第104話
三つの気配が同時に踏み出した。
けれど、誰も最初の一歩を大きくは出さない。
ヴァーンの周りにも。
ユリウスの周りにも。
マナが揺れた気配は見えなかった。
普通なら、他の属性に属する人間が、それとは別の属性のマナを正確に感知することは難しい。
けれど、アルスなら可能だ。
だからこそ、妙だと思った。
(動かないなら――)
アルスが先に動いた。
足元の土がわずかに盛り上がり、同時に二本の槍へ変わる。
ヴァーンとユリウスへ。
それぞれ、同じ速度で突き上がった。
ヴァーンは避けない。
真正面から踏み込み、拳で叩き割った。
土の槍は硬度を持っていたはずなのに、素手で砕けて崩れる。
アルスは驚きを隠せなかった。
破壊できるものなのか。
それも、あの距離と速度で。
ユリウスは違った。
剣先が、槍の横腹に触れる。
触れた瞬間だけ力が乗って、軌道がすっと逸れる。
元からユリウスを狙っていなかったのでは、と錯覚するほど自然だった。
(それなら――)
今度は土の鞭。
破壊されても、逸らされても、追える。
土の国でジルナールが使ってきた術式を思い出しながら、アルスは腕を振る。
鞭はしなるように伸び、二人へ絡みつく――はずだった。
ヴァーンは鞭を掴まず、当てて砕く。
拳と前腕で叩き、切り落とすように破壊し続ける。
土が崩れるたび、乾いた音が鳴った。
ユリウスは鞭を否し続けた。
剣先で、鞭の“勢い”だけをずらす。
絡みつくはずの軌道が、いつも少しだけ外れていく。
アルスは意識を深くする。
マナ感知へ沈む。
それでも、二人の周囲にマナが立ち上がる気配はない。
(二人はまだ魔法を使っていない?
何か仕組みがあるはず……)
不思議に思っていると、ヴァーンが口を開いた。
「終わりじゃないよな?アルス」
挑発。
けれど声は軽い。
むしろ、確かめている。
「もちろん」
アルスはジルナール戦を思い出す。
ユベルの魔法を使った戦い方を。
結晶を作り出し。
それを土に混ぜて、再度二人へ放つ。
槍ではない。
もっと細かい破片を、意図的に散らす。
「同じことをしても、通用しないよ」
ユリウスの声は落ち着いていた。
それでも剣は止まらない。
ヴァーンも同じだ。
だが――今度は、狙いが違う。
二人が対処した瞬間。
結晶は床へ散らばった。
二人の足元の周辺に、点々と落ちていく。
(今だ!)
アルスは結晶を構築する。
散った点を繋ぎ、形に変える。
二人の足元から、土の槍が突き上がった。
不意を突いた。
確かに、そう思った。
けれど。
二人は驚いた顔をしたのに、もう動いていた。
ヴァーンは体を捻り、槍の先端を拳で叩き折る。
ユリウスは一歩だけ外へ逃げて、膝を曲げて受け流す。
「なっ!」
アルスは息を呑んだ。
「今のはヒヤッとしたぜ。やるじゃないか」
「ああ、危なかったよ」
その言葉で、アルスは気づいた。
二人はマナを感知して対処していたのではない。
目の前に迫る物体に、ただ対処していたのだ。
(反射だけで避けたっていうのか!?)
理解が追いつく前に、ヴァーンが続ける。
「なるほど。大体分かった。今度は俺から行かせてもらう」
雰囲気が変わった。
ヴァーンの体の内側で、火のマナが濃くなるのが分かる。
外ではない。
内側だ。
次の瞬間。
ヴァーンがアルスの懐に入っていた。
「ゔっ!」
気づいたときには腹部に鈍痛が走り、体が浮く。
背中から空気を叩き。
アルスは床を滑って転がった。
(息が――できないっ)
胸が縮む。
吸おうとしても入らず、吐こうとしても抜けない。
視界が揺れ、音が遠ざかる。
アルスは地面に蹲りながら、二人の行く末を見守った。
「一人脱落だな」
「次はお前だ、ユリウス」
「お手柔らかに頼むよ」
ヴァーンの姿が消える。
同じように、ユリウスへ殴りかかる。
だがユリウスは否す。
優しく軌道をずらし、当たる場所だけを失くす。
ヴァーンの攻撃が激しいのか、ユリウスは反撃できていない。
それでも、当たらない。
「やるな」
「君もね」
アルスには二人の動きがあまり見えなかった。
何かが起こっているのは分かるのに、目が追いつかない。
腹の痛みが、遅れて広がる。
床の冷たさだけが背中へ残る。
遠い声が、さらに遠くなる。
(やばい。落ち……る)
アルスは意識を失った。
◆
「――ルス」
声が聞こえる。
頬を叩かれているようだった。
「アルス。起きろ」
まぶたを開ける。
天井が見え、次にヴァーンの顔が見えた。
どうやら気を失っていたらしい。
「……ヴァーン、痛いよ」
ヴァーンが申し訳なさそうに顔をしかめる。
「すまねえ。お前が思ったより強くて、気分が上がっちまって、つい」
「強くてって……。二人ともこっちの攻撃を全部、否していたじゃないか」
「いいや、本当さ。特に君が最後に出した魔法は本当に危なかった」
「それに、こちらは防戦一方だったしね」
ユリウスの声は穏やかだった。
けれど、さっきまでのやり取りを思い出すと、穏やかさが逆に怖い。
「それでも二人とも手加減してたでしょ?
魔法を使ってこなかったし」
そう言うと二人は顔を合わせて、笑う。
「何だよ」
「それが俺にとって普通なんだよ」
「僕もそうさ」
「?」
「俺が魔法を使わなかった理由は二つある。分かるか?」
「じゃあ、使わなかったんじゃなくて、使えなかったわけ?」
「不正解だ。アルス、この修練場を見てみろ」
アルスは修練場を観察する。
地面は土で、ところどころに訓練用の道具が置かれている。
見学用の席もある。
特別なものはない――いや。
“特に何もない”のだ。
「……火のマナや水のマナが少ない?」
ヴァーンとユリウスは頷いた。
「そうだ。火のマナも水のマナも自然に存在するが、土や風ほどに、どこにでもあるわけじゃない」
「じゃあ、使わなかったんじゃなくて、使えなかった訳?」
「そうだ」
「でもそれじゃやっぱり、手加減と同じじゃない?」
「それがそうでもない」
ユリウスが静かに言葉を継ぐ。
「水や火は確かに自然界には少ない。だが――」
ユリウスは自分の胸に手を当てた。
「僕らの体には豊富に含まれている」
アルスも自分の胸に手を当てる。
言われてみれば、当たり前のことなのに、考えたことがなかった。
ヴァーンが付け足す。
「水はよく知らないが、火はより自然界に存在しない」
「だから、火の国の晶装士は魔石のマナを自分の体に循環させるんだ」
「そうやって、体温を上げ、体の出力を上げる」
「これが二つ目の理由。
この戦い方こそが火の国の戦い方だからだ」
「じゃあ、ユリウスは?」
「まあ、同じようなものさ。体のほとんどは水のマナでできているから、少し丈夫にできたりするのさ」
ユリウスは少しだけ話をはぐらかした。
「じゃあ、火の国や水の国は魔法を現象として出さないの?」
「そんなことはない。あくまで無くても戦えるってだけだ。
炎があれば鬼に金棒だ」
「それに火の導士は、俺のような晶装士と違って、魔石の力を借りられないから、アルスみたいな戦い方になりやすい」
「僕も同じだよ。むしろ水の国ではそちらの方が主流だからね」
「そうなの?」
「ああ。大気の水のマナを扱っているよ」
ユリウスは軽く笑っていたが、どこか暗いように見えた。
その理由を、アルスはまだ知らない。
「だからアルス。俺はお前に手加減なんかしてねえよ」
ヴァーンはニコリと笑う。
「ところで、アルスが途中で見せたあの魔法は何?
僕の足元から急に槍が飛んできたけど?」
アルスは少しだけ黙った。
けれど、隠す理由はなかった。
「ああ、それは――“ユベルの魔法”だよ」




