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56 終焉の幕開け


 八階、九階。もはやそこは戦場と呼ぶことすら生ぬるい、一方的な埋葬の場と化していた。

 熾祈の全身から噴き出す紅蓮の魔力は、もはや制御を離れ、ただ彼の意思を物理的な破壊へと変換し続ける暴力の奔流だ。鋼鉄の壁は熱に焼かれて飴細工のように溶け落ち、空間に刻まれた物理法則さえも、彼の歩みに合わせて悲鳴を上げながら歪んでいく。


 立ち塞がるヴァニシングオーダーの精鋭部隊。彼らが放つ魔法も、最新鋭の重火器も、熾祈の赤に触れた瞬間に原子レベルまで分解され、無価値な塵へと変貌した。熾祈は立ち止まらない。走ることすらせず、ただ真っ直ぐに、最上階への最短距離を穿ちながら進む。


「邪魔だ」


 その一言。感情を剥ぎ取った冷徹な宣告が放たれた瞬間、大気が爆ぜた。

 最上階へと続く、十数メートルもの厚さを誇る超合金の扉が、内側から巨大な獣に食い破られるかのように、無残なスクラップとなって吹き飛んだ。


 吹き荒れる硝煙。焦土と化した通路。その向こう側から、ゆらりと、一人の死神がモノクロームの玉座の間へと足を踏み入れた。



 踏み込んだ瞬間、熾祈の視界は部屋の構造も、伏兵の気配も無視し、ただ一点に固定された。

 白と黒の幾何学模様に染まった玉座の傍ら。白と黒に発光する不気味な鎖に繋がれ、床に座らされている一人の少女。


 玲奈。


 その姿を視界に捉えた刹那、熾祈を支配していた絶対的な破壊衝動に、微かな亀裂が入った。神経を研ぎ澄ませていた殺気が、氷解するように揺らぐ。時間にして、わずか0.1秒。それは戦士としては致命的な、しかし、一人の男としてはあまりにも人間らしい安堵の顕現だった。


「待たせたな、玲奈。遅くなった」

「いいえ。信じていましたわ、熾祈さん。貴方の魂が放つ極彩色の熱が、わたくしの元へ届くのを」


 短い言葉の交わし合い。だが、その数秒の間には、二人が地獄のような日々を共に潜り抜け、お互いの孤独を埋め合ってきた悠久の時間が流れていた。

 玲奈の無事を確認した熾祈の瞳から、安堵の熱が急速に引いていく。代わりに宿ったのは、星すら凍りつかせるような、純粋で鋭利な死神の光だ。

 救い出すべき光を目の前にして、彼の心を縛る枷は、もう何一つ残っていない。


 パチ、パチ、と。

 凍てついた静寂を切り裂くように、乾いた拍手の音が響いた。玉座からゆっくりと腰を上げたノワールが、一人、皮肉に満ちた賞賛を送っている。


「素晴らしい。僕が用意した十進法の数字たちが、これほど早く、完璧に零にされるとはね。熾祈、君がこの短時間で生み出した負のエントロピーは、僕の計算機を僅かに狂わせるほどに美しい」


 ノワールは優雅な所作で、腰に帯びた漆黒の細剣を抜き放った。その刃は周囲の光を全て吸い込み、存在そのものが空洞のように不気味な虚無を湛えている。


「さあ、始めようか。君が愛と呼ぶ不確かな『熱』が本物か、それとも僕が支配するこの『無』に呑み込まれる単なるノイズか。どちらにせよ、ここでこの次元の全てが決まる」


「ああ、決着をつけてやる。理屈だの数字だの。貴様のその、退屈で反吐が出るような白黒の世界ごと、塵一つ残さず叩き斬ってやる」


 熾祈の足元から紅蓮の炎が爆ぜ、一陣の風となった。


 激突。


 熾祈の放つ重厚な『紅蓮の剣』と、ノワールが操る鋭利な漆黒の細剣が交差した瞬間、最上階の空間そのものが悲鳴を上げて軋んだ。一閃ごとに世界の法則が書き換えられ、モノクロームの空間に鮮血の赤と、死の黒が火花となって飛び散る。


 玲奈の瞳に映るのは、次元を超越した二人の舞踏。

 この世で最も美しく、そして最も残酷な救済の旋律――「最後のアリア」が、今、深淵の地で幕を開けた。




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