第45話 追補:403 Forbidden(アクセス禁止)【完結】
後藤始のアパートは、片付いているとは言い難かった。
床には読みかけの論文と専門書。
机の脇にはコンビニの袋。
脱いだ上着が、椅子の背もたれに引っかかっている。
物が多く、雑然としている。
ただ、かろうじて不潔ではない。
仕事から帰宅した後藤は机の前に座り、スマートフォンの画面を見つめていた。
表示されているのは、一通のメール。
差出人――不登通子。
離婚した元妻からのメールだった。
離婚してから、何年になるだろう。
養育費の振り込みについて、月に一度、短い連絡が来るか来ないか。
それが、二人のほとんど唯一のやり取りだった。
親権は通子にある。
そして、家庭裁判所の調停で、後藤と校子の面会交流は当面実施しないことになっていた。
だから後藤は、いつしか考えないようにしていた。
元妻も。
娘も。
もう、自分とは別の世界にいる人間なのだと。
養育費だけは、娘が成人するまで振り込む。
それだけが、かつて自分がいた家庭とのつながりだった。
そんな後藤のもとに、久しぶりに届いた長いメール。
何度も読み返した。
そこには、短い文章が並んでいた。
――校子が不登校になった。
――配信をやるとかいってる。
――勉強は学校の端末でeラーニングしてるけど、このままでは欠席続きで成績も評価されない。
――進級、進学もどうなるかわからない。
――私はよくわからないから、あなたの専門性を生かして助けてあげてほしい。
後藤の指が止まる。
その下には、さらに一文。
――面会交流を実施しないという取り決めは、この際無視してよいから
そして最後に。
――校子の配信URLを送ります。
後藤は、短く舌打ちした。
「……今さら、なんだよ……」
スマートフォンを机に置く。
しばらく、そのまま動かなかった。
やがて。
もう一度、スマートフォンを手に取る。
送られてきたリンクをタップした。
画面に表示されたのは、配信待機画面。
黒を基調とした背景。
その中央に、一人の少女のアバターが立っている。
「宵闇…ユラ…?」
後藤は画面を凝視した。
長い銀髪。
作り込まれた衣装。
細かな表情の変化。
「このアバター……完成度が高い……」
誰かに依頼したのか。
それとも、本人が作ったのか。
後藤がそんなことを考えているうちに、画面が切り替わった。
配信開始。
少しだけ間があって。
アバターの少女が口を開く。
「――ごきげんよう、皆様」
声は、少し高めに作られていた。
「ワテクシは……宵闇ユラと、申します」
後藤の目が見開かれる。
作った声。
キャラクターとしての話し方。
それでも。
「…校子」
数年ぶりに聞く娘の声だった。
その声は、わずかに震えていた。
画面の向こうで、宵闇ユラがコメント欄を見つめている。
「……」
数秒。
何も流れない。
そして。
「…ほんとに誰もいないじゃん」
ぽつり。
キャラクターの口調が崩れた。
後藤は、思わず笑いそうになった。
そして、気づけば、コメント欄を開いていた。
使ったのは、プライベートのアカウント。
仕事とは無関係の、ただの匿名アカウント。
指が動く。
《おーるど★すたぁ:初配信おめでとう。君ならできる》
送信。
直後。
「えっ、誰!?」
画面の中のユラが驚いて手に口をやる。
「いや初対面で『君ならできる』は距離感おかしくない!?」
完全に素の声だった。
画面にツッコミを入れる。
後藤は、思わず口元を緩めた。
コメントを再度書き込む。
《おーるど★すたぁ:ユラ殿! ユラ殿と呼ばせていただきますぞ!》
「…クセ強」
宵闇ユラが、校子が、少し笑った。
たった、それだけのやり取りだった。
ほんの数行。
それでも。
後藤には十分だった。
画面の向こうに、娘がいる。
ちゃんと、生きている。
笑っている。
それがわかった。
後藤は、それから宵闇ユラの配信を見続けていた。
ゲーム。
雑談。
そして――勉強。
「できましたわ!」
画面の中で、宵闇ユラが問題を解き終える。
後藤は、画面を見ながらメモを取った。
学習内容。
学習時間。
取り組んだ課題。
そして、配信中の発言。
「……」
ユラが画面の向こうで、少し照れながら言う。
「その……チャンネル登録などしていただけると、ワテクシ大変励みになります」
少し間を置いて。
「あと…できればスパチャを…」
後藤の眉が動いた。
(まずい…)
(収益化はだめだ)
学校がこの活動を「学習活動」として認めるなら、収益化は説明を難しくする。
(それに、このままでは…)
画面を見る。
楽しそうに勉強する少女のアバター。
視聴者が増えれば、応援も増える。
もしかしたら人気配信者になれるかもしれない。
だが。
(出席扱いにしようにも、再現性がない)
本人が頑張っている。
だから認めてほしい。
それだけでは、学校という組織は動かせない。
何を学んだのか。
どう学んだのか。
どれだけ取り組んだのか。
どう評価するのか。
それらを説明できなければならない。
(ただの…消費されるコンテンツで終わってしまう)
後藤は拳を握った。
(そうは…させない!)
娘が、せっかく自分の力で始めたものだ。
それを、ただの娯楽で終わらせるつもりはなかった。
「だが、どうする…」
後藤は椅子に深くもたれた。
家庭裁判所の取り決めがある以上、父親として接触することはできない。
匿名のアカウントであったとしても、必要以上にコンタクトを取ればグレーになる。
父親として助けることはできない。父親としては、何もしてはいけない。
だが、教育に関する研究者としてなら…専門知識を生かした活動の一環としてなら…。
(……やむを得ない)
後藤はノートパソコンを開いた。
仕事用のアカウントにログインする。
研究者として使っているアカウント。
名前は――
501。
コメント欄に文字を打ち込む。
《501:スパチャはやめておけ》
「…はい?」
ユラが首を傾げる。
《501:学校に学習活動として説明するなら、収益化は障害になる可能性がある》
「…?」
ユラが画面ごしにこちらを見つめる。
後藤は、しばらくキーボードの上で指を止めた。
一瞬、自分のことも、制度のことも、何をすべきか、どうすればよいか、すべてを話してしまいたくなる。
それは、できない。
父親からの指示でやりました、ではだめなのだ。
彼女自身の選択でなければ、意味がない。
後藤は机にスマホを置き、ノートパソコンの位置をずらした。
机の右側には、スマホのプライベートアカウント、おーるど★すたぁ。
そして左側には、仕事用のアカウント、501。
同じ少女を見ている。
同じ娘を守ろうとしている。
けれど。
二つのアカウントは、決して交わらない。
二つの名前。
二つの顔。
後藤は画面を見つめた。
(校子…)
声には出さない。
(必ず…学校にお前の学びを認めさせてやるからな)
そして、501としてキーボードを打った。
《501:記録をつけろ》
「記録って……なんで?」
宵闇ユラが尋ねる。
後藤は、ほんの少しだけ迷ってから、送信した。
《501:この配信は、“学習活動”になる》
2つの画面の中で、宵闇ユラが、目を瞬いた。
不登校Vtuber、学校攻略配信中です!
これにて、完結です!
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。誰かの夜に、届けられたでしょうか…。
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