私は何でもできた
■1
三月十日。
高校を卒業して1週間。
18歳の藤原理沙は、佐伯麻衣の部屋でノートパソコンを覗き込んでいた。
東都帝国大学、合格者発表。
「あった!」
麻衣が声を上げる。
「私の番号!」
「おめでとう」
「理沙は?」
画面を少し下へ送る。
「あ、あった」
「やった!」
麻衣が理沙に抱きついた。
「痛いって」
「だって、一緒に行けるんだよ!」
二人とも東京西北大学にはすでに合格していた。
「西北だったら、大宮のおばさんの家から通えって言われてたの」
「大宮でもいいじゃない」
「大学生になってまで門限ある生活は嫌なの」
麻衣は少し笑った。
「東京行くの、ちょっと不安だったんだよね」
「麻衣が?」
「私だって不安くらいあるわよ。でも理沙も一緒なら大丈夫かなって」
「そんなもん?」
「そんなもんよ」
麻衣はパソコンを閉じた。
「今週末、部屋探し行くよ。うちのお母さん、藤原さんと一緒なら二人で住んでいいって」
「私、信用されてるのね」
「だから、その格好も何とかしないと」
「え?」
理沙は高校指定のジャージ姿だった。
「東京の女子大生は、足にわっかの付いたジャージなんて着ないのよ」
「まだ着れるよ」
「着れるかどうかじゃないの」
麻衣が立ち上がる。
「イオン行くよ。私が選んであげる」
「私の服?」
「同居人がそれだと困るの」
「なんで麻衣が困るのよ」
東都帝国大学に合格した日の午後。
理沙は麻衣に連れられて、いつものイオンモールへ向かった。
■2
週末。
二人は新幹線で東京へ出た。
不動産屋に連れられ、何軒か部屋を見る。
「ここ、大学近いよ」
理沙が言う。
「でも駅から遠い」
麻衣は間取り図を見る。
「こっちは?」
「池袋に近い」
「じゃあ、こっち」
「大学より池袋なの?」
「毎日大学だけ行くわけじゃないでしょ」
結局、二人が決めたのは、茗荷谷から少し歩いた古い2DKだった。
六畳が二部屋。
小さな台所。
二人で暮らすには十分だった。
契約を終えると、麻衣が鍵を手のひらで転がした。
「決まったね」
「決まったね」
「ここで四年間かあ」
麻衣が理沙を見る。
「よろしくね、藤原さん」
「こちらこそ、佐伯さん」
二人は笑った。
「じゃあサンシャインシティ行こう」
「何しに?」
「キーホルダーを買うの」
「キーホルダー?」
「初めて自分で持つ家の鍵なんだから、かわいいの付けたいじゃない」
「じゃあ私はポケモンセンターで買う」
「ピカチュウ?」
「カイオーガ」
「……男子小学生みたいな好みね」
「かっこいいじゃない」
「はいはい」
■3
大学三年の初夏。
夕食を食べながら、麻衣が聞いた。
「理沙、インターンどこにした?」
「インターン?」
「……何もしてないの?」
「うん」
麻衣が箸を止める。
「就活、始まってるよ」
「麻衣は?」
「メーカーと不動産と銀行」
「いっぱい行くのね」
「入ってから違った、が一番困るから」
麻衣は理沙を見る。
「理沙は、お父さんと同じで法曹?」
「そうなのかな」
「知らないわよ」
「じゃあ司法試験受けようかな」
「今決めた?」
「法学部だし」
麻衣はため息をついた。
「私はもう決めてるよ。大手、できれば財閥系に入って、二十代で私と同じくらい稼ぐ男を捕まえて結婚する」
「捕まえるんだ」
「三十五までに子ども二人。家は埼玉の南のほう」
「大宮嫌だって言ってたじゃない」
「昔はね。でも、住むなら便利じゃない」
理沙は笑った。
「夢がないわね」
「じゃあ、あなたの夢は?」
少し考える。
「白馬の王子様のお嫁さん」
「そういうのは夢とは言わないの」
■4
大学四年の晩秋。
夜
二人の部屋のテーブルには、宅配ピザとフライドポテトが並んでいた。
麻衣が缶ビールを掲げる。
「司法試験合格、おめでとう!」
「ありがとう」
「乾杯!」
缶を合わせる。
理沙はピザを一切れ取った。
「弁護士って、異議あり!とかやらないみたいだし」
麻衣が手を止める。
「いまさら?」
「もっと法廷でバチバチやる仕事かと思ってた」
「司法試験受かってから言う?」
「受けてみないと分からないじゃない」
「普通は受ける前に調べるのよ」
麻衣はビールを一口飲んだ。
「で、どこ行くの? 四大?」
「うーん。説明会は行ったんだけどね」
「どうだった?」
「みんなすごかった」
「じゃあ行けば?」
「なんか違うのよね」
理沙は二枚目のピザに手を伸ばす。
「高瀬塾にしようかな」
「司法試験予備校?」
「うん。塾長先生いい人だったし、教えるの好きだし」
「それで決めるの?」
「大学から近いし」
「最後の理由いらないでしょ」
理沙は笑った。
「麻衣は、結局どこに決めたの?」
「東都地所ビルマネジメント」
「丸の内?」
「うん。本体じゃないけどね」
「そっか」
麻衣がもう一度、缶を掲げた。
「じゃあ、お互い就職先も決まったってことで」
「もう一回?」
「もう一回」
二人は笑って、缶を合わせた。
■5
藤原理沙、27歳、初夏
東京・帝都ホテル。
披露宴を終えた麻衣は、ウェディングドレスのまま理沙の前に立っていた。
「おめでとう、佐伯さん」
「ありがとう。でも今日から相馬さんです」
「あ、そっか」
理沙は少し離れた新郎を見る。
「同期なんだっけ?」
「うん。入社してから知ったんだけど、大学も同じだったの」
「東都大?」
「そう。学部違うし、学生時代は全然知らなかったけどね」
「へえ。世間狭いね」
「ほんとね」
麻衣は笑った。
「でも、ちゃんといい人見つけたね」
「まあね」
「計画通り?」
「今のところは」
「すごいなあ」
麻衣が理沙を見る。
「理沙は?」
「何が?」
「そういう人、いないの?」
「いないよ」
「うちの人の友達、紹介しようか?」
「なんで?」
「なんでって。全然そういう話聞かないから」
「別に困ってないし」
「まあ、困ってないならいいけど」
麻衣は少し首をかしげた。
「女の人のほうが好きとか?」
「違うわよ」
「今の時代、別に隠すことじゃないのよ」
「だから違うってば」
麻衣は笑う。
「じゃあ、いい人いたら言うね」
「勝手に決めないでよ」
「はいはい」
新郎が麻衣を呼ぶ。
「じゃあ行ってくる」
「うん。改めて、おめでとう。相馬さん」
「ありがとう、藤原さん」
二人は笑った。
■6
藤原理沙、三十歳、冬。
父が死んだ。
脳出血だった。
悲しむ暇は、あまりなかった。
葬儀社、親戚、父の法律事務所、役所、銀行。
気づけば納骨まで終わっていた。
理沙が実家の居間で息をついたところで、スマートフォンが鳴った。
「もしもし」
『理沙? 今、大丈夫?』
麻衣だった。
電話の向こうで、赤ん坊が泣いている。
『ごめん、ちょっと待って。はいはい、いるよー』
「大変そうね」
『そっちに言われたくない』
しばらくして、泣き声が遠ざかった。
『忌引き、いつまで?』
「今週いっぱい。来週から戻るよ」
『高瀬塾?』
「うん。三月までは」
『……三月までは?』
理沙は少し黙った。
「年度末で辞めようと思ってる」
『なんで?』
「私、こっちに戻ろうかなって」
『お母さんのため?』
「一人になるし。前から持病もあるから」
『だったら、お母さんに東京へ来てもらえばいいじゃない』
「それもできるけどね」
『高瀬塾だって、うまくいってるんでしょ。公式チャンネル見たよ。理沙の講義、再生数すごかったじゃない』
「まあね」
電話の向こうで、麻衣が息を吐いた。
『理沙さぁ』
「なに?」
『あんた、なんでもできるのに、もったいないよ』
「なにが?」
『東都大だって受かった。司法試験も受かった。高瀬塾でもうまくいってる』
「うん」
『自分がやりたいこととか、ないの?』
理沙は少し考えた。
「……ないかも」
『そこ、そんな簡単に言う?』
「だって、別に困ってないし」
『困ってるかどうかじゃなくて』
麻衣は少し黙った。
『理沙……』
『私にできることがあったら言って。仕事探すのでも、引っ越しでも。協力するから』
「うん……ありがと」
電話が切れた。
静かになった居間で、理沙はスマートフォンをテーブルに置いた。
「やりたいこと、か……」
天井を見上げる。
「ないのよね……」
三月。
理沙は高瀬塾を退職し、東京を離れた。




