55 2色か、虹色か
最上階、十層。
そこは外界の光を一切遮断した、無機質な白と黒のコントラストに塗り潰された玉座の間だった。部屋の中央、影のように静止した玉座で、ノワールは退屈そうに指を弾いた。彼の周囲に展開された数十のホログラムが、死の予兆を告げるノイズを撒き散らす。
四階、五階、六階――。
モニターの中で、熾祈は”赤い閃光”そのものと化していた。ヴァニシングオーダーが誇る精鋭たちが、まるで画面上の不要なドットを消去するように、一瞬の交錯で切り捨てられていく。
――ガァン! ガァン!
無音のはずの映像から、銀の銃声が幻聴のように響く。銃声が轟くたび、画面上に点滅していた生命反応の光が一つ、また一つと黒く塗り潰され、静寂へと帰していく。
「驚いたな。これほどまでに『死神』の鎌が、鋭く研ぎ澄まされているなんて。過去を捨て、愛に蝕まれたことで弱体化するかと思ったが、皮肉なものだね」
ノワールは、隣で白黒の次元の鎖に繋がれた玲奈へ、冷徹な視線を向けた。彼女の瞳は、ノワールの言葉など耳に入っていないかのように、モニターの中で戦い、傷つき、それでも突き進む熾祈の姿だけを、片時も離さず見つめ続けていた。
「ねえ、玲奈。僕にはどうしても理解できないことがあるんだ」
ノワールは優雅な所作で立ち上がり、玲奈の顎を指先で持ち上げた。手袋越しに伝わる冷徹な感触に、玲奈は眉一つ動かさない。
「君のような純粋な『特異点』が、なぜあんな壊れた男を愛しているのか。彼は救いようのない破壊者だ。彼の歩く道には、屍の山と、愛した者を不幸にする後悔しか残らない。過去に救えなかった女の亡霊に今も引き摺られている、空っぽの器だというのに」
ノワールは突き放すように彼女を放し、部屋を見渡すように両腕を広げた。
「この世界はシンプルであるべきだ。白か、黒か。0か、1か。光か、虚無か。それ以外の感情や想い、不確かな”絆”なんてものは、いずれ全て無へと帰す不純物でしかない。君たちが信じる愛だって、肉体が滅びればただの電気信号の終焉、化学反応の残りカスに過ぎないだろう?」
彼の声には、怒りも憎しみも、ましてや嘲りすらなかった。ただ、冬の底に凍りついた湖のような、底知れない虚無の真理だけが横たわっていた。
玲奈は、ノワールの仮面を射抜くような鋭い眼差しで見据え、静かに、しかし毅然と言い放った。
「可哀想な人。貴方には、この世界の本当の鮮やかさが何も見えていないのね」
彼女の瞳に、モニター越しに放たれた熾祈の赤が鮮烈に反射する。その瞳は、もはや囚われの少女のものではない。一つの真実を確信した、一人の女の光を宿していた。
「わたくしが彼を選んだのではありません。わたくしたちが、お互いの絶望を分け合い、空っぽだった互いの世界に、一つずつ色を付け足していったのです。それは貴方の言うような、単純な二進法や合理性で計れるものではありませんわ」
玲奈の唇が、誇らしげに弧を描く。
「想いがいずれ無に帰すとしても、その瞬間に二人の間で灯った熱は、誰にも消せません。熾祈さんがわたくしを呼ぶ声、わたくしが彼の手の温もりを覚えている限り、この世界は貴方の望むような、退屈な白黒には染まりませんのよ。わたくしたちの愛は、貴方の無を焼き尽くす極彩色ですわ」
ノワールの口角が、僅かにピクリと動いた。それは苛立ちか、あるいは未知の感情への不快感か。
「熱、か。滑稽だね。その熱が、自らを焼き尽くすとも知らせずに」
その時。
フロア全体を揺るがすような、地鳴りに近い爆発音が足元から響いてきた。
無数に浮かんでいたホログラムの一つが激しくノイズを吐き、ブラックアウトする。七階の全防衛ラインが突破され、死神が八階へと到達した合図だった。
立ち上る熱気が、最上階の床を伝って伝播してくる。
「来ますわ、彼が。貴方の積み上げた冷たい理屈を、あの方は今、全て焼き切ってくださっている」
「いいよ、玲奈。なら、見せてもらおうか。君の信じるその不確かな熱が、僕の無をどこまで穿てるのか。そして、絶望の色がどれほど深い黒なのかをね」
ノワールは不敵に微笑み、玉座の影から一本の漆黒の細剣を抜き放った。
二人の頭上、モノクロームの天井が、熾祈の放つ赤の魔力の咆哮に呼応するように、微かに、しかし確実に震え始めていた。




