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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十部:消えた緋色の行方

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第5章:交差する航路と野望の天秤

1. 虚空への消炭けしずみ


「緋色の傭兵団をブリタニア王権国へ招聘する」


海軍少佐トーマス・ヴェインの申し出は、団長ガーブの直感的な快諾によって決定事項となった。シンは内心で「やれやれ」と毒づきながらも、即座に次なる盤面を構築し始めた。


まず着手すべきは、情報の遮断と組織の再統合である。


シンは、大陸側の港湾都市ダンクに到着しているはずのオットーへ宛てて、密書をしたためた。


「ハンス、特務隊の精鋭を一人出せ。ブリタニアの船に同乗させ、ダンクでオットーさんにこれを渡させるんだ」


手紙には、現在の異常事態と、全団員をブリタニアへ移送する計画の全容が記されていた。


シンはヴェインに対し、一つの譲れない条件を突きつけていた。


「緋色の傭兵団は全員でブリタニアの地を踏む。一人でも欠ければ、俺たちは行かない。……いいな?」


ヴェインは不愉快そうに顔を歪めたが、シンの冷徹な眼光に圧され、結局は折れた。


計画はこうだ。まず、ブリタニア側が用意した別の輸送船をダンクへ急行させる。そこでオットーら後方支援部隊を、港の目につく場所ではなく《ダンクから少し離れた海岸線》で極秘に乗船させ、公海上で合流する。


これには細心の注意と時間が必要だった。


季節外れの霧が巻く北外海で、二つの船団が合流地点を割り出す作業は困難を極め、結局、十日の月日が流れた。


________________________________________


2. 算盤そろばんと胸ぐら


十一日目の朝。


霧のカーテンが裂け、水平線の向こうから一隻の大型船が姿を現した。


接舷の衝撃と共に、渡り板を真っ先に踏み越えてきたのは、普段の温厚さを微塵も感じさせない般若のような顔をしたオットーだった。


「……シン君」


「あ、やばい」


シンが後ずさりする間もなく、オットーの手がシンの胸ぐらを掴み上げた。至近距離で見開かれた瞳は、怒りで充血している。


「これはどういうことかな? 私たちが、君たちの乗った船が行方不明になったと聞いて、どれほど肝を冷やしたか……理解できているのかい?」


「いや、その、オットーさん。落ち着いて。ね? 俺たちだって好きで海難事故を装ったわけじゃ……」


「ほうぅ? その『事情』とやらを、私に納得できるように説明してもらおうか」


オットーの口角が吊り上がる。笑顔だが、目が笑っていない。シンは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


「シンさん! これがブリタニアの戦船ですか! ほうほうほう、これは凄い! 木材の組み方が大陸とはまるで違う!」


修羅場の背後から、工兵隊長のノインが転がり込むように乗り込んできた。彼は怒り狂うオットーなど目に入らぬ様子で、ブリタニア船の船体を叩き、匂いを嗅ぎ、狂ったように手帳へ図解を書き込み始めている。


続いてイエーガーやゲルドら、陸路組の面々も続々と甲板へ降り立った。


「シン! この野郎、心配させやがって!」


巨漢ゲルドの重い拳がシンの肩にめり込む。


「痛い! 痛いですよ、ゲルドさん! 落ち着いてください!」


怒声と罵声、そして再会の歓喜。


狭い甲板が、一気にいつもの「緋色」の喧騒に染まっていく。シンはその騒がしさに、どこか安堵に近い感情を抱いていた。これが俺たちの団だ。


________________________________________


3. 船上の軍議


その後、一行は船内の一室を借り、幹部会を招集した。


シンはこれまでの経緯――ヴェイン少佐との遭遇、私掠船の正体、そして女王イライザからの招待について、一切の虚飾を排して説明した。


「――というわけだ。俺たちはこれから、ブリタニアの土を踏む」


説明を終えたシンの前で、オットーは組んだ腕を解き、静かに三つの指を立てた。


「三つ、確認したいことがある。一つ。私たちはなぜ、ダンクの港ではなく離れた場所で秘密裏に乗船させられたんだ?」


「今の俺たちの動向は、大陸中の注目の的だ。下手に所在を明かせば、フランクやロマヌスが何を仕掛けてくるか分からん。今、大陸で『緋色の傭兵団は行方不明・・・・・』と噂されている状況は、俺たちの生存戦略において極めて有利に働く。ブリタニア側も、俺たちを独占したい以上、この隠密性を望んでいる」


「なるほど、雲隠れか。……では、君たちが最初に乗っていたアルトマン商会の船はどうなる?」


「ブリタニアで一時拘束する。諸費用はすべてブリタニア持ちだ。パウル・アルトマンには恨まれるだろうが、その不満もすべてブリタニアにかぶってもらう」


シンは冷酷に言い放つ。オットーは溜息をつき、二本目の指を折った。


「二つ目。報酬はどうなっている」


「それは女王に会ってからだ。俺たちに、いつまで、何をさせたいか。その内容で釣り上げる。交渉役は、オットーさん。あんたに頼みたい」


「……私を呼んだのは、最初からそのつもりだったね?」


「まあな」


オットーは呆れたように首を振ると、最後に三本目の指を立てた。その眼差しは、事務方のそれではなく、長年連れ添った戦友の鋭いものへと変わった。


「三つ目。……シン君、君がブリタニアへ渡る『本当の理由』は何だ?」


部屋が、しんと静まり返った。


「ガーブさんは『強い奴と戦える』と喜んでいる。だが、君という男が、単なる戦闘狂の趣味に付き合って国家間の紛争に飛び込むはずがない」


シンは即答しなかった。


視線を落とし、机の上に置かれた航海図の端を見つめる。やがて、絞り出すように答えた。


「……フランク王国、オルレアン伯爵を討つためだ」


オットーは眉を寄せた。


「どういう意味だい? ブリタニアは海を隔てた島国だ。フランクへの復讐とは逆方向に進んでいるように見えるが」


シンは顔を上げ、その瞳に宿る昏い情熱を露わにした。


「俺たちの目的は、オルレアン伯爵への復讐。これは一貫して変わらない。ゲルマニアでアレク大公に恩を売ったのも、すべてはそのための布石だ。だが、今の俺たちだけでは、フランクという大国、そして伯爵の私兵団を正面から潰すには力が足りない」


シンは地図の上に指を走らせた。


「戦略を練り直したんだ。東からはゲルマニア、アレク大公の軍を。そして北からはブリタニアの海軍を。二つの大国を背後に背負い、その力を利用してフランクを――オルレアン伯爵を包囲する」


「……東と北。包囲網か。だが、西と南はどうする?」


「西はヒスパニア王国だ。ブリタニアの次はそこへ向かう。……俺には、あそこに一つ、伝手つてがあるかもしれない」


シンは無意識に、懐に秘めた古い証に触れた。


「南の東ロマヌス帝国は……あいつらとは肌が合わない。憂国の傭兵団を滅ぼした仇同然だ。だから、無視する。もし奴らがフランクに横槍を入れるなら、三国連合で逆侵攻し、帝国ごと潰してやるまでだ」


オットーは言葉を失い、シンの背負った野望の巨大さに戦慄した。


「……成功率は? 損失と利益の予測は」


シンはふっと、自嘲気味に笑った。


「成功率は三割……いや、二割がいいところか。金は大きく動くが、最終的には団の百五十人が、余生を食い繋げる程度の端金は残る。……と思う」


オットーは沈黙し、周囲を見渡した。


ガーブはワクワクと大刀を弄んでいる。


ヤミルは船酔いで青い顔をしながらも、必死に話に食らいつこうとしている。


クリスは楽しげに、ハンスは無表情に、それぞれの決意を固めていた。


「シン君。一つ忘れていないか」


オットーが静かに問う。


「当初の六人には、オルレアンを討つ理由がある。だが、後から加わったイエーガーさんたちや、他の団員たちにその義理はない。彼らがついて来られないと言い出したら、どうするつもりだ?」


シンの瞳に、一瞬の揺らぎもなかった。


「……その時は、分かれる。最後が六人になっても、俺はあいつの喉笛を掻き切る」


シンは言葉を切ると、真っ直ぐに新参の幹部たちを見据えた。


「だが、そうなる前にできる限りのことをやってみたい。……だから、まずはブリタニアだ。俺に、もう少しだけ付き合ってくれるか?」


最初に口を開いたのは、イエーガーだった。


「……行けるところまではな」


続いてゲルドが鼻を鳴らす。


「俺は造るものを造るだけだ。場所はどこだって構わん」


「私もです」とノインが微笑む。「ここなら、面白い技術が見られそうですから」


最後にアインスが、輝くような瞳でシンを見た。


「団の存続のため、そして俺自身の誇りのため……地獄の底まで同行します」


「……ありがとう。行けなくなったらいつでも言ってくれ。恨みはしない」


シンがそう締め括ると、会議室の空気は一変した。


目的は定まった。彼らはもはや、流浪の傭兵ではない。大陸の勢力図を塗り替えるための「毒」として、海を渡るのだ。


二日後。夕刻の紅い陽光が、波間を黄金色に染め上げる頃。


緋色の傭兵団を乗せた船団は、ついにブリタニアの玄関口、ドルベス港へと接岸した。


霧の向こうにそびえる未知の巨壁が、彼らを飲み込もうと待ち構えていた。


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