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7/11

それぞれの人生


■1 


八月中旬。


シャーロットがロンドンへ戻って、二週間。


その間、二人のやり取りはほとんどメッセージだけだった。


そんなある夜。


ルカのスマートフォンに、珍しくシャーロットから電話がかかってきた。


「ルカ、今いい?」


「ええ。珍しいですね、電話なんて」


「ちょっと報告があって」


「何です?」


「今度のセレニア王位継承特番、私がスタジオ進行やることになったの」


「へえ」


「まあ、フォスターさんの冠番組だけどね」


ルカが少し間を置く。


「フォスターって、あのダニエル・フォスター?」


「ええ、そう」


「それ、かなり大きい仕事じゃないですか」


「地上波じゃなくて、BBCの公式チャンネルだけどね」


「それでも大抜擢でしょう」


「まあね」


声が、少しだけ嬉しそうだった。


「おめでとうございます」


「ありがとう」


少し間が空く。


「それと。職務上、言える範囲だけど」


シャーロットの声が少し変わる。


「BBCで取ってる数字だと、今のところレオン殿下がかなり優勢」


「やっぱりそうですか」


「観光政策は成果が見えやすいからね。あなたの大学は、まだ結果が出てない」


「ええ」


「勝てそう?」


ルカは少し笑った。


「勝ちますよ」


「そう」


「ああ、シャーロット」


「何?」


「空港で、最後に言ってたことなんだけど」


一瞬。


電話の向こうが静かになった。


「……うん」


「その、僕もちゃんと考えた方が――」


「いいよ」


「え?」


「今は継承戦に集中して」


シャーロットはあっさりと言った。


「その話をするために電話したんじゃないから」


「でも」


「あなた、今それどころじゃないでしょう?」


ルカは黙る。


「私はね」


少しだけ、声が柔らかくなる。


「あなたが自分で選んだことなら、なんでも応援するから」


「……そうですか」


「そう」


「じゃあ、終わったら」


「うん。その時にまた話しましょう」


通話が切れる。


ルカはしばらく、暗くなったスマートフォンの画面を見ていた。


ミアとニコの試験結果発表まで。


そして。


王位継承戦、最後のプレゼンまで。


あと三週間。


■2


九月上旬。


金曜日。


セレニア王立法科大学。


「ミア、これ」


理沙が赤字の入った答案を返す。


「結論は合ってる。でも、理由が一段飛んでる」


「ここですか?」


「そう。読み手が知りたいのは、答えを知ってることじゃなくて、どうしてその結論になるのかだから」


「はい」


続いて、もう一枚。


「ニコは逆。慎重すぎる」


「ここですか?」


「そう。前半と後半で、ほぼ同じことを言ってる」


理沙が答案を指でなぞる。


「後半はなくても意味は通じる」


「まとめます?」


「うん。半分くらいにまとめて」


「半分……」


「本番は時間との勝負だから」


「分かりました」


ロンドンで試験を受けてから、五週間。


二人は結果を待つことなく、すでに次の実技試験へ向けた訓練を始めていた。


机の上には、赤字の入った答案が積み上がっている。


理沙は時計を見る。


「よし。今日はここまで」


ミアが顔を上げた。


「もう終わりですか?」


「うん」


「まだできますよ」


「知ってる。でも、もう十分」


理沙は答案をまとめた。


「今日は早く帰りなさい」


「先生がそんなこと言うなんて」


ニコが笑う。


「私だって休ませる時は休ませます」


「じゃあ、帰って何しましょう」


理沙は少し考えた。


「あとは神様にでもお願いしてきなさい」


「神様ですか?」


「そう。やることは全部やったでしょ」


ミアが笑う。


「先生は行かないんですか?」


「私はまだ仕事」


理沙は机の端に置かれたノートパソコンへ目をやる。


「明日のプレゼン、最終確認しないと」


ニコが立ち上がった。


「じゃあ、先生の分も祈ってきます」


「お願い」


理沙も笑う。


「殿下の分もね」


「欲張りですね」


「明日は大事な日だから」


二人は荷物をまとめ、教室を出ていった。


扉が閉まる。


静かになった教室で、理沙はノートパソコンを開いた。


明日。


ミアとニコの試験結果が発表される。


そして。


ルカとレオンの、最後のプレゼンが始まる。


■3


その日の夜。


セレニア王立法科大学。


学生たちが帰った校舎には、理沙とルカだけが残っていた。


理沙はノートパソコンに向かい、明日のプレゼン資料を確認している。


そこへ、ルカが数枚の紙を手にやってきた。


「先生」


「ん?」


「僕の方、これでいきます」


「最終版?」


「はい」


「ちょうどよかった。私の方も見て」


理沙はノートパソコンを少しルカの方へ向けた。


「大学設立から、ミアとニコの育成過程。最後、ここで殿下に戻す」


ルカが画面を確認する。


「ええ。それでお願いします」


「じゃあ、次。殿下の見せて」


ルカから資料を受け取る。


理沙は一枚ずつめくっていった。


王立法科大学の設立。


教育機会の拡大。


将来的な学部の拡張。


ここまでは、昨日まで何度も見てきた内容だった。


そして。


最後の一枚。


理沙の手が止まった。


「……あれ?」


昨日までの資料にはなかった文字が書かれている。


王権の段階的縮小。


立憲君主制への移行。


理沙は顔を上げた。


「これ、昨日なかったよね」


「はい」


「今日入れたの?」


「ええ」


ルカは理沙の手元の資料を見る。


「王になったら、これを始めます」


「……本気?」


「本気です」


理沙はもう一度、最後の一枚を見る。


「王様になろうとしてる人が、王様の権限を減らすんだ」


「変ですか?」


「ううん」


理沙は少し笑った。


「むしろ、あなたらしくなくなったなって」


「褒めてます?」


「すごく褒めてる」


ルカも笑った。


理沙は資料を揃えて返す。


「ねえ、殿下」


「はい?」


「王様になったら、何がしたい?」


ルカは少し考えた。


「国民が、自分の人生を自分で選べる国にしたいです」


「……そっか」


理沙は笑った。


「じゃあ、明日はそれでいこう」


「はい」


理沙はノートパソコンを閉じた。


「殿下、今日車は?」


「午前中に公務があったので、公用車で来ました。運転手はもう戻ってます」


「じゃあ、王宮まで送りますよ」


「いいんですか?」


「私も帰るところだし」


■4


その日の夜。


理沙の運転する車が、王宮へ向かって走っていた。


助手席にはルカ。


窓の外を、ライトアップされた王都の街並みが流れていく。


しばらくして。


理沙が口を開いた。


「ねえ、殿下」


「はい?」


「私、この五か月、楽しかったわ」


「何言ってるんですか」


ルカが笑う。


「明日の結果に関係なく、大学のプロジェクト自体は続きますよ」


「うん。そうなんだけどね」


理沙も笑った。


「この仕事で分かったことがあるの」


「何です?」


「私ね、答えのない問題を考えるの、結構好きみたい」


「だから、次はもう少し違うことをやってみるのも面白いかなって」


「違うこと?」


「国連職員とか」


ルカが理沙を見る。


「国連ですか?」


「ええ。JPOは年齢的に厳しいけどね」


理沙は前を見たまま、少し笑った。


「私、もう若手じゃないし」


「……」


「キングスブリッジの大学院で修士を取って、国際公共政策とか勉強するのもいいかなって」


「キングスブリッジに?」


「そう。この前行ってみて、いい大学だったし」


「ウォーカー教授に直接教わるのとかも、楽しそう」


「……」


車は王宮の門前へ到着した。


理沙が車を停める。


ルカが車を降りる。


ドアが閉まる。


理沙はすぐに運転席の窓を下げた。


「殿下」


「はい?」


ルカが少し身を屈める。


理沙はその頬に、軽くキスをした。


「……?」


「この五か月、本当に楽しかった。ありがとう」


「先生?」


「じゃあね、殿下」


窓が上がる。


理沙はそのまま車を走らせた。


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