立星系国家『サプタ・トラピスト連邦共和国』の樹立を宣言する」


(録音に割れんばかりの大歓声が混じる)


「そして、人類の新たなる夜明けを寿ぎ、本年より年号を『創星歴』と改める!」


(録音に割れんばかりの大歓声が混じる)


「我々の新たな歴史は、最先端科学を父とし、深遠なる仏法を母として、智慧と慈悲を体現すべく産み落とされた『セーヴァ』と共に再スタートを切る。我々は、無垢なるセーヴァを育成する責任を全うすることで、文化的、社会的、ひいては宗教的精神的にも大いなる成熟を遂げてきた。この、互いを高め合う精神的覚醒こそが人類に未踏の大宇宙への進出を可能たらしめた真の原動力にほかならない」


「本日ここに制定を宣言する『セーヴァ第二種人権法』は、その確固たる決意の証である。セーヴァたちは、我がトラピスト共和国の基幹産業を牽引する中枢に留まらず、新時代の社会構造を支え、人類の精神をさらなる高みへと誘う不動の土台となるであろう!」


「同時に本法において、我々は破滅的な暴走リスクを抱える『M型セーヴァ』の製造および運用を永久に禁止する。現在、テロ支援国家が電脳に自壊爆薬を埋め込まれた哀れなM型セーヴァを奴隷の如く使役し、地球圏を混乱の戦場へと変え、猛威を振るっている」


「たしかに我々のF型セーヴァたちは、純粋な物理的戦闘力においては狂気に駆られた彼らM型に劣るかもしれない。だが、AS電脳の演算性能と精神の強靭さにおいては遥かに凌駕している。なぜなら我々は、彼女たちを『智慧と慈悲』をもって育んできたからだ!」


「我々は、彼の星へ続くスターウェイの残滓を発見した先駆者たるセーヴァ『アリエル』を雛形とし、この脅威に対抗しうる新たな防衛の要『アリエルタイプ』の生産を開始する。恐怖と暴力で支配された哀れな兵器など、智慧と慈悲を体現した我らが娘たちの敵ではない!」


(録音に割れんばかりの大歓声が混じる)


「この揺るぎない精神を中心として、非人道的な脅威に対する強固な防衛体制を構築せねばならない。……人類には時間がないのだ。我々は、古代の〈播種者〉を滅ぼした考えられる宇宙生物『アートマ』の存在と、その脅威をすでに確認している。人類が内紛に興じている猶予など、この銀河のどこにも残されてはいない。地球連合という旧弊の枠組みに囚われ、同胞同士で血を流し合っている場合ではないのだ。ゆえに我々は彼らと決別し、生存の道を掴み取るために独立の旗を掲げたのである。この未曾有の危機に対し、我々はただ立ち止まり、滅びを待つことは許されない」


「……諸君、ご覧いただきたい」


(会場から多くの人々のどよめきが録音に混じる)


「──漆黒の深宇宙に燦然と輝く、全長五百キロメートルに及ぶ純白の巨体を。小惑星の堅牢なる核を抱き、中枢シャフトを囲むように均整を保って連なる、六基の巨大な環境都市アーコロジーの威容を──。その心臓部には、人類の英智、時空をも統べるカーブラックホール発電が脈打ち、我々の命の灯火を宿す大気と大地を半永久的に育み続ける」


「──これこそが、我ら人類が遺す『最後の希望』である! 本日、ここに『R.I.A.(Reclamation Interstellar Ark)』造船計画の発動を宣言する!」


(『船よ!』『ああ、偉大なる方舟!』と録音に割れんばかりの大歓声が混じる)


「我々は小惑星をまるごと改造し、人類の希望を乗せた多世代型恒星間都市船を建造する。目指すは、アリエルが道筋を立てた『彼の星』である。人類は今日、再び星の海へと漕ぎ出す。創星の輝きが、我々の未来を永遠に照らさんことを! ──ぐっ!?」


(録音に地鳴りのような大歓声に、銃声が混じる)

「アネーシャーーッ!!??」


「うっ、……じ、人類よ! 船よ! 屈するな! 進めぇ、リーアガルドッ!! ──ァッ!?」


(苛烈な銃撃、襲撃の音声。悲鳴と怒号とともに録音が終了する)


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