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4/11

王子の国

■1


授業開始前夜。


王立法科大学の職員室には、理沙だけが残っていた。


机の上には、日本にいる間に作った授業案と、SQE1の資料が積み上がっている。


出題範囲。サンプル問題。試験方式。合格基準。


パソコンには、四か月分のカリキュラム案。


隣の会議室からは、ときどきルカの声が聞こえていた。


夕方から、ずっとオンライン会議を続けているらしい。


やがて扉が開く。


「ああ、先生。まだ残ってらしたんですね」


「明日が初日だからね」


ルカは職員室へ入り、軽く肩を回した。


「ずっと会議してたでしょ」


「普段は王宮の執務室でやるんですけどね。何分、今は忙しいもので」


「王子様も大変ね」


ルカは理沙の机に積まれた資料を見る。


「どうです? なんとかなりそうですか?」


「明日、本人たちと話してみないと分からないけど」


理沙は画面をスクロールした。


「何もできなくはないと思います」


「本当ですか?」


「試験ですから」


理沙はあっさり答えた。


「出るものは決まってます。傾向と対策を詰めて、必要なところを潰していく。あとは最短距離を走らせればいいと思います」


ルカが笑う。


「やっぱり先生を呼んで正解でした」


「まだ受かってませんけどね」


理沙は資料を一冊閉じた。


「でも、殿下」


「はい?」


「二人をSQE1に受からせて、その次は?」


「王立大学を大きくします。法学だけじゃなく、経済や行政も。いずれは国内に人材育成機関を増やしたいです」


「その次は?」


ルカが止まった。


「……その次?」


「人を育てて、それでこの国をどうするんですか?」


「もっと豊かにします」


「豊かにして?」


「臣民を幸せにします。それが王たる者の務めですから」


理沙は首を傾げた。


「幸せって?」


「え?」


「何ができれば幸せなの? お金があれば? 好きな仕事ができれば? 家族がいれば?」


ルカは少し考えた。


「……そこまでは、まだ」


「国家プロジェクトなのに?」


「だから」


ルカは笑った。


「それを先生と一緒に考えていきたいんです」


「答えないのね」


「先生と一緒なら、なんとかなる気しません?」


理沙は黙って画面を見る。


東都大には合格があった。


司法試験にも正解があった。


高瀬塾では合格者数や再生数が返ってきた。


けれど。


どんな国なら、人は幸せなのか。


そこには採点者も、模範解答もない。


何を正解とするのかから、自分たちで決めなければならない。


理沙は少しだけ笑った。


「……面白そう」


「え?」


「私、それやってみたい」


口にしてから、自分でも少し驚いた。


やりたい。


そんな理由で何かを選んだのは、初めてだった。


理沙はパソコンを閉じた。


「さて。今日はここまでかな」


「もう帰れます?」


「うん」


「よろしければ、迎賓館までお送りしますよ」


「じゃあ、お願いしようかな」


「もちろん」


二人は明かりの落ちた職員室を出た。


■2


翌朝。


王立法科大学の教室には、学生より記者の方が多かった。


壁際にはテレビカメラが並び、外国人記者たちがノートパソコンを開いている。


教壇の前には、ルカ、理沙、ミア、ニコ。


「……ずいぶん来ましたね」


理沙が小声で言う。


「国家プロジェクトですから」


ルカは平然としていた。


やがて王室広報官が開始を告げる。


ルカが一歩前へ出た。


「建国以来八百年。ボーモント家は、セレニアを美しく豊かな国として導いてきました」


カメラのシャッターが鳴る。


「観光業は発展し、多くの臣民が安定した生活を送っています」


ルカは一度、記者たちを見渡した。


「しかし、その豊かさの中で、すべての臣民が等しく機会を得ているとは言えません」


「生まれた地域や、家庭の経済状況によって、受けられる教育が決まってしまう」


「高度な教育を受けるためには国外へ出る必要があり、国費留学にも限りがあります」


ルカはミアとニコへ目を向けた。


「二人には能力があります。しかし、これまでその能力を生かすための道が国内にはありませんでした」


そして、正面を向く。


「すべての臣民に機会を与える。それが王家の責任だと、僕は考えています」


記者の手が上がった。


「殿下。四か月でお二人をSQE1に合格させるという目標は、現実的なのでしょうか?」


「そのために、日本から専門家を招聘しました」


ルカが理沙へ手を向ける。


理沙は記者たちへ軽く会釈した。


フラッシュが数回光る。


質疑応答は、その後もルカを中心に続いた。


やがて王室広報官が終了を告げる。


記者たちは機材を抱え、次々と教室を出ていった。


最後の扉が閉まる。


急に静かになった。


理沙はミアとニコを見る。


「さて」


教壇へ向かう。


「ここからは、本当に勉強しましょうか」


■3


最後の記者が教室を出た。


扉が閉まる。


さっきまでのフラッシュと話し声が嘘のように、教室は静かになった。


理沙はホワイトボードの前に立った。


「じゃあ、始めましょうか」


ミアとニコが姿勢を正す。


「もう知ってると思うけど、SQE1は問題文を読んで、5つの選択肢から最も適切な答えを一つ選ぶ試験です」


「問題数は360問」


「事前課題を見る限り、二人とも法律の知識そのものは持ってる」


二人の顔が引き締まった。


「試験までは四か月です。だから、ゼロから全部勉強し直すことはしません」


理沙はパソコンから資料を映した。


大量の項目が画面いっぱいに並ぶ。


「サンプル問題と出題範囲を、論点と聞かれ方で私なりに分類しました」


ニコが画面を見る。


「……何個あるんですか?」


「約3千パターン」


「3千……」


「これを、どの角度から聞かれても正答できるようにします」


ミアが手を挙げた。


「具体的には?」


「問題演習」


理沙はあっさり答えた。


「本番まであと四か月。この3千パターンを最低10周」


教室が静かになる。


「……10周…3万問…」


ニコが聞き返した。


「もちろん、正答率が安定したものは外して。間違えた論点は回数を増やします」


ニコは少し考えた。


「3万で足りるんですか?」


理沙が顔を上げる。


ミアも隣でうなずいていた。


理沙は少し笑った。


「頼もしいわね」


ホワイトボードに大きく書く。


四か月後 SQE1合格


「じゃあ、始めましょう」


二人は同時に答えた。


「はい」


ルカは笑顔で3人を見ていた。


■4


その日の夜。


王宮へ向かう車の中。


理沙は背中を気にしながら、何度目か分からないため息をついた。


「ちょっと殿下。この服なんなんですか?」


「似合ってますよ」


「そういうこと聞いてないんですけど」


理沙は迎賓館を出たときのことを思い出す。


日本から持ってきた紺色のフォーマルドレスを見たルカは、開口一番こう言った。


『……なんか違うんですよね』


結局、そのまま王宮へ連れていかれ、王室広報の女性たちに囲まれた。


そして今。


理沙が着ているのは、背中が大きく開いた黒いイブニングドレスだった。


髪まで整えられ、普段より少し濃い化粧をされている。


「ハリウッド女優が着るやつですよね、これ」


「いいじゃないですか。僕は好きですよ、そういうの」


「殿下の好みは聞いてません」


ルカは楽しそうに笑った。


理沙は窓の外を見る。


「そもそも、今日ってそんな大げさな会なんですか?」


「名目は晩餐会ですけど、王室主催のレセプションですね。海外メディアも来ます」


「また記者?」


「観光はセレニアの重要産業ですから」


ルカは当然のように答えた。


「王家の行事も重要なプロモーションなんです。外国の新聞やテレビで王宮が映れば、それだけで国の宣伝になります」


「王族まで観光資源なんですね」


「ええ。」


「臣民を豊かにするには、王室が率先して働かなくてはいけません」


車が坂を上る。


やがて、夜の丘の上にライトアップされた王宮が姿を現した。


「寄り道しましたけど、まだ間に合いますね」


石造りの巨大な宮殿。


正門には正装した衛兵が並び、その向こうへ黒塗りの車が次々と吸い込まれていく。


理沙は窓越しに見上げた。


「……なんか、本当にすごいところに来ちゃったな」


車は、そのまま王宮の門をくぐった。


■5


荘厳なセレモニーが終わり、会場は晩餐会へ移った。


理沙が広間を見渡す。


その中で、ひときわ大きな人だかりができている場所があった。


外国人投資家。ホテル経営者。海外メディア。


その中心で笑っているのは、第一王子レオン・ボーモント。


26歳。


長身。


日に焼けた肌。


無造作に整えられた髪。


豪放磊落。ワイルドでセクシー。


Instagramのフォロワーは、1200万人。


「……日本の人口の十分の一じゃない」


理沙が呟く。


「兄は人気ありますからね」


隣でルカが答えた。


「セレニアの人口の十倍でしょ?」


「ええ」


そのレオンが、こちらに気づいた。


「ルカ!」


投資家たちに一言断り、人垣を抜けて歩いてくる。


「久しぶりだな」


「三日前にも会いましたよ」


「細かいこと言うな」


レオンは笑って弟の肩を叩いた。


そして、理沙を見る。


「ところで、そちらの素敵な女性は?」


「ああ。僕の技術顧問の藤原先生です」


レオンの顔が明るくなる。


「彼女がお前がいつも話してる藤原さんか」


「いつも?」


理沙がルカを見る。


レオンは笑いながら、理沙へ手を差し出した。


「レオン・ボーモントです。お会いできて光栄です、藤原先生」


「藤原理沙です。こちらこそ」


握手する。


見た目は海賊みたいなのに、振る舞いは驚くほど紳士的だった。


「兄として」


レオンはルカを見る。


「そして今回のライバルとして、弟をよろしくお願いします」


「はい」


「まあ、王位は譲りませんけどね」


「僕もそのつもりはありません」


レオンが笑って、弟へ右手を差し出す。


ルカもその手を握った。


その瞬間。


周囲の記者たちが一斉にカメラを向けた。


フラッシュが、何度も二人の王子を照らした。


■6


「藤原先生、お腹もすいたでしょう」


レオンと別れたあと、ルカが言った。


「まあ、それなりに」


「僕はまだ少しかかりそうなので、先に何か食べてきてください」


「殿下は?」


「挨拶回りが残ってます」


「王子様も大変ですね」


「仕事ですから」


ルカはそう言うと、今度は外国人客の一団へ歩いていった。


理沙は一人、料理の並ぶテーブルへ向かう。


魚介料理。肉料理。色鮮やかな前菜。


グラスを手にした人々が、英語やフランス語で談笑している。


「……ほんとに王宮の晩餐会なんだな」


皿に料理を取りながら、会場を見渡す。


少し離れたところでは、一人の老紳士が外国大使らしい夫妻と話していた。


セレニア国王。


リチャード十四世。


六十歳ほど。


派手な身振りはないが、そこに立っているだけで周囲の空気が違った。


その近く。


白髪の男が数人の官僚らしい人物に囲まれている。


「あの人が……」


大宰相エドガー・サヴェル。


レオンやルカほど目立たない。


それでも、彼が歩けば人が自然に道を空けた。


さらに奥では、上品な年配の女性が招待客たちに声をかけていた。


エレノア・サヴェル。


二人の王子を育てた女性だと、ルカから聞いている。


誰かが困ればすぐに気づき、給仕に指示を出す。


王族ではない。


それでも、この場を誰よりよく知っているように見えた。


「なるほどねえ……」


理沙は料理を一口食べた。


「おいしい」


しばらくして、ルカが戻ってきた。


「先生、楽しんでます?」


「食べ物はね」


「それはよかった」


そのとき。


「ルカ」


背後から、若い女性の声がした。


■7


「ルカ」


背後から声をかけられ、ルカが振り返った。


そこに立っていたのは、若い女性だった。


淡い金髪を肩で揃え、黒いドレスを着ている。


整った顔立ち。


どこかで見たことがある。


「シャーロット」


「久しぶり」


「セレニアまで来てたんですね」


「仕事よ。あなたのおかげでね」


「それは光栄」


ルカが理沙を見る。


「藤原先生。シャーロット・アシュフォードです。大学時代の同級生で、今はロンドンで記者をしています」


「はじめまして」


シャーロットが手を差し出す。


理沙は握手しながら、もう一度その顔を見た。


「あれ……テレビに出てません?」


「たまに」


シャーロットは小さく笑い、バッグから名刺を取り出した。


BBCのロゴ。


理沙にも見覚えがある国際ニュース番組の名前が記されている。


「やっぱり。見たことあります」


「ありがとうございます」


「今日は取材で?」


「ええ。BBCの取材班で来たの。仕事はだいたい終わったから、今は自由時間」


シャーロットがグラスを軽く持ち上げる。


「それより、ルカ。今日の会見、見たわよ」


「ありがとうございます」


「すべての臣民に機会を与える、だったかしら?」


「ははっ」


ルカは迷いなく答えた。


「王たる者には、臣民へ機会を与える責任がありますから」


シャーロットは一瞬、黙った。


そして、小さくため息をつく。


「……あんたって、いつもそうよね」


「何が?」


「なんでも自分で抱え込むところ」


「王子だからね」


「ほら、それ」


シャーロットは呆れたように笑った。


そのとき、少し離れた場所から王室職員が声をかけた。


「ルカ殿下。少々よろしいでしょうか」


「すみません」


ルカは二人へ軽く頭を下げる。


「先生、少しここで待っていてください」


「えっ、あっ、はい」


ルカが人混みの向こうへ消えていく。


理沙とシャーロットだけが残った。


シャーロットは、しばらくその背中を眺めていた。


「あいつ、昔からそうなのよ」


「そうなんですか?」


「『王たる者は、与える者でなくてはならない』って」


シャーロットはグラスを傾ける。


「でも、欲しいものって、口を開けて待ってたって手に入らないでしょう?」


「……まあ」


「自分から取りにいかないと」


そして、理沙を見る。


「あなたは、どう思う?」


理沙が答える前に、シャーロットは少し笑った。


「いけ好かない男でしょ? あいつ」


■8


「私、少し酔ったかしら」


シャーロットが頬に手を当てた。


そのとき。


会場の向こうから、カメラを担いだ一団が近づいてくる。


「シャーロットさん、そろそろ戻りますよ」


「あら。呼ばれちゃった」


シャーロットは理沙へ向き直った。


「それじゃ、藤原先生。短い間でしたけど、楽しかったわ」


「こちらこそ」


「また、どこかで」


軽く手を振る。


シャーロットはBBCの取材班と一緒に、人混みの向こうへ消えていった。


理沙はその背中を見送る。


「欲しいものは、自分で取りにいく……か」


しばらくして。


「お待たせしました」


ルカが戻ってきた。


「シャーロットさん、帰りましたよ」


「そうですか」


「殿下は?」


「僕は、もう少しかかります」


「まだ?」


理沙が会場を見渡す。


先ほどまで大勢いた招待客も、少しずつ減り始めていた。


「ホスト側なので。最後のお客様がお帰りになるまでは残らないと」


「なるほど」


理沙は少し考えた。


そして気づく。


「……私、帰れなくありません?」


ルカが申し訳なさそうに笑った。


「すみません」


「足、殿下に迎えにきていただきましたし」


「もう少しだけ付き合ってください」


「はい」


理沙はため息をついた。


慣れないドレス。


慣れないヒール。


朝から記者会見に授業、それから王宮のセレモニーと晩餐会。


さすがに少し疲れてきた。


それに、会場の熱気も暑い。


ルカがそれに気づいたらしい。


「よかったら、バルコニーで休んでいてください」


「バルコニー?」


「ええ。夜は涼しいですよ。港も見えます」


理沙は開かれた大きな窓の向こうを見る。


白いカーテンが、夜風に揺れていた。


「じゃあ、そうしようかな」


「終わったら迎えに行きます」


「お願いします」


理沙はグラスを置き、一人でバルコニーへ向かった。


■9


バルコニーへ出ると、夜風が頬を撫でた。


昼間の暑さが嘘のように涼しい。


眼下には、セレニアの港。


停泊するヨットやクルーザー。


その向こうに、街の明かりが海岸線に沿って続いている。


「……きれい」


理沙は壁際の椅子に腰を下ろした。


慣れないヒールを少しだけ脱ぐ。


「生き返る……」


朝から長い一日だった。


記者会見。


授業。


三万問。


王宮。


そして晩餐会。


目を閉じる。


今日だけで、ずいぶんいろんな人に会った。


第一王子、レオン。


国王、リチャード十四世。


大宰相、エドガー・サヴェル。


両王子の育ての親で大宰相の娘、エレノア・サヴェル。


そして――。


『欲しいものって、口を開けて待ってたって手に入らないでしょう?』


シャーロットの言葉が浮かぶ。


欲しいものは、自分から取りにいく。


「……か」


理沙は少し笑った。


そのうち、考えるのも面倒になった。


夜風が心地いい。


遠くから聞こえる音楽も、だんだん小さくなっていく。


理沙は、そのまま目を閉じた。


     ◇


「……ん」


目を開ける。


一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。


「……寝てた?」


時計を見る。


思っていたより時間が経っている。


会場から聞こえていた音楽も、もう止まっていた。


理沙はヒールを履き直し、立ち上がる。


窓の向こうを覗く。


さっきまで人で埋まっていた広間には、もうほとんど客が残っていない。


給仕たちがグラスを片づけている。


「だいぶ終わったみたいね」


理沙は大きく伸びをした。


「殿下、まだ仕事してるのかな」


そろそろ戻ろう。


理沙は一人、静かになった会場へ足を向けた。


■10


理沙は静かになった広間へ戻ろうと、回廊を歩いていた。


そのとき。


人の声が聞こえた。


「殿下」


聞き覚えのある低い声。


理沙は足を止めた。


柱の向こう。


大宰相エドガー・サヴェルと、ルカが向かい合っている。


「今日の発表はいったいどういうおつもりですか?」


「言った内容、そのままですが」


「この国には、この国なりの秩序があります」


エドガーの声は静かだった。


「八百年続いてきた秩序です。それを殿下の理想だけで壊されては困る」


「壊すつもりはありません」


「では、何をなさるおつもりです?」


ルカは答えない。


エドガーが一歩近づいた。


「それとも――」


少し間を置く。


「これは、お母様の復讐ですか?」


理沙の眉が動いた。


母?


「北部の者たちに機会を与え、旧来の貴族を弱める」


エドガーは続ける。


「まるで、あの北部氏族の女が――」


「口を慎めよ、エドガー」


空気が変わった。


理沙は息を止めた。


さっきまでのルカとは、声が違う。


低い。


冷たい。


「誰にものを言っている」


ルカはエドガーを真っ直ぐ見ていた。


「余をセレニア王国、第二王子、ルカ・ボーモントと知っての言か?」


エドガーが黙る。


「母上への侮辱は許さない」


ルカは静かに言った。


「時代が違えば、この場で貴様を斬り捨てても、誰も余を裁けない」


沈黙。


やがてエドガーが頭を下げた。


「……失礼いたしました。殿下」


「分かればいい」


二人は、それ以上何も言わなかった。


理沙はそっと後ずさる。


心臓が、少し速い。


「…………怖っ」


思わず、小さな声が漏れた。


さっきまで笑っていた王子様と、同じ人間とは思えない。


理沙は何も見なかったことにして、その場を離れた。


◇


しばらくして広間へ戻る。


ほとんどの客は、もう帰っていた。


「ああ、先生」


後ろから、いつもの声がした。


振り返る。


ルカが笑っている。


「お待たせしました」


「……はい」


やっぱり。


さっきの人と、同じ人だった。


■11


王宮を出るころには、日付が変わりかけていた。


迎賓館へ向かう車の中。


理沙は窓の外を流れる街灯を眺めていた。


隣には、いつものルカ。


さっきまでと同じように、穏やかな顔をしている。


「今日は長かったですね」


「ほんとです」


「疲れました?」


「慣れない靴が一番疲れました」


「似合ってましたけどね」


「それはもう聞きました」


ルカが笑う。


理沙も少しだけ笑った。


それから、車内が静かになる。


「殿下」


「はい。なんでしょう?」


理沙はルカを見る。


一瞬だけ、さっきの冷たい横顔が重なった。


「……いえ」


「?」


「なんでもありません」


「そうですか」


ルカはそれ以上聞かなかった。


理沙は再び窓の外を見る。


王たる者には、臣民へ機会を与える責任がある。


母上への侮辱は許さない。


「……王子様って、大変なんですね」


「今さらですか?」


「今さら」


車は静かな夜のセレニアを走っていった。



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