永久就職してください
■1
数日後、セレニア王宮。
コンコン。
「失礼します。藤原理沙です」
「どうぞ」
扉を開ける。
ルカ・ボーモントの執務室。
「お呼びでしょうか、殿下」
「はい。座ってください」
理沙はルカの向かいに腰を下ろした。
「来期の契約について、お話があると聞きましたけど」
「ええ」
「ちょうどよかった。私からも話そうと思ってたの」
ルカが顔を上げる。
「先生から?」
「うん」
理沙は少し考えてから口を開いた。
「この前も話したけど、キングスブリッジの大学院、本気で考えてる」
「ウォーカー教授の?」
「そう。国際公共政策を勉強して、その先で国際機関を目指すのも面白いかなって」
「なるほど」
「だから、来期の契約は――」
一通り話し終える。
ルカは黙って聞いていた。
やがて、小さく頷く。
「なるほど。先生のお考えは、だいたい分かりました」
「うん」
「でも」
ルカは机の上に手を置く。
「こちらの話を聞いてから決めてもらってもいいでしょう?」
理沙は少し首を傾げた。
「まあ、それはそうね」
「では」
ルカは机の引き出しを開けた。
中から、一枚の書類を取り出す。
「ご確認ください」
理沙の前に、静かに置いた。
■2
理沙は、目の前に置かれた書類へ視線を落とした。
数秒。
黙って読む。
「……えっ?」
もう一度、最初から読む。
そして、顔を上げた。
「これって……婚姻届?」
「はい」
「契約更新の話じゃなかったの?」
「更新ですよ」
ルカは平然としている。
「期限のない方の」
「いやいやいや」
理沙は書類を机へ戻した。
「私、さっきキングスブリッジの大学院に行きたいって話したよね?」
「ああ、それなんですが」
「何?」
「ウォーカー教授には、来年度から王立法科大学の公共政策分野でも教鞭を執っていただけることになりました」
「……え?」
「まあ、オンライン中心ですけど」
ルカが少し笑う。
「大学院課程も設置する予定です」
「大学院まで?」
「はい」
「じゃあ、第一期生は――」
「藤原先生ですね」
ルカは一度、理沙の前の書類を見る。
「ああ」
言い直す。
「理沙・ボーモントかな」
「勝手に名字変えないでよ!」
理沙は思わず声を上げた。
「そもそも」
婚姻届を指さす。
「王妃って、皇太子の一存で決めていいものなの?」
「正式な手続きは必要ですよ」
「そういうことじゃなくて。あなた、次期国王に決まったばかりでしょう?」
「ええ」
「父上も、大宰相も、議会も、承認済みです」
ルカは笑った。
「まあ」
理沙を見る。
「自分のことは、自分で決める」
少し間を置く。
「それが、これからのセレニア王国ですから」
理沙は、何も言えなかった。
「それと、これを」
ルカが、小さな鍵を差し出した。
「何の鍵?」
「皇太子宮殿です」
「……もう?」
「出入りするたびに僕を呼ぶわけにもいかないでしょう」
「まあ、そうだけど」
理沙は鞄から鍵束を取り出した。
青いカイオーガのキーホルダー。
そこへ、新しい鍵を取り付ける。
ルカがそれを見た。
「クジラですか?」
「うん。カイオーガ」
「カイオーガ?」
「学生のときに買ったの。もう20年くらい使ってる」
「……20年」
「僕はまだ3歳ですね」
理沙は、思わず笑った。
「……物持ち、いいでしょ」
理沙は、カイオーガの横で揺れる皇太子宮殿の鍵を見た。
二十年前から使っている、小さなキーホルダー。
その隣に、皇太子宮殿の鍵がある。
視界が滲んだ。
理沙は慌てて目元を押さえた。
「……ずるいなあ」
「何がです?」
「私、もう次の人生、決めたつもりだったのに」
声が少し震えた。
涙を拭いながら、理沙は笑った。
そしてもう一度、目の前の書類を見る。
「……ほんと」
小さく息を吐く。
「ずるいなあ」




