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『緋色の傭兵団の物語』「ブリタニア編」  作者: 嵗(sai)
第十部:消えた緋色の行方

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第1章:波間に消えた「緋」

第十部:消えた緋色の行方


大陸から突如として姿を消した緋色の傭兵団。北外海を渡る彼らを待ち受けていたのは、ブリタニア海軍少佐ヴェイン率いる私掠船の急襲だった。「戦わずして勝つ」シンの知略が、荒れる公海の法と衝突する。もたらされたのは、女王イライザからの強引かつ正式な招待状。霧の島国への航跡が、シリーズ最大の転換点となる物語の幕を開ける。

1. 密談の静寂


黒鉄期1736年。


かつて神々が去り、真精霊の残した実験場としての役割を終えたムンドゥス世界は、今や人族の英知と鉄、そして冷徹な組織論が支配する時代となっていた。


フランク王国とゲルマニア公国の国境地帯。旧帝都へと続く石畳の旧街道沿いに、その宿場町はある。かつては帝国の血脈として栄え、今は商人と旅人が行き交うこの街の片隅で、マルコは役場の顔役として奔走していた。


かつて「緋色の傭兵団」の屋台骨を支えた彼も、今は一市民として平穏な、しかし忙しない日々を送っている。


そんな彼の元に、一人の男が訪ねてきた。


「これは、さん。旧帝都からわざわざこちらへ出てこられるとは、珍しいこともあったものだ」


マルコは書類から顔を上げ、懐かしい顔に気さくな笑みを向けた。しかし、訪れた初老の男の表情は硬い。


「……マルコ、その名は止めてくれないかな。今の私にはフリッツという名がある」


「ははは、これは失礼しました。フリッツさん。それで、今日はどのようなご用件で? 改まって顔を出すからには、ただの世間話ではないのでしょう」


マルコは冗談めかして言ったが、フリッツの沈黙の重さに、わずかに眉を寄せた。フリッツは周囲を一瞥し、声を潜める。


「……ん。ちょっと、内内の話なんだが」


その一言で、マルコの全身に現役時代の緊張が走った。空気が一変する。


「……分かりました。奥の部屋へどうぞ」


マルコは彼を執務室のさらに奥、厚い木扉で仕切られた私室へと通した。手際よく人払いをし、内側から重い鍵をかける。魔那の濃度が低下したこの時代においても、壁に耳があるのは世の常だ。


「茶でも飲みますか?」


「助かる」


湯気が立ち上る茶碗を挟み、二人はしばらく無言で茶を啜った。静寂の中に、外を歩く群衆の足音や荷馬車の軋みが微かに響く。二人は熟練の傭兵が如く、部屋の周囲に不審な気配がないか、耳を研ぎ澄ませていた。


やがて、完全に「安全」であると確信したマルコが、静かに口火を切った。


「で、旧帝都で何がありましたか?」


フリッツは茶碗を置き、視線を落としたまま告げた。


「それなんだが、エンノ……ああ、いちな。彼宛てに昨晩、緊急の連絡が届いてな」


マルコの脳裏に、旧帝都の暗部に根を張る仲間の顔が浮かぶ。


「旧帝都の政変の話ではないとすれば……アレク大公絡みですか?」


「いや、違う。……あの人たちだ」


マルコの表情が凍りついた。心臓の鼓動が、早鐘を打つ。


「あの人たちの……行方が分からなくなった」


「!」


マルコの手から茶碗が滑り落ちそうになり、辛うじてそれを止める。彼の脳裏には、戦場を「数式」として解く男と、死神と恐れられた赤髪の女の姿が鮮烈に蘇っていた。


________________________________________


2. ベルグラードの焦燥


同時刻。ゲルマニア公国首都、ベルグラード。


かつての廃都に隣接するこの地では、現在進行形で新たな国家の心臓部が形作られていた。大公宮は未だ足場が組まれ、石材を運ぶ職人たちの怒声が響く建設途上の城だ。


大公アレク・フォン・ミューラーは、自らの執務室で、視界を遮るほどの決裁書類の山と格闘していた。


ゲルマニアに平穏が戻ったとはいえ、それはあくまで「戦火が止んだ」ということに過ぎない。


「治安、治水、農政、商業……。どこを突いても穴だらけだな」


アレクは苛立ちを隠さず、羽ペンを走らせる。


かつて複数の領主が割拠し、各々が独自の通行税を課し、勝手な度量衡で経済を寸断していた歪な統治。それをゲルマニア全土で統一し、閉鎖された経済圏をこじ開ける作業は、戦場を駆け抜けるよりも遥かに過酷な泥沼だった。


「度量衡の統一から始めなければならないとは……。学筋治療の四大商家も、流通支配を既得権益として手放そうとしない。傭兵の管理も一筋縄ではいかん」


国家としての統一された治政、共通の商業基準、産業の復興。アレクが進めようとする「現実の統治」は、旧時代の遺物たちとの音の出ない戦争だった。


「……何より、圧倒的に人材が足りん」


アレクと内政大臣ブラウンシュタイン伯爵が立案した政策を、現場で実務に落とし込める官吏が絶望的に不足していた。二人の睡眠時間は削られ続け、アレクの瞳には鋭い疲労の色が浮かんでいる。


この日、アレクは参謀本部のツェンを呼び、国土防衛と治安維持に関する討議を行っていた。


テーブルの上に広げられた巨大なゲルマニア地図。そこには防衛拠点や街道の要衝がマークされている。


「ツェン、この北部の警備網だが――」


言葉を遮るように、扉が激しくノックされた。


アレクが応えるより早く、扉が跳ね上がるように開き、ブラウンシュタイン伯爵が転がり込むように入室してきた。常に沈着冷静な彼の顔は、幽霊でも見たかのように蒼白だった。


「失礼します! 大公閣下、緊急の連絡です!」


アレクは眉をひそめ、山積みの書類を指差した。


「ブラウンシュタイン、緊急の連絡なら俺の机の上に二、三十通はある。書状ならその上に置いておけ。今はツェンと軍政の話をしている」


「書状ではありません! そして、極めて……極めて重要な事案なのです、閣下!」


その尋常ならざる剣幕に、アレクは重い腰を上げた。苛立ちを押し殺し、鋭い眼光を大臣に向ける。


「……よかろう。その『極めて重要』とやらを言ってみろ」


ブラウンシュタインは喉を鳴らし、絞り出すように告げた。


「彼ら……『緋色の傭兵団』本隊が、消息を絶ちました」


「………………なに!」


アレクの背筋に冷たい戦慄が走った。


「詳しく申せ!」「どういうことですか!」


片や新生首都ベルグラード、片や旧街道の名もなき宿場町。


アレクとマルコ。二人の男は、ほぼ同時に椅子を蹴倒し、激昂にも似た声を上げた。


________________________________________


3. 北外海の沈黙


「緋色の傭兵団」一行がゲルマニアを発った後の足跡は、当初、極めて順調なものだった。


アレク大公らと分かれた後、彼らは一度旧帝都に戻り、マルコやエマおばさんら退団組との惜別を経て、新たな拠点候補としてガウス自治領があったゲルニーハーヘンへと向かった。


旅費と運用資金の枯渇は、傭兵団にとって喫緊の課題だった。


後方支援を担うオットーから窮状を訴えられた副団長シンは、ある依頼を受けることを決断する。


それは「ゲルマニア海運商会」のパウル・アルトマンが提示した、商船の護衛任務だった。


「部隊を二つに分ける。これが最も効率的だ」


シンの冷徹な合理主義が、移動ルートを決定した。


騎馬を主力とするイエーガー率いる「狩人隊」、および馬車で移動するオットー、ノインら「後方支援・工兵・輜重隊」の計75名は、確実に陸路で国境を越える。


一方、身軽なガーブ、シンら「主力攻撃部隊」と、ハンス率いる「特務隊」の半数は、海路を使ってフランク王国へと入る。


二つの部隊は十日後、フランク王国の北外海に面した港湾都市「ダンク」で合流することを約束し、それぞれの途についた。


海路を選んだガーブら75名を乗せた船は、パウル・アルトマンの手配により速やかに出航した。予定では四日の航海でダンクに辿り着くはずだった。


十日後。


陸路を走破し、予定通りダンクの港に到着したイエーガーたちは、耳を疑う報告を受ける。


「……緋色の傭兵団を乗せた船? そんなものは入港していないぞ」


港湾管理官の無情な言葉に、イエーガーの表情が強張る。


北外海は「荒れる海」として知られているが、この十日間、海は不気味なほど静まり返っていた。時化による沈没の可能性は低い。


「海賊か? いや、あの団長やシンがいる船を、海賊程度が沈められるはずがない」


イエーガーは即座に近海の捜索を要請した。三日間、血眼になって海域を巡ったが、見つかったのは空っぽの海面と、千切れた海草だけだった。船の破片一つ、漂流物一つとして見つからない。


それは、まるで海そのものが彼らを飲み込み、その存在を消し去ったかのような、不自然な空白だった。


捜索は打ち切られた。港の管理者は事態を重く見て、商船の持ち主であるパウル・アルトマンへ早馬を送った。


報告を受けたパウルは、すぐさまアレク大公の元へ馳せ参じた。


「……商船が海賊に襲われた可能性があります。あるいは、原因不明の難破かと。そして……その船には、ガーブ殿ら緋色の傭兵団も乗船しておりました」


報告を聞き終えたアレク大公は、拳を握り締め、窓の外を見つめたまま、ただ一言、


「……そうか」


とだけ低く呟いた。その背中は、かつてない孤独と怒りに震えていた。


________________________________________


4. 誤算の連鎖


残された者たちの動揺は深かった。


ダンクに取り残されたオットーとイエーガーは、途方に暮れながらも、一縷の望みに縋った。


「あのガーブたちが、黙ってやられるわけがない」


彼らはハンスが残していった特務隊の残員を総動員し、裏社会の情報網を駆使して捜索を続行した。


一方、マルコとフリッツは、自分たちの無力さを噛み締めていた。


「旧帝都の地下網でも、海の上のことは追いきれん……」


マルコは、かつての戦友たちの無事を祈る以外、なす術を持たなかった。


なぜ、知略の塊であるシンが、これほどのリスクを冒したのか。


そこには、彼の「合理」ゆえの誤算があった。


シンが海路を選択したのは、単なる資金調達のためだけではない。


「陸路でフランク王国に入れば、オルレアン伯爵の網に掛かる。海から秘密裏に入国し、彼らの背後を突く準備を整えるべきだ」


シンは、自分たちの行動を監視しているのは、復讐の対象であるオルレアン伯爵だけだと考えていた。


公式記録には「緋色の傭兵団」の名は伏せられ、単に「国外退去を命じられた素性の知れぬ傭兵たち」とだけ記されている。それゆえ、正体を隠して移動すれば、追っ手を撒けると考えていたのだ。


しかし、それは甘い見積もりだった。


戦場を知る者たちの「噂」というものは、魔那の奔流よりも速く、そして広範に伝播する。


「ゲルマニアを救った謎の傭兵団」


「死神の再来」


「数式で敵をなぎ倒す参謀」


庶民の間で流布する武勇伝は、いつしか各国の諜報網に引っかかる「特異点」へと変わっていた。


傭兵同士、ごろつき同士の情報網を、シンは過小評価していた。彼らの情報は、利害が一致すれば瞬時に共有される。


そして、何よりも致命的だったのは、西方諸国の枢密たちの動向だった。


フランク王国、ブリタニア、ヒスパニア、北方諸国、そして東ロマヌス帝国。


各国の支配層は、ゲルマニアという緩衝地帯に突如として現れた「制御不能な武力」を、極めて危険な「特異体」として注視していた。


公式記録以上の情報を、彼らは既に握っていたのだ。


緋色の傭兵団は、彼らが気づかぬうちに、世界の勢力図を揺るがしかねない「危険因子」として、網の目の中に囚われていたのである。


北外海の静寂。


それは嵐の前の静けさではなく、巨大な意志が彼らを「排除」するために張り巡らせた、見えない檻の静寂だった。


「緋」の旗は、荒れ狂う波間に消えた。


しかし、物語の歯車は、ここから最悪の形を持って回り始める。



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