それぞれの人生
■1
八月中旬。
シャーロットがロンドンへ戻って、二週間。
その間、二人のやり取りはほとんどメッセージだけだった。
そんなある夜。
ルカのスマートフォンに、珍しくシャーロットから電話がかかってきた。
「ルカ、今いい?」
「ええ。珍しいですね、電話なんて」
「ちょっと報告があって」
「何です?」
「今度のセレニア王位継承特番、私がスタジオ進行やることになったの」
「へえ」
「まあ、フォスターさんの冠番組だけどね」
ルカが少し間を置く。
「フォスターって、あのダニエル・フォスター?」
「ええ、そう」
「それ、かなり大きい仕事じゃないですか」
「地上波じゃなくて、BBCの公式チャンネルだけどね」
「それでも大抜擢でしょう」
「まあね」
声が、少しだけ嬉しそうだった。
「おめでとうございます」
「ありがとう」
少し間が空く。
「それと。職務上、言える範囲だけど」
シャーロットの声が少し変わる。
「BBCで取ってる数字だと、今のところレオン殿下がかなり優勢」
「やっぱりそうですか」
「観光政策は成果が見えやすいからね。あなたの大学は、まだ結果が出てない」
「ええ」
「勝てそう?」
ルカは少し笑った。
「勝ちますよ」
「そう」
「ああ、シャーロット」
「何?」
「空港で、最後に言ってたことなんだけど」
一瞬。
電話の向こうが静かになった。
「……うん」
「その、僕もちゃんと考えた方が――」
「いいよ」
「え?」
「今は継承戦に集中して」
シャーロットはあっさりと言った。
「その話をするために電話したんじゃないから」
「でも」
「あなた、今それどころじゃないでしょう?」
ルカは黙る。
「私はね」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「あなたが自分で選んだことなら、なんでも応援するから」
「……そうですか」
「そう」
「じゃあ、終わったら」
「うん。その時にまた話しましょう」
通話が切れる。
ルカはしばらく、暗くなったスマートフォンの画面を見ていた。
ミアとニコの試験結果発表まで。
そして。
王位継承戦、最後のプレゼンまで。
あと三週間。
■2
九月上旬。
金曜日。
セレニア王立法科大学。
「ミア、これ」
理沙が赤字の入った答案を返す。
「結論は合ってる。でも、理由が一段飛んでる」
「ここですか?」
「そう。読み手が知りたいのは、答えを知ってることじゃなくて、どうしてその結論になるのかだから」
「はい」
続いて、もう一枚。
「ニコは逆。慎重すぎる」
「ここですか?」
「そう。前半と後半で、ほぼ同じことを言ってる」
理沙が答案を指でなぞる。
「後半はなくても意味は通じる」
「まとめます?」
「うん。半分くらいにまとめて」
「半分……」
「本番は時間との勝負だから」
「分かりました」
ロンドンで試験を受けてから、五週間。
二人は結果を待つことなく、すでに次の実技試験へ向けた訓練を始めていた。
机の上には、赤字の入った答案が積み上がっている。
理沙は時計を見る。
「よし。今日はここまで」
ミアが顔を上げた。
「もう終わりですか?」
「うん」
「まだできますよ」
「知ってる。でも、もう十分」
理沙は答案をまとめた。
「今日は早く帰りなさい」
「先生がそんなこと言うなんて」
ニコが笑う。
「私だって休ませる時は休ませます」
「じゃあ、帰って何しましょう」
理沙は少し考えた。
「あとは神様にでもお願いしてきなさい」
「神様ですか?」
「そう。やることは全部やったでしょ」
ミアが笑う。
「先生は行かないんですか?」
「私はまだ仕事」
理沙は机の端に置かれたノートパソコンへ目をやる。
「明日のプレゼン、最終確認しないと」
ニコが立ち上がった。
「じゃあ、先生の分も祈ってきます」
「お願い」
理沙も笑う。
「殿下の分もね」
「欲張りですね」
「明日は大事な日だから」
二人は荷物をまとめ、教室を出ていった。
扉が閉まる。
静かになった教室で、理沙はノートパソコンを開いた。
明日。
ミアとニコの試験結果が発表される。
そして。
ルカとレオンの、最後のプレゼンが始まる。
■3
その日の夜。
セレニア王立法科大学。
学生たちが帰った校舎には、理沙とルカだけが残っていた。
理沙はノートパソコンに向かい、明日のプレゼン資料を確認している。
そこへ、ルカが数枚の紙を手にやってきた。
「先生」
「ん?」
「僕の方、これでいきます」
「最終版?」
「はい」
「ちょうどよかった。私の方も見て」
理沙はノートパソコンを少しルカの方へ向けた。
「大学設立から、ミアとニコの育成過程。最後、ここで殿下に戻す」
ルカが画面を確認する。
「ええ。それでお願いします」
「じゃあ、次。殿下の見せて」
ルカから資料を受け取る。
理沙は一枚ずつめくっていった。
王立法科大学の設立。
教育機会の拡大。
将来的な学部の拡張。
ここまでは、昨日まで何度も見てきた内容だった。
そして。
最後の一枚。
理沙の手が止まった。
「……あれ?」
昨日までの資料にはなかった文字が書かれている。
王権の段階的縮小。
立憲君主制への移行。
理沙は顔を上げた。
「これ、昨日なかったよね」
「はい」
「今日入れたの?」
「ええ」
ルカは理沙の手元の資料を見る。
「王になったら、これを始めます」
「……本気?」
「本気です」
理沙はもう一度、最後の一枚を見る。
「王様になろうとしてる人が、王様の権限を減らすんだ」
「変ですか?」
「ううん」
理沙は少し笑った。
「むしろ、あなたらしくなくなったなって」
「褒めてます?」
「すごく褒めてる」
ルカも笑った。
理沙は資料を揃えて返す。
「ねえ、殿下」
「はい?」
「王様になったら、何がしたい?」
ルカは少し考えた。
「国民が、自分の人生を自分で選べる国にしたいです」
「……そっか」
理沙は笑った。
「じゃあ、明日はそれでいこう」
「はい」
理沙はノートパソコンを閉じた。
「殿下、今日車は?」
「午前中に公務があったので、公用車で来ました。運転手はもう戻ってます」
「じゃあ、王宮まで送りますよ」
「いいんですか?」
「私も帰るところだし」
■4
その日の夜。
理沙の運転する車が、王宮へ向かって走っていた。
助手席にはルカ。
窓の外を、ライトアップされた王都の街並みが流れていく。
しばらくして。
理沙が口を開いた。
「ねえ、殿下」
「はい?」
「私、この五か月、楽しかったわ」
「何言ってるんですか」
ルカが笑う。
「明日の結果に関係なく、大学のプロジェクト自体は続きますよ」
「うん。そうなんだけどね」
理沙も笑った。
「この仕事で分かったことがあるの」
「何です?」
「私ね、答えのない問題を考えるの、結構好きみたい」
「だから、次はもう少し違うことをやってみるのも面白いかなって」
「違うこと?」
「国連職員とか」
ルカが理沙を見る。
「国連ですか?」
「ええ。JPOは年齢的に厳しいけどね」
理沙は前を見たまま、少し笑った。
「私、もう若手じゃないし」
「……」
「キングスブリッジの大学院で修士を取って、国際公共政策とか勉強するのもいいかなって」
「キングスブリッジに?」
「そう。この前行ってみて、いい大学だったし」
「ウォーカー教授に直接教わるのとかも、楽しそう」
「……」
車は王宮の門前へ到着した。
理沙が車を停める。
ルカが車を降りる。
ドアが閉まる。
理沙はすぐに運転席の窓を下げた。
「殿下」
「はい?」
ルカが少し身を屈める。
理沙はその頬に、軽くキスをした。
「……?」
「この五か月、本当に楽しかった。ありがとう」
「先生?」
「じゃあね、殿下」
窓が上がる。
理沙はそのまま車を走らせた。




