第十三楽章 アルト
アルトはかがみ込み、落ちてしまった鍵を拾った。手は震えていて、何度か掴むのに失敗していた。手伝おうか。私はそう提案したが、アルトは申し訳なさそうな顔をして、首を横に振った。
彼は鍵をポケットにしまい終えると、私の方へと歩み寄って来た。おぼつかない足取りで、ゆっくりと。
「……どうかしたのですか。私に何か。」
夜の静寂が、このオフィスを包み込む。数秒だったのか、はたまた、悠久に感じる時の中で何度か夕焼けを迎えたのか。もはや、どうでも良かった。ぽつり、と。蛇口をゆっくりと開くかのように、アルトが話し始めた。
「……ボクは……間違えた。……遥かな古代の、遠い遠い神代の。……偉大なる司祭ユーリィ、の。……神の、創造神の意思が。……きっと、道を踏み外したんだろうね。」
聞き覚えのない、けれど、どこか懐かしさを感じさせる言葉。胸の内で、心臓が大きく跳ねた。首筋を冷たい汗が流れていった。
遥かなる過去、二人の男が存在していた。世界を蝕み、瘴気を振り撒く古代生物を討伐する、勇敢な男たちが。
名はユーリィ。神の分身にして、偉大なる司祭。
名はアルト。ユーリィに見初められし魔術師。
アルトはユーリィを慕い、ユーリィもまた、アルトを大切にしていた。数ある古代生物対抗組織の中でも、二人は最高クラスの戦力だった。
幾度にも重なる戦いの末、人類は古代生物の王の居場所を突き止めた。
瘴気が漏れ出す、暗黒の神殿。はるか昔、狂信者によって建てられたその神殿では、言葉にするのも躊躇う儀式が行われていた。
ユーリィとアルトは、旅の終着点にたどり着いた。古代生物の王、マエストーソを殺すために、暗黒の神殿にたどり着いたのだ。
ユーリィは能力を保持していた。フルフラット。陥没と重力を操る、神の一端。
「もし私が死んでしまったとき。」
ユーリィは、アルトの手に何かを握らせた。それは、黄金の五芒星だった。
それは、能力の根幹。増殖の権能。温かく、柔らかく、それはアルトの中へと溶け込んでいった。
「……そうだね、それの名前は……。」
アルトは、そこで話を切った。口をつぐみ、次の言葉を発するべきか、悩んでいるようだった。外では、朝日が昇りつつあった。
「……今、私に話したのは何故ですか?」
うつむいたまま、何も答えようとしない。手が震え、呼吸が乱れている。
私は、認めたくなかった。今まで、その可能性から目をそらし続けてきた。アルトと会わないようにし、そして、リコルダまで捨てて。ようやく、安心できたのに。
何故、私はここに戻ってきてしまったのだろう。何故、こんな質問をしたのだろう。そのまま立ち去れば、それで良かったではないか。
デスクに差し込む朝日。漂うコーヒーの匂い。過ぎ去ってしまった情景が脳裏にちらつく。
「……私は、あなたをどうすると思いますか?」
また、アルトは答えない。壊れてしまった時計が、不規則に時を刻んでいた。
静かな朝だった。鳥のさえずりが聞こえてくる。跳ねる心臓の場所を強く意識する。
私は、波風立たぬ返答を望んでいた。できれば、このままが良かった。シャープたちを殺すだけでありたかった。
「……わかって、いたんだね。正直、ボクも隠すことに限界を感じていたんだよ………。」
乾いた小さな笑い。アルトは地面に倒れ込んだ。その小さな体が内側から膨張し、骨が露出。まとっていた肉が切り裂かれていく。
「そう、でしたか。私としましても………仇は取りたいですし、シャープを殲滅したい。」
私はヴィヴァーチェを抜き放ち、アレグロを解放した。燃え盛る火炎が皮膚を突き破る。金属のかすれる音が、肉の軋む音と重なる。
アルトの残骸が再構成され、細く長く、怪物へと変化を遂げた。
「それの名前は……シャープ。違いますか?」
今、シャープ③の黒い鉤爪と、アレグロの炎の刃がぶつかり合った。




