第101話
『皆、静粛に』
威厳を帯びた声が、中央円環堂の隅々まで届いた。
距離があるのに、言葉の輪郭が崩れない。
魔道具で増幅されているのだろう。
空間そのものが、その声を受け止めている。
アルスは思わず息をひそめた。
周囲も同じだった。
さっきまでのざわめきが、潮が引くみたいに引いていく。
アルスは小さく身を乗り出し、隣のリデルに囁く。
「ねえ、もしかしてあの人が『アウレル=グランディア』?」
「そうだよ」
アウレル=グランディア。
アルベスの国王。
魔石戦争を終わらせた者たちの末裔。
「かっこいいね」
「そう?」
リデルはそっけなく返しながらも、胸を張っていた。
誇りが隠しきれていない。
『今年もこの集いが――』
長い挨拶が始まった。
魔石戦争のこと。
そこから今までの平和のこと。
言葉は淡々としているのに、円環堂の空気は少しずつ重くなる。
『――皆、この平和を築き挙げた英霊たちに、ともに感謝を示そう』
国王がそう告げると、観客は胸の前に手を当て、目を閉じた。
これだけの人間が集まっているのに。
建物の中が、嘘みたいに静まり返る。
その静寂を、次の声が割った。
『――さて今年も五国が集まることができたようだ』
抑えきれない期待が、客席のあちこちで小さく揺れる。
リデルの横顔も、少しだけ明るくなった。
『順に入ってきてもらおう』
そして。
国王の声が、はっきりと区切られる。
『ではまずは、火の国・イグラシア!』
円環堂の空気が、目に見えて張りつめる。
壇の脇から、重い足音が規則正しく近づいてきた。
先頭に掲げられた旗が揺れる。
赤と黒の布が、炎に照らされたように深く沈む。
次の瞬間。
通路の両脇に、火が走った。
火花が散るのではない。
床の上を線になって滑り、爆ぜるように立ち上がり、すぐに形を変える。
燃える馬だった。
炎で象られた四肢が駆け、円を描いて走り回る。
熱は客席まで届かない。
けれど空気が一度、乾く。
その火の輪の内側を。
イグラシアの一団が、一糸乱れぬ歩幅で進んできた。
鎧の金具が揃って鳴り、靴底が同じリズムで石を叩く。
号令が短く飛び、隊列が寸分違わず揃う。
最後に現れたのは、黒い馬に跨った代表だった。
手綱を引くでもなく、馬は静かに歩き。
その背で男は、ただ前を見据えている。
威厳。
それだけで、周囲の声が一段下がった。
「すごい……」
アルスの声は、ほとんど息だった。
一糸乱れぬ動きと、炎の迫力で圧倒される。
『続いて、水の国・サラディア!』
火の熱が引いていくと。
今度は、音が変わった。
弦の響きが、細い糸のように空間を撫でる。
さざめきが消え、誰かが息を呑む音だけが残った。
通路の奥から現れたのは、薄布を重ねた衣装の女たちだった。
歩みは遅く、足運びは舞のように滑らか。
腕を上げるたび、指先から水が糸を引き、空中で弧を描く。
次の瞬間。
その水が凍り、透明な花弁のように散った。
陽の光を拾って、氷がきらめく。
煌めきが、客席の天井まで流れていく。
隊列の中心には、担がれた神輿があった。
水の膜が薄く覆い、揺れるたび、光が波のように走る。
そこに座す代表は、微笑みを崩さず。
視線ひとつで、場の温度を変えるようだった。
艶。
見惚れてしまう静けさが、円環堂に落ちた。
「綺麗……」
リデルの声が、ぽつりと漏れる。
水と氷が太陽の光を反射して、煌めいている。
『続いて、土の国・ドロスティア!』
弦の余韻が消えると。
今度は、腹に響く音が鳴った。
太鼓だ。
低い一打が、床から骨へ伝わる。
それに合わせて、土の匂いがふっと濃くなった。
通路の奥から、獣たちが先に現れる。
岩のような毛並みを持つ獣。
角のある獣。
大型の晶獣が、鎖ではなく“信頼”で繋がれたように歩いてくる。
その後ろを、ドロスティアの一団が続いた。
歩みは粗い。
しかし乱れてはいない。
靴底が鳴るたび、土が応える。
そして。
客席の前方――通路の端に、土が盛り上がった。
石が組み上がり、土が固まり、あっという間に簡易の砦が立ち上がる。
砦の側面へ、翼を持つ小さな獣が二、三体、ふわりと降りた。
空から来たのだ。
観客のどよめきが、遅れて広がる。
最後に。
砦の頂へと、岩狼の巨躯とともに代表が上がった。
さらにその傍らに、見知らぬ小さな翼獣を肩に乗せた少女が立つ。
「あっ、見て。セラとおじいちゃんだ」
リデルが指をさす。
岩狼に乗っているバルドンと、砦に鎮座するセラ。
後ろ姿でも、はっきりと分かった。
「かっこいい!」
見慣れた人が、普段と違う姿を見せている。
それだけで胸が少し熱くなる。
『続いて、風の国・ファルセリア!』
太鼓の音が止む。
沈黙の一拍。
その拍の終わりに、風が来た。
入口から吹き抜けるのではない。
円環堂の中に“起こる”。
布が持ち上がり、髪が揺れ、旗が一斉に鳴った。
次いで、管楽器の音が走る。
乾いた高音と低音が交互に重なり、身体が勝手に軽くなる。
ファルセリアの一団は、隊列というより群れだった。
歩く者もいれば、跳ぶ者もいる。
風に乗って宙を滑り、客席の近くまで寄って、手を振る者もいる。
衣装も揃っていない。
民族ごとに色も布も違い、装飾も違う。
その群れの真ん中には、目を布で覆い隠した女の代表がふわりと浮かんでいた。
自由。
それが、逆に統一感を作っていた。
歓声が上がる。
観客も、距離を縮められてしまうのだ。
アルスは見覚えのある人物を見つけた。
「エルドだ!」
思わず指をさしてしまう。
飛び回っているエルドもこちらに気づいたのか、目が合う。
向こうは少し微笑んでくれた。
「前も遠目で見たけど、兄弟揃って美男美女ね」
「それに……」
アルスはもう一人、見覚えのある顔を見つける。
風の国の代表だ。
風の塔の下で、一度だけ会った女性。
(あの人、風の国の代表だったんだ。たしか――)
フェアリス。
そう呼ばれていた。
『最後に、光の国・グロリアン!』
管の音が遠のく。
風が収まると、円環堂は不思議なくらい静かになった。
次に来たのは、音ではなく光だった。
壇の脇の空間に、細い光線が一本、穿たれる。
続いて二本、三本。
光は線から面へ変わり、白い膜のように広がっていく。
やがて。
その光の中から、人影が現れた。
降りてくる。
足が床に触れる瞬間だけ、光がやわらかく滲む。
衣は白を基調にしている。
装飾は少ない。
なのに、目が離せない。
神秘という言葉が、遅れて追いつく。
拍手が起きるまで、ほんの一拍だけ間があった。
その間に、彼らはもう次の形へ移っていた。
『よくぞ、このアルベスに集まってくれた』
『そのおかげで、この度も祭を開くことができる』
『そして、ここに五国環陽祭の開催を宣言する!』
溢れんばかりの歓声が沸き起こる。
床が震えるほどの拍手が、円環堂の天井へ跳ね返る。
ついに五環祭が始まった。




