第102話
夜。
マギア院の食堂は、見慣れた場所のはずなのに、今日は別の部屋みたいだった。
長い卓の上には料理が増え、香辛料の匂いと焼き菓子の甘さが混ざっている。
皿を取る音。笑い声。
祭の夜は、学院の中にまで染み込んでいた。
アルスたちは卓の端に集まり、各々の皿を前にしていた。
「それにしても、すごかったね」
「ねー。でもやっぱり土の国が一番よかったわよね」
リデルの声は、まだ熱が残っている。
開会式の光景が、目の奥に焼きついたままなのだろう。
「いろんな種類の獣たちを見られるなんて眼福だわ」
「聞き捨てならないな」
背後から声が飛んできた。
振り向くと、ヴァーンが皿を片手に近づいてくる。
歩き方に迷いがなく、列の間を当然のように抜けてきた。
「あの一糸乱れぬ動き、相当の鍛錬を積まないと不可能だろう」
「だから、火の国が一番すごかっただろう」
「それはどうだろう?」
ミーナも、いつの間にか反対側からやって来ていた。
皿を置く音が小さくて、気づくのが遅れる。
「みんな凄かったけど、一番観客を沸かせてたのは風の国だったじゃない」
ミーナが箸を揺らし、勢いのまま言葉を重ねる。
「やっぱり、風の国が良かったわ」
リデルがむっとして、顔を上げた。
「なによ」
ヴァーンも負けじと、低く返す。
「なんだと」
ミーナが悪びれず、短く頷く。
「ね」
三人の声が重なって、卓の空気が少しだけ弾む。
食堂のあちこちでも、同じような言い合いが起きていた。
ただ――固まっている色は、まだ濃い。
赤。青。緑。黄。白。
国ごとの装いが、塊のまま残っている。
「アルスはどこが一番良かったの?」
リデルが訊くと、ヴァーンとミーナの視線も集まった。
アルスは一瞬だけ言葉に詰まる。
全員、もう自分の「贔屓」を言ってしまっている。
だから、まだ挙がっていない国を選ぼうと思った。
少しだけ間を置いて、口を開く。
「……光の国かな?」
「「「えー?」」」
三人が同じ調子で声を上げた。
驚きが揃うのが、妙に可笑しい。
「なんで?」
「だってな……」
ヴァーンが言いかけて、リデルが先に被せる。
「あの国は毎回登場が同じなのよ」
アルスは、開会式の最後を思い出す。
拍手が一拍遅れた理由。
光が先に場を支配して、観客の呼吸が遅れて追いつく、あの感じ。
「そうなんだ。僕は初めて見たから」
「それにしたって、光の国はないんじゃない? ただ光から降りて来ただけじゃない?」
ミーナの言い方は辛口だ。
アルスは苦笑する。
「……アルス。あなた、私たち誰かに偏らないようにしたわね?」
「そんなことないよ」
アルスは目を逸らした。
図星を突かれたときの癖が、まだ直っていない。
そのときだった。
「では水の国はいかがでしたか?」
輪の外から、男の声がした。
柔らかいのに、よく通る声。
振り向くと、金色の髪に青い瞳の青年が立っていた。
距離の取り方が上手い。
近づきすぎないのに、逃げてもいない。
視線は人の顔を追い、けれど刺さらない。
場の空気を読むのが早い種類の人間だ、とアルスは直感した。
「水の国も良かったと思うのですが」
アルスたちが困惑していると、青年は一歩だけ下がって、丁寧に頭を下げた。
「いきなり申し訳ありません。水澄院に所属している、ユリウスと申します」
一拍遅れて、こちらも名乗り返す。
「マギア院のアルスです」
「リデルです」
「グレン士官院の引率をしている、ヴァーンだ」
「マギア院と風暦院の手伝いをしているミーナだよ」
「そして、俺がバルクレイン院のトールだ」
声が増えた。
いつの間にか、卓の横にトールが立っていた。
皿を重ねる音の合間に、すっと入り込んできたらしい。
アルスは驚いて目を丸くする。
「よ、アルス。リデル。見かけたから来てみた」
軽い調子で言って、トールは当然のように混ざる。
握手が回り、輪が少し広がった。
「それで、ユリウスさん。どうして僕らに?」
ユリウスは周りを見渡す。
さっきアルスが気づいた“色の塊”を、同じように眺めていた。
「この中で、いろんな国の人が集まって会話しているのがここだけだったので。面白そうで、つい」
アルスも改めて周囲を見る。
ほとんどは同じ色同士で固まっている。
混ざっている場所は少ない。
この卓は、その少ない場所のひとつだった。
「確かに」
「それで、水の国のセレモニーはどうでした?」
リデルが間髪入れずに答える。
「すごく良かったです。綺麗で見惚れました」
「ああ。なんて言うか、艶があるというか」
「それ、リデルと同じ意味じゃないでしょ?」
ミーナが即座に突っ込む。
ヴァーンは咳払いで誤魔化した。
「はははっ。確かに全員が麗しい女性だったからね」
「ユリウスさんも同じ感じですか?」
リデルが目尻でユリウスを睨む。
ユリウスは怯まず、ただ困ったように笑った。
「ユリウスでいいよ。それに敬意もいらない。今日は交流会だろう?」
そう言ってから、ユリウスは一瞬だけ青い塊へ視線をやった。
そこには水の国の一団が固まっている。
誰も輪から出ず、会話の輪も小さいままだ。
中心に、背筋の伸びた少女がいた。
姿勢は誇り高いのに、目線は低い。
近寄れば睨みそうで、実際は踏み出せない――そんな距離を纏っている。
学院に来た初日に、土の国の者と問題を起こしたと聞く。
それ以来、余計に人目を避けているのだろう。
プライドが邪魔をして、恥ずかしさを隠す場所を作ってしまう。
ユリウスは、その背を一度だけ見てから、何も言わずこちらへ戻った。
アルスはトールへ話を振る。
「トール。久しぶり。トールはどこが一番良かった?」
場にいる全員が別の国を挙げている。
アルスの問いは、自然と“最後の一票”みたいになってしまった。
「そーだなー」
全員が息を呑む。
トールはそれを楽しむように、少しだけ間を作った。
「火の国かな」
ヴァーンが小さく拳を握る。
「そうだろ。トールは話がわかるな」
「なんでよ? 土の国じゃないの?」
リデルが噛みつくと、トールはあっけらかんと答えた。
「土の国はいつもの光景じゃないか。それに火の国の馬に乗ってた人、相当強そうだったしな」
リデルは反論しかけて、止まった。
納得してしまった顔になるのが悔しそうだ。
「へぇ、トールと言ったか。分かるのか?」
「まぁ、なんとなくね」
アルスはトールのことを、ユリウスへも分かるように添える。
「この子はトール。僕の二つぐらい下で、今回の若者枠で出場するんだ。
同じ師匠のもとで訓練をした仲なんだ」
ヴァーンとユリウスの目が少しだけ変わる。
評価というより、距離の取り方が変わる。
「ほう。この歳で代表か、楽しみだな。うちの生徒にも代表がいる。どっちが勝つか楽しみだ」
「そうだね。僕の双子の妹も代表として出ることになっているから、お手柔らかに頼むよ」
「手加減はしないよ。前にそれで痛い目を見ているからね」
トールはアルスへ顔を向ける。
前にアルスに負けたことを、今でも教訓にしているようだ。
「じゃ、俺は美味しそうなご飯を食べてくる!」
トールはそう言って、すぐに顔を崩した。
子供の表情に戻って、料理のほうへ駆けていく。
「随分と自信家だな。本当にお前の弟弟子か?」
「違うよ」
アルスは首を振る。
「兄弟子だよ」
「はははっ」
ユリウスが笑った。
ただ笑うのではなく、楽しそうに息を零す笑い方だ。
場を温めるのが上手い。
「やっぱり声をかけて良かった。君たち面白い」
何が可笑しかったのかは分からないが、ユリウスはしばらく笑っていた。
少し話題を変えようと、アルスが訊く。
「そういえば光の国は見ないね?」
「光の国の人は宗教上の理由で、こういう場に参加しないし、宿も別で取っているのよ」
「そうなんだ」
「アルスはこの祭が初めてなのかい?」
「うん。だから全部が新鮮で楽しいよ」
「それじゃ、色々楽しまないとね」
ユリウスがそう言うと、輪の周りが少しずつ変わり始めた。
この卓の笑い声に引かれたのか、別の色の服が一つ、また一つ、近づいてくる。
同じ色の塊がほどけ、所々で色が混ざり始める。
どうやら。
交流会は、今ここから始まるのだ。




