第108話
翌朝。
修練場は、祭の最中とは思えないほど静かだった。
外では人が集まり、色が混ざり、声が増えているはずなのに。
ここには自分たち以外の人影がない。
床の土は冷え、空気は乾いていた。
アルスは息を吐く暇もなく、前へ出されていた。
ヴァーンの拳。
当たれば痛い位置を正確に選んでくる。
身体が勝手に後ろへ逃げる。
止まった瞬間に、次が来る。
「……っ!」
肘を引く。
肩を落とす。
足をずらす。
どれも遅い。
「アルス、止まるな」
ヴァーンの声は短い。
叱責というより、命令に近い。
「受けろ。受け切れ」
逃げ道がない。
「受けてから、ずらすんだ」
アルスは歯を食いしばり、なんとか踏みとどまった。
次の一撃が来る。
反射で腕を上げた。
――腕が痺れた。
それでも、倒れない。
倒れないことが、まず一歩だった。
ようやく休憩の合図が落ちる。
三人は少し距離を取った。
アルスは膝に手をつき、肩で息をする。
「二人とも何でそんなに強いのさ。ユベルの魔法も初見で見破られたし」
ヴァーンが汗を払って答える。
「別の属性の魔法士との戦いでは、不意打ちはよくあることだからな。あの距離なら対処できる」
「そっか、マナを感知できないもんね」
アルスが頷くと、ユリウスが穏やかに付け足した。
「それに、君の顔が『今から何か起きるよ』って顔してたよ」
アルスははっとして顔を上げる。
「そんなところも見てたのか……」
息を整えながら、アルスは訊く。
「火と水の魔導士は、みんな二人みたいに近接戦も強いの?」
ヴァーンが首を傾げる。
「火は個人差はあれど、一通り鍛えているやつが多いな」
ユリウスは肩をすくめた。
「僕らはそんなにいないね。僕の場合は幼い頃から剣術を習っていただけだよ」
「そうなんだ。じゃあ二人から見て、今一番僕に欠けているものは?」
問いが終わる前に、二人が同時に答えた。
「どんなものにも屈しない力強さだな」
「何ものにも対応できる、柔らかさだね」
同じ瞬間に言い切って。
二人とも不満げに互いを見合わせる。
ヴァーンが先に口を開いた。
「今のこいつは攻撃を防ぐたびに後ろにのけぞって動作が止まっている。上手く攻撃を受け止めきれてないんだ」
ユリウスがすぐ返す。
「そもそも、馬鹿正直に真正面から受けてあげる必要がないと思うけど」
「受け流して、相手の力を利用する方が今のアルスに向いていると僕は思うね」
ヴァーンの眉が少しだけ吊り上がる。
「受け流すのには相当な技術がいる。それに比べて耐久力は己を鍛えることによって得ることが出来るものだ」
「それに俺たちは魔導士だ。近接戦だけで勝負は決まらない。耐えて耐えて、反撃する隙を見つける方が大切だ」
アルスは困ったように息を吐いた。
「二人とも落ち着いて」
ユリウスがアルスへ視線を戻す。
「君はどっちだと思う?」
アルスは少し言葉に詰まる。
悪い癖だ。
間を取ろうとしてしまう。
「ええと、その、どっちも大事じゃないかな?
攻撃一つ一つで怯んじゃうのもよくないけど、どうしても受けちゃいけない攻撃だってあると思うから」
二人が同時に沈黙する。
そして同時に、少しだけ譲る。
「……そうだな」
「……一理あるね」
ヴァーンが顎に手を当て、すぐ決めた。
「じゃあこうしよう。どちらの訓練も叩き込む。これでどうだ?」
「へ?」
アルスの声が抜ける。
「そうだね。いいことを言うね」
ユリウスが当然のように頷いた。
「それは、あの、どういう?」
ヴァーンは淡々と告げる。
「今休憩している時間が勿体無いな。お互いそれぞれ時間を設けるのも効率が悪い。少し負荷は上がるが、同時にやろう」
「少しじゃないよ!」
アルスが叫ぶと、ユリウスが微笑んだ。
「まあ、あと十日ほどの辛抱だよ。アルス」
「そんなぁ」
返事の途中で、ヴァーンが拳を軽く握って合図する。
「再開だ」
アルスは呻きながら、構え直した。
◆
午後。
食堂の隅の卓で、三人は向かい合っていた。
正確には、アルスだけが机に突っ伏している。
腕が上がらない。
背中が重い。
「……ひどい」
吐き出す声は、ほとんど机に吸われた。
ヴァーンは戦う“場所”について、ユリウスへ簡単に説明していた。
街区戦。
建物。
人の目。
ユリウスは顎に指を当てて考える。
「となると、この十日で君もアルスの魔法を使えるようにしなきゃいけないわけだね」
ヴァーンへ向けた言い方だった。
対等に扱う距離感が、ここで出る。
アルスは突っ伏したまま、訂正する。
「ユベルの魔法ね」
ユリウスの視線が、結晶の話を思い出すように揺れる。
「……そのユベルの魔法は、そんな簡単に覚えられるものなのか?」
アルスは顔を横に向けたまま答える。
「そんなに簡単ってわけじゃないと思う。実際、君らが天才って言っていたセラでさえ、一ヶ月以上かかってるから」
「それじゃ無理なんじゃないかい?」
「そうなんだよねぇ。何かいい方法があればいいんだけど」
ヴァーンが低く言い切った。
「それでもやるしかねぇ。やれることはやる。最悪、普通に魔法を飛ばす」
ユリウスは首を振る。
「それだと戦う前に、マナ枯渇してしまうよ」
「そうならないように今から努力する」
ヴァーンの言葉は乱暴だが、芯は折れていない。
「……難しいね」
ユリウスが珍しく、弱音に近い息を吐いた。
それから思い出したように訊く。
「ところで、近くに水源あったりするかい?僕にとっては死活問題でね」
アルスは父の家の周辺を思い出す。
あの静かな場所。
池の光。
「小さな池があったよ」
「それならよかった」
ユリウスの声が少しだけ明るくなる。
ヴァーンが席を立った。
迷いがない。
「ま、考えていても仕方がない。とりあえず修練場に戻って、そのユベルの魔法とやらを教えて欲しい」
アルスは顔だけ上げる。
「いいけど……祭りは?」
ヴァーンは一瞬だけ目を逸らし、それから短く言った。
「……終わった後にしよう。すまないな」
アルスはため息をつく。
でも嫌ではない。
動く理由が、今ははっきりしているからだ。
「まあいいけど」
ヴァーンがユリウスを見る。
「ユリウス、お前も来るだろう?」
「当然。祭りよりこっちの方が興味あるよ」
三人は皿を片付け、食堂を出た。
外は祭りの色で満ちている。
けれど彼らは、逆方向へ歩き始めた。




