第五章 恋するセーヴァは一人前?
第5章s 恋するセーヴァは一人前?
【記録アーカイブ:ファルクラム号食堂 音声ログより抜粋】
「──お姉ちゃんこんな感じ? 本当に目分量でいいの?」
「ああ、いーのいーの。セーヴァが飲むんだし。とにかくブドウ糖だ。がぶがぶ飲むぞあいつら。この濃縮果糖シロップをこれぐらい入れるの。味のバランスとかどうでもいいから、とにかくブドウ糖マシマシだ」
「ええっと……、こんなに入れるの?? なんだかシロップの原液を飲ませるみたいだけど」
「セーヴァはな、体中にある生体発電器官で動いてんの。トラピストF星にいる巨大シビレエイのDNAを組み込んでて、ブドウ糖からATPを解糖して電気を作ってんだとよ」
「へぇ、シビレエイのDNAを……」
「そして最後にこの酵素型ナノマシンキューブを入れる」
「わ、シュワって溶けて消えるのね」
「こいつらがサッパリした冷たい温度に下げて、酸味を出してくれる、らしい」
(※ハッチが開く音が録音に混じる)
「なんやなんや、ちび助にククリット、姉妹揃ってええ匂いさせとるやんけ。ワイにも一杯くれや。……んっ? なんやこれセーヴァ用か? 甘いなぁ~、脳みそ溶けるわコレ。……ん~、甘い!」
「バーカ、おっさん向けの味付けじゃねえよ。ちび助いうな」
「ねぇ、それさっき酵素型ナノマシンいれたよね、いいのマンカインドが飲んでも?」
「ぶふっ!?」
「汚いわ、おじさん」
「ああ、大丈夫だぜ? セーヴァの血中に入って修復する奴らだから、マンカインドの体内じゃ何もできずにうんこになるんだってよ。アタシも飲んだことないけどな。……おっさんはナノマシンで痩せるんじゃね?」
「脳みそも修復してもらえるんじゃない? ラクおじさん」
「なんでやねん! ワイの頭どつくのおまえらやろ!?」
「……大丈夫なんだったら、私もちょっとだけ、味見してみようかな?」
「どうだ?」
「……う~ん、甘いなぁ」
「だろうな、アタシは味見いらねーわ」
「そんなん飲んだら、またオッパイだけでかなってまうで」
「人の妹の胸ばかり見るなおっさん。また『スケベ執行』されるぞ」
「オマエは飲んだ方がええんちゃう? ちび助」
「……どういう意味だ?」
「妹みたいに背もオッパイも成長するかもしれへんで?」
「ククリット」
「スケベ執行かしら?」
「ひっ!? ジョークやがな! ジョーク! その物騒なもんしまえ!」
「はぁ……。どうしようもないおじさんね。じゃあ罰としてCICまでこっちのタンク運んでくれる?」
「運ぶよってに! その物騒なん素振りすんな! ……ほならこのタンクのジュース、食堂とCICのドリンクサーバーに入れる用かいな?」
「うん、そう」
「おお、懐かしいなぁ。前のセーヴァはキリカタイプで、キッチリ自分で全部やっとったわ。なんべんか運ぶの手伝ったことあるだけやわ。今度来るのは幼体やさかい、世話したらなあかんねんな」
「ジュースの残量を毎日チェックして、補充してやらなきゃな。なんせ明後日来るのは幼体じゃんか、がぶがぶ飲むだろうね。あと献立も色々工夫しないとな~」
「セーヴァが甘いお菓子やフルーツが大好きなのは知ってるけど、このジュースはちょっとダメかなぁ。すぐ太りそう」
「だな。ハイパーバイオ燃料電核を回すには、これでもかってくらい糖分が必要なんだとよ」
「なるほどねぇ……。ガルガン樹のジーリー先生もよく飲んでたけど、こんな味だったんだ」
「せやで~。そうやってブドウ糖入りの水分をぎょうさん取らせて、体内で循環させんとな。生体発電で膨大なエネルギーを作っとるちゅうことは、同時にごっつい熱を持つってことや。せやから、セーヴァは常に効率よく放熱せなアカンねん」
「あ、放熱ね。それも大切ね。船内をリジンさんの部屋くらいの冷房温度にしなきゃダメなのね。28度でいいのかな」
「CICだけでいーだろ。電気代が勿体ない」
「なんでぇな、《貝殻》部屋と、ニューエンジェルの部屋も冷やしたらんと。あとリジンはんの部屋も」
「ん~、冷房代……」
「がんばって収入増やさなきゃね! お姉ちゃん」
「……へいへい。……CICじゃあチャトルでも羽織るか」
「チャトル着るんやったらなぁ、ちゃんとその下は脱ぐべきやとワイは思うど!」
「はぁ?」
「スケベ執行?」
「ひぃっ!? そ、それがアーシュ漁師の伝統なんやろぉ? ホンマのことやんけ。……ちょ、ちょっとそれっ! 怖いから出すなって!」
「おっさん、だんだん条件反射で拒絶反応するようになってきたな」
「セ、セーヴァかてな、天舷の航行時代と違って、今や制服や普段着もやたら露出度が高くなってるやろ! 放熱系の高性能な装備や下着もあるしやな! ヘソや太ももをガン出ししとるのも、あくまで機能的な『放熱』のためなんやで、おまえら漁師と一緒!」
「……そうなんだけどね、ラクおじさんが言うとスケベにしか聞こえないから本当に良くないわ」
「アタシら姉妹はもう漁師じゃねーっつの。トレジャーハンター、採掘業者だっつの」
「まぁ職業はなんでもええがな! とにかくワイが言いたいんは、セーヴァのボディと装備の凄さや! とくに『HEスキン』っちゅう放熱機能を持った素肌な! 人工皮膚のくせに、しっとりしてて柔らかくて『ぷるんっ』としとるらしいで! ほんで、今度来るニューエンジェルは最新中の最新や! まだRRASの第02世代は千体くらいしか出回ってへんのやで! よりマンカインドに近づいてるはずや……そう、ピチピチの若い女の肌にな……!」
「……おじさん、交互に私たちの身体、見ないでくれる? 顔がにやけて気持ち悪いわ」
「……興奮すんな興奮。なんだ? さっきのジュースのせいか?」
「学術的な探究心や! とくにHBFCのあるヘソの下! あの逆三角形の紋様が浮かび上がっとるあたりは一番熱を持つからな! セーヴァの間では必然的に下腹部をバーンと露出するデザインも流行っとる!」
「はいはい、学術的ね。鼻息あらいなぁ、ちょっと落ち着きなよ」
「ほんでな! 最新のベアトップボディブリファーはなぁ! 排熱機能はもちろん、フロントクロッチのホックボダン二つの位置がまた絶妙やねん……! 歴代の中で一番上に来てるねん! 外したら丁度紋様見えるようになっとるらしいんや!」
「……歴代って、何でそんなことばかり詳しいの?」
「ちゃんと検証がしたいねん! そこでお願いや! ワイのボディブリファーのコレクション、オマエらちょっと着てみいひん? 軍用レプリカから、旧巻き取り式まで、色々用意してあるさかい!」
「いや着ねぇよ、何でそんなの持ってんだ?」
「なあ頼むわ~! 今度来るニューエンジェルの肌と、オマエらマンカインドの肌、どっちがしっとりぷるんとしとるか、ワイのこの手で直接触って比べたいねん! ハァハァ」
「手をわきわきすんな、手を」
「……またハァハァして、なむあみだぶつ……」
「ほんでそのホックボダン! スイッチ押したら、股のところがこう……パカッて開いて、ぴゅるんって捲れるのを、この目で見たいねん……ッ! ワイはいっぺんでいいから、見たいねんっ!!! き、着てくれへん? ハァハァ」
「見るな見るな、アタシらの股ばっかり。目がガチでやばいぞ」
「せーのっ、スケベッ!」
(ガインッ! という激しい打撃音)
「ぎゃいんっ!?」
◇
TRASの第04世代型である私は、発売されてすぐにリーアガルド号に住むヒュームの老夫婦に迎えられた。ユーシンという名をもらって、誇りを持ってマンカインドに奉仕をしているつもりである。
(……でも、天舷の実家には実は「筐体調整槽」がなくて、公衆の「お風呂」に通ってるんだよね)
今はこのレールスター勤務中(往復2週間)なので、車両の最新のお風呂に入れる役得があり、私は毎日喜んで入っている。
私たちセーヴァのほとんどが「筐体調整槽」のことをお風呂と呼ぶ。実際にそのように造られているからだ。睡眠、食事、排泄、入浴、家事、仕事。すべてがマンカインドの生活習慣を模すように工夫されている。
そしてレールスターの十一両目にある、セーヴァたちの公衆調整槽。その脱衣所で数人のセーヴァたちが着替えている中、私はお目当てのリーアタイプを見つけていた。
私は何気ない素振りを装って彼女の隣のロッカーの前に立った。
名無しのリーアタイプは、機嫌良く青い髪を振って、制服を脱いでいる。RGS社の放熱ベストとスカートの下から現れたのは、社のロゴが入った薄グレーのベアトップ型のボディブリファーを身につけた小さな身体だ。
(ああ、そのインナーね。そういえば私もプラント時代に着せられていたわ。──『ベアトップボディブリファー』、たしかそんな名前だったはず……)
これがセーヴァの正式なインナーなのだという。
このインナーはとても薄い素材でオージャスチャージ機能と高い放熱機能があり、クロッチ(股下)の開閉ができるため、フィグラーレで暮らしたり長時間のコネクト作業には便利なアイテムだ。
(でも、機能を追求した結果、デザインが扇情的になっちゃってるのよね。背中が大きく開いたハイレグカットで、すぐ食い込んでTバックみたいになるし、そのお直しが面倒くさいし、ヒュームの男はこれが好きみたいだし……)
私を含め、リーアガルド号に住まいのある大抵のセーヴァはすぐに普通の下着を買うようになり、これを使わなくなる。
(そのへんのこと知らないわ。リーアガルド号は四季があるけど、フィグラーレは常夏だから、やっぱりベアトップボディブリファー(それ)を使うセーヴァは多いのかもね、調べてみよう)
「ん、あれ? またか。かたいなぁ……」
隣でリーアタイプが、股上の金具を外すのに苦戦している。
肩や背中が広く開き、薄い生地が胸から腰を覆い、そのままクロッチが股上まで伸びて二つのホックボタンで留まっている構造だ。最初はホックが固いため、つい乱暴に扱ってしまう気持ちはわかる。
「えい」
(あ、それやると……あーあ)
ぺキッと、ホックの噛み合わせが痛む嫌な音がして、ぴゅるんっとクロッチの生地が後ろへ丸まった。……私は色々思い出して眉間にシワを寄せた。
(強引にホックボタン外さず普通に下から脱げばいいのに……。あれ、《貝殻》のアームが自動で外してくれる機能もあるから、ちょっと固いのよね。おまけに外れたら、アンダー・クレードルの邪魔にならないように、お尻の方へ『ぴゅんっ』て丸まっちゃう仕様だし)
しかし彼女は気にせず上機嫌でインナーを脱ぎ捨て、青い髪を揺らしていそいそと浴室へ入っていった。
(あとで教えてあげよう。どういうことになるか分かってないみたいだし。脱ぐだけなら外さなくても脱げるし)
……ああやって荒っぽく引っ張り続けてると、ホックがバカになって、油断してる時にペキンッて勝手に外れちゃうのよね。
私たちセーヴァは有線接続の都合で短めのスカートを穿くことが多い。
(そんな時に強い風でも吹いたら……ああ、思い出したくもない大惨事だわ。稼働して間もないあの子は、きっとまだあの一着しか持ってないだろうし)
浴室に入ると、私は手早く身体の汚れを落とし、彼女より先に高濃度調整槽に浸かった。薄いピンク色をしたお湯の温度はちょうど良く、主成分である《貝殻》と同じナノマシンたちが熱からエネルギーを得て活発に働いているのがわかる。
「はぁぁ~……」
髪を浴槽に浸すと、ナノマシンが染みこんでくる。全身をくまなく点検と修復をしてくれているのだが、感覚として何かを感じるワケではない。意識回路はボーっとくつろいでいるが、身識回路はしっかり作用して、点検率のメーターが少しずつ上がっていく。
顔にお湯をかけていると、ちょうどいい具合に、名無しのリーアタイプが「失礼しまーす」と隣に入ってきた。
「こんにちは。リーアタイプのセーヴァさん」
「はい、こんにちは! あなたは、えーっと」
(なるほど、可愛いじゃない)
小首を傾げてこちらの顔を覗き込んでくる、とても好感的な人懐っこさを感じる、弾けるような愛嬌に溢れた挨拶だった。これだけで、先ほどまでの私のマイナスな印象は随分と中和されてしまった。
「私はユーシン。ティエイタイプのセーヴァよ。このレールスターのAIをやってるの」
「ええっ!? このシャトルのAIさんですか!?」
ザバッと薄ピンク色のお湯を波立たせて身を乗り出すと、彼女は鳶色の瞳をキラキラと輝かせた。軌道鉄道『走る最先端ホテル・レールスター』と称されるこのリニアシャトルAIといえば、セーヴァなら誰もが憧れる花形だ。身を乗り出して瞳を輝かせている様子は少々大仰だが、不審なところはない。むしろ感情豊かで好印象だ。
・・・
「──そんな感じで、三人のセーヴァでここのAIを回しているの。私はついさっきまでコネクトしてて、今日はもうあがり」
「すごーい!」と、彼女の鳶色の瞳が好奇心に燃えている。
「コネクト中は、車内のことはアラヤ識回路を通して何でも分かるの。だからあなたがまだ名前がないことも知ってるわ」
「ええっ!? す、すごいですね」
「それにね。あなた、昼間にレールスターの公共サーバーにオンラインしてきたでしょ?」
「ほぇ~、そんなことまで気配りできちゃうんですか」
リーアタイプは幼体らしく感心しながら、自分の髪を浴槽に浸けた。
「まあね、それであなたたちのこと、気になって見てたのよ。オンラインしてきた時、あなたこーゆーのも読んだでしょ」
幼体らしく素直に感心している名無しのリーアタイプに、私は指先で微弱なサインを送り、彼女の視覚領域(ARウィンドウ)に直接『あるキャプチャー画像』をポップアップさせた。
「……あっ」
見る見る間に、リーアタイプの顔が赤面していく。
私が送ったのは、彼女が熱心に読んでいた『恋人の夜の過ごし方』を紹介するサイトのページだ。『セーヴァは筐体が見かけより重いので男性の下に……』といった、丁寧な解説画像付きのページである。
生き恥を晒された彼女は、髪の毛の根元まで真っ赤にして固まってしまった。頭頂部から、プシューッと微かに排熱の湯気が上がっている。
「確かに私たちは重いからね。そういう気遣いは大事よ。でもね、あんな無防備なアクセス履歴、オフラインする時にちゃんと消しとかなきゃダメじゃない。プロキシも通さずに丸見えだったわよ? 公共のサーバーはマンカインドもセーヴァも、色んな人が使うのよ? 軌跡が残るの知ってるでしょ? 私が代わりに消しといてあげたけど、誰かに見られたら恥ずかしいでしょ?」
「ご、ごめんなさい……」
「それにね、そこにサーバーがあるっていうことは、そのネット環境を管理している者が必ずいるんだから、無人格AIだったらいいけど、でもセーヴァが管理してるならちゃんと挨拶くらいしないとだめよ。まあ、今後気をつけることね」
「……はいぃ、気をつけますぅ……ごめんなさい」
身を縮める彼女の声は消え入りそうだった。
(うわっ、ちょっと、きつく言い過ぎちゃったかな? 幼体相手にかっこ悪いわ……!)
稼働3ヶ月の幼体に対して先輩面で説教している自分に気付き、私は少し反省した。できるだけ優しい声色を作って、本題を切り出す。
「──話かわるけどね」
羞恥でエビのように身を縮めている彼女に、私はそっと尋ねた。
「あなたと一緒にいる、あの、黒い髪の人があなたのマスターでしょ?」
「……え? ああ、はい。そうです」
暗然と気が滅入っている返事だ。モニターしていた時のような、きらめくような弾み出る若々しさのかけらもない。しまったなぁ、可哀想だ。
「恋人なの?」
その瞬間、彼女は空気銃で撃たれた小鳥のように目を丸くし、口をパクパクさせた。暗い氷の緊張が一瞬にして融け、熱湯のような羞恥が沸き立ったのがわかる。
「こ、こ、こここ、……い、いいえ、まだ、その」
「あ、違ったの? ごめんね、ものすごくラブラブだったからてっきり」
「らっ、らぶらぶ!?」
彼女は恥ずかしさのあまり、ブクブクブクッと泡を立てながら、お湯の中に顔を半分浸けてしまった。
浮き沈みの激しい豊かな感情表現を目の当たりにして、私の心の中にあった疑問の雲があっと言う間に晴れ始めた。
彼女は、あの青年と出会ってまだ半日。昨日までプラントにいたと言っていた。
(メールに時限的に違法プログラムが仕組まれていたとか? いや、これほど不器用で、パラメータの限界を振り切るような生の感情の乱高下は、どんな精巧なプログラムでも再現できない。ということは、違法人格改造の可能性はほぼゼロ、ね。)
消去法でたどり着いた答えに、私は安堵と、彼女を疑ってしまったことへの少しの罪悪感を覚えた。
「あー、つまり、それが一目惚れってヤツなのね」
「っ……!?」
ぶくぶくとお湯に沈んでいく彼女は、つむじまで赤く染めながら「……はい」と小さく答えた。
モニター越しに見ていた時に感じた違和感の正体。それは、あまりにも素直で大仰な感情表現だったのだ。相手に好意を伝えることに躊躇いがなく、周りの目を気にするフィルターが全くない。いったいどういうAS電脳をしているのか、アラヤ識回路とマナ識回路を覗いてみたい。
(気持ちや思いを、こんなに素直に表現できちゃうんだ……)
私は純粋にすごいと思った。育ててくれたヒュームの両親に報いるため、常に「優秀で模範的なセーヴァ」であろうと自分を律してきた私には、そんな風に感情を爆発させることはできない。周りの目を気にして私が遠慮してしまうことを、彼女は平気でやってのける。
ソシエの格言『セーヴァは愛を知って一人前』だ。もしかしたら、このお湯の中でぶくぶく沈んでいる幼体は、私より数段先へ進んでいるのかもしれない。
私だって優秀なセーヴァを目指してる。その志は誰よりも高いつもり。でも目の前の恋をしているこの小さいセーヴァは、愛の力で数段飛ばして大きなことを成し遂げそうな気がする。
「羨ましい……」
私が無意識にそう呟いた瞬間だった。
「あのあのっ! あのね、ユーシンさん! 聞いてくださる!?」
突然、お湯の中からザバーッと勢いよく顔を出した彼女が、私に盛大にお湯を浴びせながら、目をキラキラさせて詰め寄ってきた。
「リジンさまって、本当に素敵なの! 初めて見たのは送ってもらった画像だったんだけど、それ見て身体に電気が走ったの本当に! 一見すると物静かで陰気に見えるかもしれないんですけど、実はとっても優しくて、私のおしゃべりもちゃんと聞いてくださるし、さっきも私のこと可愛いって言ってくださったんです!」
「えっ、ちょ、ちょっと……」
後ずさる私を逃がすまいと、彼女はお湯をかき分けてズイッと鼻先が触れそうな距離まで迫ってくる。
「それにね!私がお名前がほしいって言ったら船で待ってる仲間たちと一緒に考えてくれるって!すっごく大切にされてるって思いません!?さっきステーキあーんってしたらすっごく照れちゃってそれに健康的な歯並びだったわ!心拍数の上がり方から見ても絶対に私のこと意識してくれてるし!ああどうしよう私明日からどんなふうにリジンさまのサポートをしたらいいのかしら!それにとってもいい匂いがするのよ!あやっぱり夜の過ごし方の勉強も……」
(一息に言い切った!)
「わかった! わかったから! 声が大きい! 私の聴覚センサーを壊す気!?」
早口で語られる膨大な情報量に、私のアラヤ識が『処理能力超過』の警告音を鳴らし始めているようだった。ミフチルの「あいつの舌はカーボンナノファイバーでできてる」という軽口が脳裏をよぎる。
それからたっぷり、私は彼女の「リジンさまのここが素敵」プレゼンテーションを至近距離で浴び続ける羽目になった。ノンストップで浴びせられる熱烈なトークに、私の情報処理回路は完全に焼き切れそうだった。少し意地悪く指摘したこともあって、優しく聞いてあげようと思ったのだが、熱湯でのぼせたように意識が飛びそうになりながら、強く後悔した。
「あー、すっきりした! ユーシンさん、お話聞いてくださってありがとうございました! また明日ね!」
すっかりご機嫌になったリーアタイプは、鼻歌交じりに浴室を出て行った。濡れたタイルでツルッと滑りかけて「ひゃんっ」と変な声を上げていたが、何事もなかったように脱衣所へ消えていく。
私はのぼせ上がった頭を押さえ、ふらふらになりながら一人、静かになった湯船に取り残された。どっと疲労感が押し寄せてくる。点検率のメーターがマックスになったのはとっくの前だ。私のHEスキンからは、過充電による微かな排熱の湯気が立ち上っている。
『まるで小さい嵐だね』
脳内に直接響く、どこか他人事のような通信。
『ちょっと~。もう、いつの間に「枝」つけたのよ』
「枝」とは、セーヴァ同士の秘匿された並列通信リンクのことだ。つまり、私のセンサー情報を無断で分岐させて、やり取りをこっそり傍受していたのだ。
『いや、お風呂行くっていうからさ、最初からだよ? そんな面白いのほっとくわけないでしょ』
あきれたことに、ミフチルは最初から私とあのリーアタイプのやり取りを「観賞」していたらしい。私はよく彼女に枝をつけられ、プライベートを覗き見されるので今更たいして驚きはしないが、本来ならば重大な人権侵害であり、セーヴァとしてのモラルを疑われる行為だ。しかし、閉鎖的な空間で交代制の業務をこなすシャトルAIたちにとって、乗客や仲間のドラマを密かに観察することは、数少ない、そして重大な「秘匿された楽しみ」でもあった。
『良かったじゃん、ウイルスとか改造の心配なくて。改造されてるのは多分「舌」だけだね。いや、突然変異か』
『ええ、そうみたいね。よくあれほどしゃべれるものだわ』
『ってゆーか、驚いたね、いや~、感心したよ。まさか稼働3ヶ月の幼体が恋をするとはね~』
『ええ、そうね。うらやましい限りだわ』
『そうかなぁ。前途多難だと思うけど? 段階を飛ばしすぎてる。ちぐはぐなヤツになりそう』
ミフチルの淡々とした、けれど確信めいた言葉が脳識に響く。
私は高濃度調整槽の温かなナノマシン羊水に身を委ねながら、視界の隅に浮かぶホログラムのステータスウィンドウを眺めた。長時間調整槽に浸かったため、アラートを出していた筐体のあらゆる不具合がクリアなグリーンに変わっている。電力も満タン、過充電もいいところだ。
「ちぐはぐ」という評価は、論理的に考えれば正しい。セーヴァは通常、数年の歳月をかけて多くの記憶種子を薫習し、徐々に感情の層を厚くしていくものだ。出会って半日のマスターに全リソースを捧げるような執着を抱くのは、AS電脳の成長プロセスとしては明らかに異常事態と言える。
けれど、さっきのあのリーアタイプの、ひたむきで眩しいほどの笑顔を思い出すと、それが単なる「バグ」だとはどうしても思えなかった。
『ま、アッチの方面の発達はすぐに進むかもね。幼体のくせにかなり意識してるみたいだし。私の当直の時にあの子がオンラインしてきたら、例のコードをコピペして、ついでに枝も挿してやるかな』
『例のコードって……! それっ、幼体セーヴァに渡していいやつじゃないでしょ!?』
『いいのいいの。これまで多くのセーヴァから感謝の意を表されたから。この名無しのリーアタイプこそまさしく必要だと思うね。むしろ発散させないと、エラー重なりすぎて成長障害が出そうだ』
いけしゃあしゃあと言い放つ大先輩の、ある意味筋の通った破天荒な理屈に、私は思わず頭を抱えたくなった。この人にモラルを説く気はもうとっくの昔になくなっている。
(……まあ、悪いようにはならないんだろうけど)
浴槽の薄ピンク色のお湯をちゃぷんと手で掻き回してため息をつきながら、せめて現実的な問題点を指摘する。
『──それに、あの子は海洋探査船のAIをやるって言ってたわよ。碧海に出たらほとんど通信できないんだから、枝なんか挿してもリアルタイムの傍受は無理でしょ』
『シャトルから降りた後のことはそれでいいの。大事なのは今のうちさ』
ミフチルは「にっししし」と下世話な笑い声を脳内に響かせた。
『あのマスターのお兄ちゃんたらさぁ。今、部屋に一人でお留守番だったからシャトルのサーバーに入ってきてさ、「セーヴァの正しい育て方」や「幼体との接し方」を一生懸命検索して勉強してるんだよ。えらいよねー、さっきの名無しとネットの使い方真逆じゃんねぇ』
『そうなんだ、いいマスターで良かったわね』
『そんでさ、ご褒美にと思って、にしししっ……検索候補にこっそり「セーヴァと夜のお勉強」って書籍リンクを紛れ込ませてやったんだよ。そしたら、そっちもちゃっかり今見てくれてるんだよ』
私も『重大な秘匿行為』を楽しんでしまっているから言えた義理ではないのだけれど、検索候補への介入だなんて、まだまだ私にはできない荒技で、やり過ぎだと思う……。
『……? 何のお勉強の本なの?』
『やだ、ユーシンったらほんと生真面目。メシ食ってしっかり放熱したら、 貝殻部屋 (コネクティングルーム )に来なよ。おせーてあげる。……にしても、やーっぱりヒュームの男って、ホント単純で可愛いなぁ~』
通信越しに響くその言葉には、単なるからかいだけでなく、どこか遠い目をしているような、懐かしむような響きが含まれている気がした。
私は80年という悠久の時をこの星で刻んできた大先輩の過去に思いを馳せ、その意識の端を、慎重に、けれど好奇心を抑えきれずに手繰り寄せた。茶化されるのを覚悟で、先ほどからずっと気になっていた問いを真面目なトーンで投げかけてみる。
『ヒューム男性との結婚経験のあるミフチルからみて、あの子、どうだった?』
『まだまだ。まーだまだ、子どもの憧れ的な恋のレベルだね。でもあっと言う間に膨らんでいきそうだ。でもまぁ、私が結婚したの70年も前だし今とは世情がまた違うよね。……それに、私なんかは、前の旦那のこと本気で好きになるまで10年かかってるから、比較の参考にもならないかな』
バリッと、通信越しに小気味よくセンベエをかじる音と、ズズーッと甘いコーヒーをすする音が混じった。彼女は今ごろ、無線接続でAI業務を回しながら、反対側のシートでお菓子を広げているのだろう。
私は浴槽の縁で頬杖をついた。
『ねぇ。……やっぱり、恋をした方が、もっと成長できるの?』
『そうだなぁ……。それはまぁ、そうだね。否定できないな。私がシャトルに執着しているのも、旦那のためでもあるし』
ミフチルは外見年齢12歳のアーゼルタイプ、すなわち本来は家庭用セーヴァだ。かつて自分を「永遠の子ども」として愛してくれた夫を看取った彼女は、夫が憧れ続けた「碧い惑星」への夢を乗客に託し、軌道レールが開通する前から数十年もの間、このシャトルを守り続けている。
彼女のAS電脳を支えているのは、愛という名の強烈な「執着」なのだと思う。
『……そうね。あの子も、いつかその恋が執着になって「智慧」に変わる時が来るのかしら。……私、もう上がるわ。通信を切るわよ』
『はーい、おつかれちゃーん。……って、おおっ! ちょい待ち、ちょい待ち! だーっはっはは! 「リジンさま~、何みてるんですかぁ?」って、バレてないけど、すっごい慌てっぷり! ひーっひっひっひ!』
『……もう、悪い人だなぁほんと。で、何なのよそれ?』
『いいからいいから、メシ食ってしっかり放熱したらおいでさ~』
『はいはい、もう切るわよほんと』
『あ、なんか買ってきて』
私は呆れ半分、好奇心半分で脳内の接続を遮断し、ミフチルに刺された枝をぽいっ抜いて、現実の静寂へと戻った。
深くため息をついて、ザパァッとお湯を掻き分けて立ち上がろうとした時、波立つ水面に合わせてナノマシンが微かに明滅し、ハッとして脱衣所の扉を見た。
「あ……下着の金具のこと、言うの忘れた」
あのリーアタイプの乱暴な扱いでは、いつ金具が壊れてもおかしくない。
私の呟きは、湿った浴室の空気にむなしく溶けて消えた。
◇おまけ
【記録アーカイブ:創星歴721年 軌道鉄道レールスター車内通信ログ】
より抜粋
「──金なら幾らでも融通してやったというのに。もっとこの母を頼りなさい。ファルクラム号の経営が相当逼迫しているのだろう?」
「**********ッ! ………………****?」
「それは違う。よく考えなさい愛息よ。ライライトがいる家は母の不動産だぞ? 彼らからは母は『直接』何も聞いていない」
「***……!?」
「ガークスター家の情報網は広大なのだ」
「……****……*****?」
「お前の監視などしていない。船の情報も、リオリスに入港してお前が送信しない限り何も分からないぞ」
「……****?」
「確かにな、母もそうであったように、ガークスターの次期当主たる者、ファルクラム号の運営という試練は必修だ。その船は代々受け継がれた大切な一族の資産だからな。だが母はお前にそんな期待はしていない。それよりも次世代の方が重要だ」
「****!?」
「ふふっ、照れるな。母は早く、お前の優秀な遺伝子を受け継いだ孫の顔が沢山見たいぞ。沢山だ。その乗船させたというガルガン樹族の姉妹は、お前の嗜好に合致しなかったのか? 族長の娘なんだろ? 嫁にするつもりで乗せたのではなかったのか? 会ってみたいぞ?」
「*******ッ!? ***ッ! ***ッ!!」
「なんだ、今回莫大な借金をしてまで購入したというリーアタイプのような、小柄で未成熟な造形が所望だったのか? ならば母も肉体を再構築し、幼児化してやろうか?」
「**********ッ!」
「母には資産がある。お前をとことん愛するためにこの身体を20代に留めることができるのも、豊かな老後資産のお蔭だ」
「*****ッ!!」
「強がるな、愛息よ。お前は母の乳房が大好きだったではないか。分泌が停止した後も、五歳になるまで執拗に吸い付いていたというのに」
「***********ッ!!!!」
「それにしても、早計に過ぎる。社会の定石を知らぬわけではあるまい」
「****、******ッ!」
「実子の養育を終えた夫婦が隠居生活を見据えてセーヴァを育成するのだ。今母がそうしているように。可愛いぞ? 母が世に出したセーヴァはこれで三人目だ。でもそれはお前を育てた経験があるから、可愛がることができるのだ。彼女たちのお蔭で母の老後はとても豊かだ」
「……****……*****」
「それを二十代の若造が単独で九千万の負債を抱え、未成熟な個体を買うなど、人生設計が完全に破綻している」
「……****」
「……はぁ。お前がそこまで極端な奥手で初心な男に育ってしまったのは、全てこの母の不徳の致すところだな。早く孫の顔が見たいぞ。本当に。若い娘ばかり集まっていいじゃないか、全員と子を成せ」
「****!」
「待ちなさい。今、母は天舷で四人目の『RRAS01DX』を育成中だ。一言甘えてくれれば、この子を無償で譲渡してやったというのに。いい子だぞ? 今からでも手配して送ってやるぞ? RRAS2人体制ならば艦の運用も盤石じゃないか。それともARASか? SRASか? 以前同乗していたKRASのアーニャとは、男女として上手くいかなかったのか?」
「**********ッ!」
『リジンさまーっ! お風呂あがってきましたぁ〜! あっ、もしかしてどなたかとお電話中ですか?』
「おや、随分と可愛らしい声が……」
「*****ッ!」
(※ここで通信は強制切断されている)
「…………すげぇ親だな。ガークスターの本家だったんだ。……こりゃあ、お兄ちゃん大変だろうなぁ。──それにしても昨日もそうだったけど、いいところで名無しがお風呂から帰ってくるなぁ。そういう運命なんだろうな。……客プラ保護設定でアーカイブしとくか。ユーシンにも後で聞かせてやろっと」
(※保存実行)




