第109話
午前は近接戦。
午後は“ユベルの魔法”の訓練。
そう決めてから、三日ほどが過ぎた。
祭りの喧噪は街に広がっているのに、アルスの世界は修練場と食堂と、その往復だけになっていた。
成果は芳しくない。
近接戦は、受けるたびに身体が止まる。
ユベルの魔法は、理屈が分かっても手が追いつかない。
結晶へ落とし込むまでの“形”が、どうしても安定しなかった。
修練場は今日も空いていた。
祭りの最中ということもあり、自分たち以外の人影はない。
床の土が冷え、声がよく響く。
「きちんと防御しろ」
「攻撃の衝撃はどこかに逃すんだ」
二人の言葉が、五月雨のように降ってくる。
ヴァーンの声は硬く、ユリウスの声は柔らかい。
けれどどちらも容赦は同じだった。
アルスは腕で受ける。
足が滑る。
止まる。
止まった瞬間に次が来る。
息を吐く暇もなく、ひとしきり“やられた”あと。
アルスは膝に手をつき、顔を上げた。
「言っていることは分かるけど、どうやってやればいいのさ」
ヴァーンが当然のように言う。
「それは何となく分かるだろ?」
ユリウスも頷く。
「そうだね。大体分かるじゃないか」
アルスは目を細めた。
二人とも、正しいことしか言わない。
けれど、正しいだけで身体は動かない。
「それで分かったら苦労しないよ」
ヴァーンが一瞬だけ言い返しかけて、言葉を飲む。
ユリウスも同じだ。
自分たちが“教える側として上手くない”ことに、薄々気づいている顔になる。
アルスは肩を落とし、息を吐いた。
「……まあいいや。今日はおしまい」
「今日は早いな。何かあったか?」
ヴァーンが眉を上げる。
「今日から魔道大会が始まるんでしょ?
最初は少年の部だからね」
十五歳以下の魔法士が競い合う枠。
大会の最初に据えられているのは、勢いのある試合が多いからだ。
「そうだったな。そうか、あの小僧が出るんだったな」
「小僧って、トールだよトール」
ユリウスが思い出したように言う。
「そういえば聞いたかい?
今回は一般代表枠が複数集まったから、一般代表枠は団体戦になるんだって」
「そうなんだ。それは楽しみだね」
ヴァーンが鼻で笑う。
「一般の代表とはいえ、出る顔ぶれは大抵決まっている」
「そうなの?」
「そうだ。あの枠は国の貴族や偉い人間が、権力や財力を見せびらかすものだ」
「それじゃ、実力は伴っていないの?」
ユリウスが静かに首を振る。
「それがそうでもないんだ。最新の魔道具が出てくることもあるし、魔法を使えてこそだと思っている国もあるからね」
「へぇー。何だか複雑なんだね」
「だから、わざわざ熱くなるほどでもない」
ヴァーンはそう言って、話を切った。
ただの評価だ。
見に行かない、という意味ではない。
片付けをしながら、ヴァーンが言う。
「じゃ、円環堂で会えたら会おう」
「ヴァーンたちも来るんだ」
「当然だ。俺は引率で来ているからな」
「そうだった」
アルスはユリウスへ向き直る。
「ユリウスはどうする?」
「僕はアルスと一緒に見ようかな」
「わかった。じゃあ一緒に行こう」
ヴァーンがふと思い出したように言った。
「そういえばリデル達とは一緒に行かなくていいのか?」
アルスは、はっとした。
祭りが始まって四日。
リデルたちに会ったのは初日だけだ。
訓練だの作戦だのと言い訳を並べても、“放っていた”のは事実だった。
「……まずはリデルの家に向かおう」
ユリウスが苦笑いをする。
何も言わないが、察している顔だ。
それぞれ目的地へ向けて歩き出す。
修練場の静けさを出ると、遠くの喧噪が少し近づいた。
◆
アルスはユリウスと一緒に、グラナード家の門の前に立っていた。
いつもより、呼び鈴が重い。
怒られる予感が、先に来る。
アルスは恐る恐る呼び鈴を鳴らす。
澄んだ音が一度響き、家の中へ消えた。
少しして。
門の内側から、軽い足音が近づいてくる。
ルナとウィルだった。
二匹はアルスを見つけると、嬉しそうに駆け寄り、体を擦り付けてきた。
「やあ、二人とも元気にしてた?」
ルナは尻尾を大きく振り、ウィルは鼻先でアルスの手を押す。
懐かしい温度がある。
「ところでリデルはどうしてる?」
アルスが訊ねると。
二匹は急に距離を取った。
さっきまでの甘えが嘘みたいに、門の影へすっと退く。
「どうしたの二人とも?」
その理由はすぐ分かった。
玄関から、足音が近づいてくる。
遠目からでも分かる。
あれは不機嫌な時のリデルだった。
「あら、アルス。お久しぶり」
声が丁寧すぎる。
丁寧なときほど、怒っている。
「お、お久しぶりって、そんなに経ってないよ」
その一言が、火種だった。
「ええ、そうでしょうね?」
リデルは微笑んだまま続ける。
けれど目は笑っていない。
「祭りが始まって、たったの四日ですものね?」
「会ったのは初日だけ」
「全然、久しぶりじゃないですものね」
「友達と祭りを楽しむのなんか、全然楽しみじゃなかったし」
「家族で楽しんで、大満足よ」
言葉が、きれいに落ちる。
一つずつ、刺さる。
アルスでも分かった。
相当怒っている。
「……リデルごめん」
「何がごめんなの?
全っ然気にしてないから大丈夫」
言い方が逆だ。
気にしていない人は、そんな言い方をしない。
アルスは一歩だけ前へ出て、素直に言う。
「それでも、謝りたくて」
「僕もリデルと祭りを見るの楽しみにしてたから」
嘘がない。
計算もない。
ただ、思ったままを言う。
その言葉に、リデルの毒気がすっと抜けた。
怒りの矛先が、行き場を失う。
リデルはため息をつき、小声で独り言みたいに言った。
「はぁ、全く……こういうところが憎めないのよ」
そして、ようやくいつもの顔に戻る。
「それで、どうしたの?」
「……いいの?」
「いいって言ってるの。
それでどうしたの?」
アルスの表情も戻る。
安心が先に来てしまう。
「今日、魔道大会でトールが出るはずだから、一緒に観にいかない?」
「元々行くつもりだったけど……ちょっと待ってて」
リデルは家の中へ戻った。
しばらくして、また戻ってくる。
「お父さんたちに言ってきたから、行こう」
「みんなと一緒に行くつもりだったの?
それなら……」
「いいの!行こう!」
リデルは満足そうな顔で先頭を歩き始める。
怒りが晴れたというより、約束が戻った顔だ。
ずっと二人のやりとりを見ていたユリウスが、アルスに尋ねる。
声は控えめだった。
「……もしかして僕はお邪魔だったかな?」
「ん?そんなことないよ?」
アルスは首を振って、何の気なしに続けた。
「みんなで見た方が、きっと楽しいよ」
ユリウスが小さくため息をつく。
それは呆れではなく、妙な納得に近い。
「……リデル君も苦労しそうだな」
呟きは小さく、誰にも届かないはずだった。
けれど、風に乗って、アルスの耳には届いてしまった。
「え?」
「いや、何でもない。行こう」
ユリウスは笑って誤魔化し、二人の後を追った。




