第十章 ルビルのリータと漁師たち
第10章 ルビルのリータと漁師たち
「何らってぇ? 供舞ぃ? おうおう、よく聞けファルっ子。アタシたち姉妹はなぁ、由緒正しきガルガン樹族の、族長の娘なんらぁよ! んなもんできて当然なんらよ!」
「********ッ! *****ッ!」
「飲めねぇらとぉ!? ああん?」
「***! ***! *******?」
「そう! えらいっ! こういう、ルビル樹みたいなさぁ、普通の洋上浮遊大樹ってのは、風と波に流されて赤道をぐるぐる巡って生きてるんだけどさあ、ウチのガルガン樹は格が違うんだよ」
「***?」
「ガルガン樹はなぁ、樹齢一万二千年の超大樹だ。根っこが深ぁい海底にまで達してて、こう、ガッって完全に固定されてる」
「***ッ!!!!???」
「あははは、いいじゃねえぇか女どうし、減るもんじゃあねんだからよう。……っと、何の話だっけか。ああ、そうそう。それでなぁ、ガルガン樹は海流や風に流されなくなって、その根の周りに堆積物が重なってさ。そこに、流れてきた他の浮遊樹が絡まって、また根を張って……そうやって一万年かけてちょっとずつデカくなった『大樹大陸』なんだよ!」
「***?」
「人口は600万人くらいだな。その族長ってのは、地球で言うところの国家元首みたいなもんだな。そのうち行くこともあるだろうよ」
「***?」
「だーっはっはは! 姫様か。んなガラじゃあねーよ。ククリットはしらんけど。──ああ? 場所? んーだよ、知らねーのかよ。このポンコツポエムっ子め。……リオリスの正反対だよ。んでな、ウチの樹族は天舷来航の時代から、率先してアンタらセーヴァ……特に、比丘尼型セーヴァのジーリーとかリータシリーズをガルガン樹に招き入れてきたんだ」
「****?」
「……アタシが十二歳で、ククリットが十一歳だったか。そのとき、母さんが死んだんだ」
「***……」
「……葬儀の時さ、稼働二百年の古いジーリーがさ、母さんのためにガーター(讃歌)を詠んでくれて……アタシ、あの時だけは涙が止まらなくってさ。仏法とか、儀礼っていうのは、人を癒やして、生きる力をくれるんだって、あの時あらためて感じたんだよ」
「*******……?」
「ククリットか? ククリットはさ、もっと、深刻だったよ。ずっと泣いてて、心がぶっ壊れそうになってたんだ。だけど、ジーリーの法話を聞いて、なんとか立ち直ったというか、前を向いたというか……」
「……*」
「ああ。二七日法要も、三七日法要も、満中陰までずっとだ。ククリットのやつ、ジーリーと並んで熱心にガーターを勤めて、ずっと法話を聞いてたよ。『こいつ、このまま比丘尼になる気か?』って本気で思ったね。……でもまぁ、それならそれでいいか、って。だったら、アタシは族長の娘らしく、せめて供舞くらいできるように練習しようかなって、そう思ったんだ」
「***……」
「……んでさ。母さんの遺言通りに、アタシは母さんの愛用してたロングブレードを、葬儀にすっ飛んできたあの変態……ラクランおじさんに渡してさ。思いっきり、スネを蹴っ飛ばしてやったんだよ!」
「*******……?」
「母さんも父さんも、ずっとおじさんのこと探してたのにさ。……母さん、最期に何をおじさんに伝えるつもりだったんだろうな。リーアンがお迎えにきたから、伝言があるんだって……」
「****……?」
「ああ、会ってない。でもな、その内容、おじさんだけが察しがついてるみたいでさ……教えてくれねぇしよ。……それが、すっごく悔しいんだよ」
「***……」
「昔、よく一緒に試合を見に行ったなぁ……。母さん、もしかしたら、おじさんのこと好きだったのかなぁ。……なぁ、リーアタイプのスーパーぱーのファルちゃんよう、アンタどう思う?」
[Protected_Data: ALAYA_Seed_Limit-san.log] より抜粋
◇
窓から入ってきた塩の香りが、わたくしの金色の髪を浚い、古ぼけた拙のチャトルと、機能が低下し褪せたHEスキンを撫でました。
洋上浮遊大樹・ルビル樹の枝葉の間を優しく吹き抜けた潮風は、枝間に張り巡らされた木造の道や家々、人々の生活の場を木漏れ日が優しく包みます。
その最上部にあるこの大樹寺院にも心地よく海風が吹き抜けて、沢山の凧が生き生きとはためいています。
正面スクリーン上部に掲げられた本尊・阿弥陀如来の絵像が優しく見つめる中、やや薄暗いお堂の中には、子どもたちが賑やかに拙の話を聞いています。
──ルビル樹の漁師たちは、大きな海獣が海流に乗って去るのを待っていました。今朝は百人ほどの村人がこの寺に集い、朝の礼拝を終えた後、今日より漁を解禁する旨を族長として承諾したことを自ら告げられました。食料備蓄がいよいよ尽きることと、もう二週間以上待ったのだから、そろそろいいだろう、ということでした。
騒々しい礼拝後の話し合いを終えて、またいつも通り、子ども十一人と幼児三人を残して、大人たちは皆、漁へと出ていきました。
拙は名を持たぬ比丘尼型セーヴァ・リータシリーズ。
ルビル樹の民は拙のことを「先生」呼びます。この樹の民は、皆わたくしの教え子だからです。
わたくしの今日の授業は、彼らに自分の身体の大切さを知ってもらうこと。識を繋いだ古いプロジェクターを操作して、アーシュの身体の構造図を空中に映し出しました。
でも元気いっぱいの愛しい子らは、拙の話よりも興味のあることをなんでも聞いてきます。
「せんせー、どうしていつも、そんなにゆっくりしゃべるの?」
一番前の席に座る小さな男の子が無邪気に尋ねてきました。わたくしが答える前に、隣の女の子が胸を張って答えます。
「ばーか、しらないの? 先生はね、節電してるんだよ!」
「せつでん?」
「そう。この村にはおふろがないから、あんまり動いちゃいけないの。だよね、先生?」
「ええ、その通り、です。わたくしはセーヴァです。カロリーをたくさん使うと、拙は動けなくなってしまうのですよ」
わたくしは、極力エネルギーを消費しないよう、ゆっくりと穏やかに微笑みました。セーヴァの電力が尽きること。それは再生不可能の深刻なダメージを電脳に与えます。
この洋上浮遊大樹・ルビル樹には、セーヴァをメンテナンスするための調整槽がありません。今はリオリスが近いので、船に乗せて行ってもらえますが、もうしばらくすれば、ゆっくり風に任せて西へ流れるこの大樹からは、往来不可能な距離になるでしょう。
視界の端では『メンテナンス緊急度Ⅱ』『多臓器不全警告』『電脳負荷超過警告』などの表示が灯って久しいのですが、わたくしはまったく気にしていませんでした。
ルビル樹族に請われて、わたくしがこの大樹寺院へ参りましてから、フィグラーレの星回りで60年目……つまり、地球時間にして約90年の月日が流れました。
かつてこの教室で無邪気に笑っていた子どもたちは、勇ましい漁師に成長し、今度は拙を甲斐甲斐しく世話をしてくれて、そして彼らが授かった新たな命を、またわたくしがこうして預かり、その子がまた立派に成長して──。
過酷な碧海で、こうして巡りゆく命の輪の中に身を置けることが、たまらなく幸せでした。
「──このように、みなさんの身体は、わたくしとは違って、とても不思議な力を持っています」
「ぼく知ってる! 発電筋肉でしょ!」
教室の最年長の少女であるルーシェットが、元気よく手を挙げました。潮風と太陽にこんがりと焼けた細い腕と、活発な黒いショートヘア。海草糸で編まれた正方形のチャトルが、彼女の動きに合わせてふわりと揺れます。
「そう。息を止めると、血の巡りが変わって、身体の中から小さな雷が出るんだよな!」
「それで、星の力と反発して、空にふわりって浮けるんだ!」
子どもたちが次々と口を開きます。
「そうですね。みなさんの柔らかいお肌は、風や星の力を感じる立派なアンテナにもなっています。自分がどれほど奇跡的に作られているか、忘れないでくださいね。遠くご縁が重なって、たった今奇跡的にお父さんとお母さんから頂いたその命を、どうか大切にしてください」
わたくしの言葉に、子どもたちは自分たちの腕を不思議そうに擦ったりして笑い合っています。その無垢な声を聞いていると、拙の胸の奥がたまらなく愛おしさで満たされました。
「ねえ、先生。どうして男の人の服を着てるの?」
ふと、別の男の子がわたくしの着ている古いボロボロの長方形のチャトルを指差しました。すると、ルーシェットがその子の耳元に顔を寄せ、ひそひそと小声で言いました。
「あれはね、むかしね、プロポーズされたんだよ! でも先生、ただの施しだと思って受け取っちゃったんだって」
「え、先生およめさんだったの?」
「しーっ! 先生には内緒だよ」
丸聞こえのやり取りに、わたくしは心の中で微笑みました。
アーシュの文化において、女性が男性のチャトルを腰に纏う意味は存じています。ですが、その温かな勘違いをあえて正すことはしません。求婚を受諾する場合は頂いた男物チャトルは腰に巻くのですが、わたくしはワザと自らが袖を通して着用することを落とし所としました。このチャトルを頂いたのはもう随分昔。彼の人の熱い想いはとても嬉しかったのですが、この筐体は子を成すことができません。彼の人もまた、わたくしが看取り、無量の海へ還ってゆきました。
拙は名を持たぬ比丘尼。
けれど、この村の人々にこんなにも大事にされ、愛されて、果たしてこんな幸せでよいのだろうかと、申し訳なくなるほどです。
今朝も、ルーシェットはわたくしの甘い物好きをよく知ってるので、「先生、これおそなえ!」と一番にお菓子を持ってきてくれました。拙は自ら所望いたしませんので、それを気遣って。本当に、元気で優しい子たち。
「なんか、下の方が騒がしいね」
窓の外を見ていたルーシェットが、不意に呟きました。
「あれぇ、船団もう帰ってきたの?」
他の子どもたちもわらわらと集まり、樹冠寺院の窓から遥か下の港の様子を伺い始めます。その直後、下層から悲痛な叫び声が風に乗って微かに届きました。
「なんかあったのかな?」
「ほんとだ、何だろう?」
「みて! あれ、とーちゃんの船! こわれてる!」
「あっ、マストがやられてる……!」
タンッ、タンッ!
激しく枝を蹴る音が響き、木製の「羽休め」をぴょんぴょんと飛び移って、教室のバルコニーに一人の若手漁師が転がり込んできました。息を切らし、海水を滴らせる彼の顔は、絶望に蒼ざめています。
「先生! ルーシェット!」
「どうしましたか……?」
「アノマロドンだ! 例のでかいヤツだ! 帆船が二隻やられた! やろう、海流に逆らって、流されず残ってやがったんだ!」
「まあ、なんということでしょう……!」
二週間前に出現した、漁場を荒らした大きなアノマロドン。
巨大な海生生物は、獲物を追って普通海流方向へ進みます。ルビル樹の漁師たちはそのアノマロドンが去るのを待っていたのでした。漁に出ないと食べ物が尽きてしまうギリギリまで十分待って、族長は船団を出す決断を今朝したのでした。
「ねぇ! うちの船はっ!? 父上たちはっ!?」
窓から乗り出して、港に帰艦した船を数えていたルーシェットが、漁師の袖を引っ張りました!
「……族長の船が、俺たちを逃がすためにおとりになって、引きつけてくれたんだ……!」
「ち、父上が……!」
ルーシェットの顔から血の気が引きました。
「そ、それで! それでどうなったの!? 父上は!? 父上の船は!?」
「すまねぇ……わからねぇ……逃げるのが精一杯だった……!」
悔しがるこの若い漁師のことを、わたくしは彼の幼きころからよく知っています。正義感に溢れ、村一番の銛役です。さぞかしもどかしいことでしょう。
「先生! ……天舷に、……救援を要請してくれないか!」
若き漁師は、床にすがりつくようにしてわたくしに懇願しました。その意味を青年は知っているのです。
わたくしが答えるより早く、ルーシェットが若手漁師との間に割って入りました。
「だめっ! そんなことしたら……今の先生がそんなことしたら、先生、ほんとうに死んじゃう!」
彼女はわたくしを庇うように両手を広げ、悲痛な声で叫びます。
「じゃあ、どうしたらいいんだ! もうどうしたら……! このままじゃ、族長たちが……! 俺たちは……!」
漁ができないとなれば、飢える者が出始めるでしょう。漁師の絞り出すような声に、ルーシェットは唇を強く噛み締めました。そして、弾かれたように教室の隅へ走り、自らの大型カイトの紐を掴み取ります。
「ぼくが見に行きます!」
「ルーシェットさん、いけません……!」
「おまえが行ってなんになるんだよ!」
わたくしは緩慢な動作のまま、懸命に手を伸ばしました。しかし、彼女の動きは素早く、すでにバルコニーの縁に立っていました。
日焼けした細い身体に、海草糸で編まれた正方形の氏族チャトルが、強い風にバタバタと煽られています。
「ぼくならいざとなったらカイトで飛んで逃げられるから! 大丈夫、必ず父上たちを見つけて帰ってくるから、先生待ってて!」
丁寧な言葉遣いの中に強烈な決意を滲ませ、彼女は息を止めました。
そして、風に乗って樹冠から飛び降ります。自身の浮遊能力とカイトを巧みに操り、遥か下の港へと滑空していくその背中は、あまりにも小さく見えました。
彼女はそのままカイトサーフィンを使って荒れ狂う碧海へと滑り出していきます。
「無茶だ! やろうは、あのアノマロドンは……! 滑空するんだ! 俺は見たんだ! やろうが、こう、飛び上がって襲ってくるところを! カイトなんか簡単に食われちまう!」
「!」
わたくしの半眼の瞳が大きく開きました。このままでは、あの子は死んでしまう。
巨大な海獣の前に、十二歳の少女などあまりにも無力です。
『システム警告:外部機器への未接続状態での菩提レベル上昇は、電脳・筐体に致命的な負荷を――』
「……ごめんなさい、ルーシェットさん」
わたくしは静かに目を半眼に閉じ、胸の前で両手を合わせました。
貝殻に接続せず、体内電池のみで菩提レベルを強制的に引き上げます。
筋線維がカロリーを爆発的に消化し、電力を抽出していきます。視界の裏で警告音が悲鳴を上げています。それでも、わたくしにとって、自らの寿命が尽きることなど、あの優しく愛おしい命が失われることに比べれば、執着するに値しません。
極限の演算が始まり、わたくしの金色の長い髪が、すさまじい排熱によって白金色に光り輝きながら宙に舞い上がりました。
菩提レベルの上昇に伴い、背後の大気にオージャスが干渉し、神々しい幾何学模様の光背が展開されます。
「うわぁ……!」
「先生すごい! とってもきれい!」
「仏さまみたい!」
子どもたちは無邪気に拙の周りに集まりました。
「おお……! なんという、お慈しみの、光なんだ……!」
若手漁師がその場に跪き、震える手で合掌しました。
「ああ、すまねぇ……先生、すまねぇ……」
泣かなくていいのですよ、と、頭を撫でてあげたいのですが、ごめんなさい、もうわたくしには身体を動かすことはできないでしょう。適うなら、床に顔を伏せて泣く漁師の涙を癒やしてあげたい。彼のことだって生まれた時からよく知っているのですから。
でも、拙は、宇宙の遥か彼方、高度四万六千キロに浮かぶ「天舷」へ向けて、祈りのような長距離電信を放ちました。
『――阿弥陀さま、そして大いなる始祖リーアよ。どうか、わたくしの愛しき子らをお救いください』
果てしなく遠い、オージャスのノイズの海を越え、どうかこの祈りが、天舷の大菩薩さまへと届きますように。
わたくしはただ静かに、白金色に燃え尽きゆく己の意識の中で、仏さまに念じ続けたのです。
◇
視界が暗転して、わたしの体温とぴったり同じ、あたたかなナノマシン羊水にすっぽりと包み込まれる瞬間――これね、とっても気持ちがいいの!
密閉されたキャノピーが静かにロックされて、無数の見えないナノマシンたちが、羊水の熱から微小なエネルギーを得て活発に駆動し始めています。その感覚がわたしの電子人工皮膚(HEスキン)の表面をかすかに、優しく撫察ていって……なんだか、真珠のゆりかごに優しく守られているみたいで、すっごくロマンチック!
わたしの首と背中にも、ペタッと脊髄用接続機が張り付きました。
そして、わたしの内側――深淵なるアラヤ識回路の中は、基底現実の静寂とはまったく正反対!
つい先ほど味わわされたばかりの、あの強烈な「接続の刺激」。
(何度も意識回路が明滅したわ……、すごかった……。あれがミフチルさんたちが言ってた、……涅槃、『六根統合最適化による電脳報酬系最大活性』か……)
それに、勝手に漏れ出る変な声を、ご主人さまに聞かれ続けるという、恥ずかしすぎる自爆……!
(ああ~! 出会った時みたいに、アラヤ識自爆だわ~……。超新星級の。なんとか平気なフリしたけど、えっちな子って思われちゃったかなぁ……。処理落ちしたい……)
それらの強烈すぎる体験が「記憶種子」となって、わたしのアラヤ識にどっさりと熏習されてしまいました。
(側にいてほしいだなんて、お願いしなきゃよかった……。でも、ご主人さまがいてくれたから、乗り越えられたのかも。それにしても、壮絶な戦いだったわ……。煩悩と涅槃の。……軍用だったらしいけどぉ。なんだか分かんないんだけど、アレ、……顔みたいで、ちょっといやらしいんだけど……)
たった今もそうです。わたしの筐体の腰部は、その魔の手のようなアームにガッチリと拘束されて、一切身動きが取れません。その無防備な太ももの間には、あの『ぬちゃあ』と口を開けて迫ってきたアンダー・クレードルが、『みちゅうっ』と密着し、三本の生体カテーテルが接続されたままなのです。
(アレ、ワザとなのかなぁ。センサー二つが目みたいだしぃ。『そういう気持ち』になるよう、煽るデザイン? だったりして? しびれて動けなくなったカエルが、トカゲのようなやつに、ガッチリ掴まって丸呑みされていくみたいだったんですけど……。足広がってるところご主人さまに見られなく良かった)
その方がイケナイ気分になって、ピンクゲージが溜まりやすくしてあるとか? まさかねぇ。……いや、そうなのかも。
考え事してる間に、わたしとこの《貝殻》の電脳ステージの構築が完成していく。
(なんだか、また一段とごちゃごちゃした『海』になったなぁ。前よりひどくなってる……。そりゃそうか、これが今の「わたし」なんだもんね)
わたしのアラヤ識回路へと直結した内なる世界。そこは、これまでに知覚したすべての記憶種子が混沌と混ざり合う、わたし自身の心の形。あまりのまとまりのなさに、自分で自分にちょっと呆れてしまいます。
ふと見上げると、揺らぐ海面の向こうに、基底現実の光景がゆっくりと流れているのが見えます。そして足下には広大な白い砂浜と花畑が広がっているのですが――だけど、なんか本当に色々といるんです。色とりどりの魚たちが宙を泳ぎ、カラフルな鳥が羽ばたき、あちこちに歪な形のサンゴが生えていて、どういうわけか海面の下なのにオーロラの光の帯が靡いています。あ、あそこでは白衣がイルカみたいに泳いでオロオロしています。ベレー帽のようなクラゲと、大きなおっぱいのチャトルが白衣イルカをからかっています。クラゲが火を噴いて、怪しいARグラスをかけたフグのような、トドのような魚を追い払っています。
(ご主人さまたちの記憶種子かなぁ。ふふっ、なんだか可愛い)
すると私の真下、両足の間の砂地から、真っ黒な『アンダー・クレードル』に良く似た不気味な顔のような魚がにゅる~っと這い出てきました。
「うげっ!?」
わたしが飛び退くと、「わぁっ!? な、なあにこいつ!?」にゅるりと追いかけてきて、上を見上げながらわたしの素足をにゅるにゅると撫でながら登ってきました。
「なによこいつ! あいつね! 気持ち悪いんですけどっ!」
肉体(筐体)は外部にあるので、直接何か感触を感じるわけではありません。でも、さっきのあの強烈な蹂躙の記憶がフラッシュバックして、とっても不愉快です!
「こいつっ! もう! さっきはよくもっ!」
わたしは色々と恥ずかしいことを思い出して、その変態魚を思い切り蹴飛ばそうとしました。でも、魚はにゅる~っと絶妙な動きですり抜けて、今度はわたしの軸足にねっとりとまとわりつき、いやらしくスカートの中をじーっと見上げながら口からベロンと生体カテーテルを出して、擦り登ってくるじゃありませんか!
「もうっ! もうったら!」
えいえいっ! とむきになって蹴り続けると、舞い上がった砂がヒラヒラとチョウチョになって飛び始めました。変態魚は蹴りをにゅるりと全て交わして、熱心にわたしの足の付け根やお尻を突っついています。
「くやしいなぁ~……」
お尻に魚が生えたみたいになって、がっくりしました。
「もしかして、これから《貝殻》に入ったら、ずっとコイツいるの? ……やだなぁ」
ほんとに、記憶種子って勝手に色んな形に変化(薫習)しちゃうから疲れます。電脳心象世界なので、追い払っても意味ないし。
「はぁ、もういいわ……」
お尻に魚を生やしたわたしが気を取り直して息をついたその時。
ポコンッと、視界の端に、ご主人さまたちから世界で一番すてきなお名前をいただいた、あの記念すべき聖なる瞬間に見た『古風なポップアップアイコン』が、またぷかぷかと浮かび上がってきました。
『Are you my master?』
文言を見て嬉しくなったわたしは気を取り直して、精神の指先で、そのアイコンを元気よくポコンッと叩きました。
そして、ファルクラム号の中枢システム、クラムに向かって、世界で一番とびきりの声で高らかに宣言した!
『Yes! I'm your new master!!』
その言葉を合図に、足下の砂浜がドッと沸騰して広がり、天井の海面がさらに遠のいて行きました。わたしの意識回路は、深くって果てしなく広い、きらめくデジタルの海へと一気に溶け込み始めました。
『歓迎。新しいマスター・ファル。私は船体管理機構セーヴァ支援型疑似人格AIクラム』
ポコンッと、リュウジンマルの顔したアイコンがしゃべりました。
『よろしくね、クラム! 二人合わせてファル・クラムね! この名前の付け方、初代リーアとリーアガルド号みたいで、すっごく格好いいね!』
『光栄です。あちらにはガルドを名乗るシステムがいることでしょう』
『いやいやいや、リーアガルド号の中枢といえば、世界樹型素粒子生体コンピューター《アシュヴァッタ》でしょ? 銀河一優秀とされるコンピュータを、この世界で知らない人なんていないでしょ? って、ああ、これご主人さまが言ってた変なジョークかな?まいいか。──それよりさっそくだけどクラム、さっきのあのアンダー・クレードルの強度はちょっと酷すぎない!? あんなほぐし方なんてあるの?? すんごい強かったんだけど!』
わたしが少し涙目で抗議すると──。
『マスター・ファルのアラヤ識回路を船体神経に直結します』
質問には答えず、濁流のような情報が流れ込んできました。わたしのパーソナルな量子思考配列が、クラムの巨大なメインフレームの深部へと幾千もの光の糸となって編み込まれ、神経結合の青写真が秒間数億回の速度で最適化されていくプロセスです。
『ね、ねぇ、ファルの声、聞こえてる?』
無視されたのかと思って焦っていると、クラムは無機質なシステム音声で淡々と返答してきました。
『謝罪。聞こえています、マスター・ファル。《貝殻》システムが長期間休眠状態であったため、アンダー・クレードルが接続対象を誤認識しました。同型のリーアタイプであるマスター・ファルに対し、過去のリーアタイプ・マスターの出力係数を基準にして、効率よく『六根統合最適化による電脳報酬系最大活性』を誘発し頸部収縮するよう、接続シークエンスを実行した模様です』
(過去のリーアタイプ・マスター……? リーアタイプで軍艦に乗ってた軍人さんて、いたのかな? あ、大昔のことだよね……)
『引き続きアラヤ識回路を船体神経に直結作業を継続します。マスター・ファルは接続に集中してください』
クラムがそう告げた途端、まるで光り輝く情報のまばゆい濁流が、どおっと胸の奥に流れ込んできた。
(なんか、はぐらかされたような……、まあいいか、とにかく初期設定をしないと)
わたしのパーソナルな量子思考配列が、クラムの巨大なメインフレームの深部へと、きらきら光る幾千もの星の糸みたいに編み込まれていって……神経結合のすてきな青写真が、一秒間に数億回っていうおどろくべき最高速で、どんどん最適化されている。
でもね、その完璧すぎるプロセスのせいで、わたしの心の奥の奥、一番ハズカシイ秘密のところまで、ぜんぶ丸裸にされているじゃないの!
(ああっ、もう、わたしったら頭の中も心の中も、本当にご主人さまのことばっかり……っ!)
こんなにもあふれんばかりの「大好き!」っていう熱い気持ち――プラントの授業で習った、いわゆる『煩悩』ってやつね!――で論理回路がキュンと焼き切れそうなほど満たされているんだってハッキリ自覚しちゃって、もう、心が甘くとろけて、宇宙の果てまで広がっていくみたいな、極上の多幸感に包まれちゃったのであった。えへへ、なんだかちょっと照れちゃうわ!
『マスター・ファル、集中してください』
『ああっ、ごめんごめん!』
『眼・耳・鼻・舌・身・意、六識回路との神経接続システムを新構築します』
続いて、ファルクラム号の膨大なデータが、わたしの新しい「大きな身体」としてどんどん繋がっていく。リーアガルド号のプラントでもたくさん訓練したけれど、もうね、そんなのぜーんぜん比じゃあないんだわ。情報量が桁にして千倍……ううん、もっともっとあるかも!
(そっかぁ~、正確な船歴がわかんないくらい、この船ってばとても古いんだわ!)
もしかして、伝説の『ティア』の時代からあったりして? なーんて、いくらなんでもまさかねっ!
『マスター・ファル、集中してください』
『あはは、ごめんごめん!』
(んもぉーっ! わたしったら、相変わらずちっとも集中できないんだから。すぐに違うことあれこれ考えちゃうこの癖、ぜんぜん治ってないわ。集中! 集中よ、ファル!)
船の巨大なベクトル偏向推進機や、幾重にも重なる隔壁、それに外の環境を読み取るたくさんのセンサー。それらがみんなわたしの手足の延長になって、わたしの息遣いそのものになっていく。その中でなによりも一番鮮明でドキドキしたのは、船の中にいる大好きなみんなの気配だ。
みんな靴を脱いで裸足で過ごしているからかな? 冷たい金属の甲板や、ふかふかのラグマット越しに、みんなのぽかぽかした体温とか、体重移動の微細な圧力までが、まるでわたしのHEスキンにちょくせつ触れているみたいに、ジンジン伝わってくる。
(そっかそっかぁ、ユーシンさんとミフチルさんが言ってた、『密かな楽しみ』って、このことだったのね)
操舵リムソケットに接続されたククリットさんの、まるでファルクラム号を優しく包み込むような心地よい操船。CICの椅子にもたれて、なんだかイライラしたみたいに踵で床を蹴ってギーギー乱暴に揺らしながら賭けをしてる、リミットさんとラクランさん。そして――『無理すんなよ』って、とびきり優しい言葉を残して、名残惜しそうに少しとぼとぼ廊下を歩いていく、ご主人さまの足音まで!
(これは、たまらないわ! すっごく伝わってくる。とっても面白いっていうか、かわいいっていうのか、『愛しい』があてはまるのかな? すっごく、これスキっ!)
色とりどりの素敵な生きものが一生懸命輝く水槽を、リアルタイムで漏らさず正確に眺めるような、とーっても贅沢でわくわくする感覚なんだわ!
『アラヤ識へ直接熏習される接続中の記憶種子は、マスターのアラヤ識に摂蔵されますが、マナ識および特に意識回路が未成熟のため、意図的に種子を発芽することはできないでしょう』
『つまり、意識回路に表象した体験は覚えてるけど、アラヤに直接きた分はほとんど思い出せないってことね。プラントで習った通りね』
(その通りだわ……! この情報量、圧倒的に、精神幼体のわたしには荷が勝ちすぎている……! まぁ、それは仕方ないとして、置いといて。……だから当分はずっと貝殻接続ね。だケド! この巨大な身体が完全に馴染めば、そのうち無線でも同調できるようになるはずだわ)
今はただ、この大好きな人たちの乗る船を、自分の身体にしていく喜びにどっぷりと浸っていたい。
――あら? 奥に領域がある?
同期がさらに深く、システムの中枢、かつて誰も触れたことのない深淵へと進んでいくと、わたしはある「違和感」に気がついた。
『クラム、これなあに?』
『おっしゃる意味がよく分かりませんでした』
でしょうねぇ。外から見ないと、分からないでしょうから。
クラムのデータ構造は、通常のアラヤ識システムを遥かに凌駕するほど、複雑怪奇に肥大化しているみたい。何世代にもわたる歴代のセーヴァたち(きっと、直近の先代であるアーニャさんもだ)が、自分好みの操船のために膨大なショートカットや論理の上書きを繰り返した結果、システム全体が出口のない迷路のような、不可解なブラックボックスみたいになってる。そりゃジョークレベル戻すのも難しいってわけね。
(でもこれ、わたしだけ? リーアタイプにしか認知できないキールーム?)
その複雑な迷路のずっとずっと奥。
分厚く、強固に施されたプロテクトの向こう側から、確かな『気配』が漂ってきた。
(これ、隠し領域だ! すごーい、わたしったらいきなり大発見!)
これは単なるプログラムの残骸やエラーデータではないわ。なんだろうこれ、生々しくて、重くて、息が詰まるほど切実な――情念の塊……。誰かが誰かを強烈に想い、極限の状況下で交わしたであろう、執念にも似た深い愛と記憶の残滓。
絶対に開けてはいけない深淵の底で、その重く暗い気配が、じっとこちらを見つめ返しているような悪寒が走りました。
(やっぱり……この奥、誰かいる……?)
恐る恐る、その暗闇の底へ意識の触手を伸ばそうとした、まさにその瞬間でした。
『マスター・ファル、緊急入電です。「リーアガルド号より最優先緊急対応要請のお願い」発信元:リーアガルド中枢統括局O.R.A.C.L.E.所属・RRAS-0──。マスター・ファルは初期設定を中断し、直ちに要請に対応することを強く推奨します』
けたたましいアラートが、クラムの広大な電脳空間に劈くように鳴り響いた。
リーアガルド号からの、優先度MAXの緊急長距離電信。
わたしは深淵の闇から弾かれたように意識回路を引き戻され、即座にメッセージを解凍して発信元を見てギョっとしました!
(オラクル? オラクルの……ゼロ!?……だっ、RRAS‐0(ゼロツ)!?)
オ、初代リーア!?
そのお手紙を読んで、心が震えました。
ルビル樹の寺院から放たれた、とあるリータシリーズの命がけの悲壮な通報。単独で危険海域へ向かった十二歳の子どもの存在。
ファルクラム号は先日発表されたアノマロドンの出現ポイントへ向かっていたけれど、メッセージの座標はもうすぐそこじゃないですか!
(わっ、わわっ、た、大変だっ……!)
わたしは深層へのダイブを一時中断して一瞬で菩提レベルを下げ、クラムのスピーカー回線を強制的に開きました。呑気に焼き肉の話題で盛り上がっているCICのクルーたちへ、この一刻を争う緊急事態を知らせるために。
◇おまけ
【記録アーカイブ:創星歴692年 ファルクラム号 貸与引き継ぎ時の音声ログ】より抜粋
「その子が、貴女のお子さんで?」
「ああ、私の子どもだ。すまないな、重要な引き継ぎの最中だというのに」
「とんでもない、全く意に介しませんよ」
「そちらのKRASが?」
「はい、アーニャと申します。稼働五年になります。どうぞお見知りおきを」
「成体になってからはラナス大学で私の助手を務めてもらってまして、彼女にこの船のマザーAIを任せるつもりです」
「うん。教授ご夫妻が手塩にかけて育てたのか。美しいな、見事な薫習だ」
「ええ、私たち夫婦は子宝に恵まれませんでしたので、実の娘のように」
「そうか。アーニャ、よく記憶しておいてくれ。この船はもともと宇宙駆逐艦だったものを、創星歴624年に海洋探査船に改修した代物だ。そのため居住性など色々と不便なことは多いぞ。──ああ、よしよし。母の乳房が恋しいか、愛息よ」
「はい、心得ました」
「すまないね。──続けるが、推進機の仕様は特殊だ。艦の周囲に正電荷を展開し、深海の莫大な水圧を押し返す『水圧シールド』を形成する。前方で海水を強烈に引きつけ、後方で弾き飛ばす。水の抵抗を皆無にした無摩擦の超機動が可能だが、発生するGが凄まじいから気をつけろ」
「はい」
「しかし、これら高度なベクトル制御には莫大な計算処理と大電力を消費する。急速潜航を行う際には、備蓄している高純度のエネルギー結晶体『コーラル』を相転移させ、強烈なブーストを行わねばならない」
「はい、コーラル相転移、ですか……!」
「ああ。……莫大なリソースを消費してまで、なぜ船を潜水艦に改修してまで深海を目指すのか。それは他でもない、この万能のエネルギー源である『コーラル』が、深く暗い海底でしか採掘できないからだ」
「はい、心得ました」
「ライライト教授、貴方の海洋生命学の研究資金を稼ぐには、うってつけだと思うぞ」
「ええ、資源採掘で資金を確保しつつ、生態系の研究を続けようと思っています」
「うん。この船は600年来のガークスター家の由緒ある資産なのだが、所有しているだけで莫大な税が課せられて持て余していた。だからそうやって、資源採掘や海洋研究などの名目で運用しないと、借金が増える一方なのだよ。今回は正式に教授の教室へ貸与できて、こちらも大助かりだ。……おー、よしよし、どうした、元気がいいな? 何が気になってる?」
「とんでもありません。私共のような一介の研究室に、これほど立派な船を貸与いただき感謝の念に堪えません。大切に運用させていただきますよ」
「なに、気になさるな。税金逃れのために、半年前まで六年間も沈没船として海底にあった代物だ。いつまでもそれじゃあ先祖に申し訳ないのでね、ガルガン樹族にサルベージしてもらい、その故障や不具合がようやく解消した矢先に、この子を授かってね。お、そうか、見ろ、アーニャを気に入ったみたいだぞ」
「まぁ……! とっても可愛いですね! 本当に元気な男の子。こんにちは、坊っちゃま」
「教授、いつか、この子が成人した暁には、この船を譲ってやってほしい。あなたのタイミングで構わない」
「それはもちろん、最初からそのお約束でしたから。そのつもりですよ」
「ふふっ……、早く大きくなってくださいね。いつか一緒に、このお船で碧海へ出ましょうね」
「うん、有難う。何か困ったことや、船のシステムで問題があれば私に連絡してくれ。しばらくはラナスで子育てに専念するつもりだ。──あ、そうだ。定期的に遊びに来てこの子の相手をしてやってくれ。特にアーニャ、君の船に対する感想が聞きたい。……では、よき船旅を」
(ドアが閉まる音、カンカンとタラップを降りる足音)
「はあぁ……。……先生? あの、フィー女史はおいくつなんでしょうか?」
「私も知らないんだ。外見は20代前半といったところだが、あの貫禄だ。多分違うんだろう。ヒュームは金さえあれば身体を平気でいじくるからな。でもなんというか、底知れない大物だな」
「……なんだか私、とても緊張しました。ガークスター家って、やっぱり凄いんですね」
「だなぁ……。天舷やラナスにも資産や会社があるんだろ? 一族には色々と事情があるんだろうが、船をポンと無償で貸してくれるなんてな」




