第十二楽章 歪んだ理性と自我
怪我が完治して、戦場に戻った。一人きりの病室から出て、また、シャープたちを殺すために。そして、私は任務など関係なしに動くようになった。エルケーニヒからは、何も言われなかった。他のフォルテ隊員たちも、私に声をかけなかった。ただ、最高司令官どのの悲痛な面持ちが今も思い出される。なぜ、彼女はそんな表情をしたのか。私にはわからない。
そうして、もう一度シャープを切り殺した時。リハビリを終えて、初めての討伐時。私は、妙な高揚感を覚えた。深々と剣が突き刺さる手応え。力なく倒れていく体。それらを見ると、胸の内で何かがざわついた。きっと忘れられないだろう、その感覚は。
燃え滾る本能の鎧が、火の粉を吐き出す。ビルとビルの間を通り抜け、強風が吹きつけたが、炎は揺らがなかった。背後に昇り始める満月が、私の影を永く作っていた。
月光に照らされた、並ぶ三体のシャープ③。中央のオリジナルだけが一歩踏み出した。
「……第一段階、加速。」
先手を取る。右足に力を集中させて、高く飛んだ。背中に生えた炎の翼が羽ばたく。今までより早く遠ざかる地上が見え、空気の抵抗を強く感じる。視界の端に見える、一等星の光が糸を引いた。
あまりも速かった。加速に加速を重ねたその移動。あまりにも早く、シャープ③を一瞬飛び越してしまったほどだった。初めてだと言うのに、ここまで使いこなせている。一瞬にしてシャープ③の後ろに回り込み、ヴィヴァーチェを強く握った。全身に行き届いていた炎が、その刀身に集中する。
そして、細い首目掛けて刃を振り下ろした。
「…は、はやっ──!」
一瞬遅れて、シャープ③が反応する。攻撃を防ごうと、長い腕を伸ばした。
見える。何もかもが。
私は向けられた拳へと、この身を投じた。細長い腕の上を走る。振り下ろした刃からは熱波の炎が放たれ、シャープ③の顔を歪ませた。そのまま、空高く跳躍する。
月が真上に来ていた。夜の静寂が私たちを包み込んでいた。星は見えなかった。ただ、燃え盛る炎が竜のように駆け巡っているだけであった。
アレグロ。私の闘争本能の結晶。加速の炎。今、流星のようにシャープ③目掛けて急降下する。
「……ヴィーヴォ、落下。」
鋭く、一点に。落下予測地点は、シャープ③の心臓部。体が焼けるように熱い。全身から汗の代わりに炎が吹き出しているようだ。隕石の先端部のように、超高温の熱波が足先から円錐状に広がる。
黒に塗りつぶされた夜空の中に、一つの流れ星が落ちて消えた。
「低速、ディクリズク。」
私の渾身の一撃がシャープ③に繰り出される寸前、今まで微動だにしなかった元バースのシャープが、黄土色の魔法陣を展開した。中央から射出された魔力が正確に私を捉える。途端、体を鎖で縛られたような拘束感と圧迫感が、力を失わさせた。
バースが生前得意とした、弱化呪文。泥を操り、対象の行動速度を低下させる。全く質が落ちていない。やはりあれはバースなのだと、心で理解できた。
地面に落下する。バランスを崩し、片翼が空を掴む。体勢をなんとか立て直して、受け身をとった。
「ごめんね、二人とも。働いてもらわないとダメそうだ……。」
シャープ③がそう発言する。すると、先ほどまで微動だにしなかったシャープ二体が動き出した。
このままでは囲まれる。いかに真の力を解放したといえども、数で押されては勝ちようもない。ならば、どうするか。
──逃走だ。
こちらを阻むように展開しだした魔術を背にし、足に力を込める。そして、私は走り出した。アレグロの能力を使って、移動速度も加速した。
「……えっ。」
後方、もう遠くなってしまった第一地区から、シャープ③の素っ頓狂な声が上がる。まさか、こんなにわかりやすく逃亡を選ぶなど、思ってもいなかったのだろう。
周囲の景色が引き伸ばされて見える。前方から吹き付ける強烈な空気抵抗をものともせず、一直線であの場所へ向かう。
瓦礫が崩れる。ビルが倒壊する。木が薙ぎ倒される。後方で起こっている破壊に、目もくれず。どうせ追いつけないのだから。
第二地区は近かった。数多の放棄された家が、いや、持ち主が死に、放棄するしかなくなった主人亡き家たちが、そこで啜り泣いていた。シャープ③があの時殺した隊員たちの家もまた、空洞だった。
その中に、まだ全てを失ったわけではない家があった。主人の半分を失い、それでも、首の皮一枚繋がったあの事務所が。
扉は開いていた。オイルが切れていたのか、軋む音を立てた。電気はついていなかった。入ってすぐ、右側にあるスイッチを押して、電灯を点ける。
「……思ったより、綺麗ですね。」
埃は溜まっていなかった。自分のデスクに腰掛ける。机の上の書類は、日付が変わっていなかった。置かれたマグカップの中には、いつのものかわからないコーヒーが固まっていた。
そう、物思いに耽っていると、扉が開いた。やはり、耳障りな開閉音だ。
「……誰でしょうか。」
向いた先には、病室で会った時よりも健康状態の悪くなった、青白いアルトがいた。持った荷物が落ちる音が、静かに響いた。彼が握っていた鍵が、地面に転がった。
夜が落ちている。どんな星も浮かばない暗闇の中で、一人分の呼吸だけが囁いていた。




