54 早くしないと我儘なお姫様が待っているんでな
秒間数百発。番人が放つガトリングの嵐は、一階の広間を物理的に削り取っていく。硬質なコンクリートの粉塵が猛烈に舞い上がり、視界を不透明な白へと染め上げる中、熾祈は死の隙間を、まるで舞踏家のように優雅に縫った。
「遅いな。止まって見えるぞ」
熾祈の瞳に宿る”赤”の力が、彼の脳内のクロック速度を極限まで引き上げた。荒れ狂う弾丸の一粒一粒が、空中に停滞する鈍い鉄塊へと成り下がる。その、永遠にも等しい静寂の刹那、左手の銀色の銃が冷徹に火を噴いた。
放たれた弾丸は、激しく回転するガトリングの銃口へと吸い込まれるように正確に命中し、高熱に加熱された薬室で内部誘爆を引き起こす。
――ドォォォォォン!
耳を劈くような爆音と共に、番人の右腕が内側から無残に弾け飛んだ。真っ赤に熱された鉄の破片が雨のように降り注ぎ、巨漢が絶叫を上げる。だが、死神に慈悲を請う時間は与えられない。
熾祈は爆炎を真っ向から突き抜け、紅蓮の剣を逆手に構えて番人の懐へと滑り込んだ。彼の足元には、弾丸の雨によって穿たれた無数の穴と、硝煙の黒い影だけが残されていた。
漆黒の特殊重装甲。それは並のエージェントであれば、対戦車用重火器を持ち出さなければ傷一つつけられない、まさに歩く城壁だった。ヴァニシングオーダーが誇る、理不尽なまでの防衛システム。
だが、今の熾祈が全身から放つ”赤”は、物理法則すら捻じ曲げ、次元の壁さえも溶かす熱を秘めていた。過去の絶望を乗り越え、未来を掴むと決めた男の、魂の咆哮。
「時間切れだ、そこをどけ。俺は急いでいる。この程度で立ち止まっている暇など、一秒たりともない」
紅蓮の一閃。
装甲の継ぎ目、わずか数ミリの脆弱な隙間を狙った刃が、番人の生命維持を司るコアを寸分の狂いもなく両断する。
一拍置いて、そびえ立つような巨躯が垂直に真っ二つへと裂け、モノクロームの床に沈んだ。熾祈は返り血を拭うことすら億劫そうに、無感情な眼差しでその残骸を見下ろす。彼の脳裏には、ただ一人、玲奈の不機嫌そうな、けれど愛おしい笑顔だけが鮮明に浮かんでいた。
彼はそのまま崩落した天井の穴を見上げると、重力をあざ笑うように垂直の壁を駆け上がった。その動きは、もはや人の領域を遥かに逸脱していた。
二階。そこは一階の喧騒とは一転し、不気味なほどの静寂に包まれていた。無数の赤いレーザーサイトが網目状に交差する、まるで蜘蛛の巣のような暗殺者の階だ。
あらゆる死角に潜んだ影部隊が、一斉に猛毒の針と高周波振動刃を放つ。
だが、死神の歩みは止まらない。
背後から迫る不可視の刃を、視認することなく銀の銃の銃身で受け流し、そのままゼロ距離で銃弾を叩き込む。左に跳びながら、右手の紅い剣で影部隊の首を撫でるように刈り取っていく。
一挙手一投足、全てが計算され尽くした無駄のない動き。
一階に続き二階を完全に血に染め、三階への階段をあっという間に駆け抜けていった。
三階に足を踏み入れた瞬間、熾祈の全身に十倍の重力が圧し掛かった。肉体が悲鳴を上げ、床がミシミシと音を立てる。
床一面に刻まれた重力固定の術式。ヴァニシングオーダーの魔術師たちが、勝利を確信した薄笑いを浮かべて彼を取り囲んでいた。
「動けまい、死神! 貴様の肉体は、自らの重みに耐えきれず、ここで塵と化すだろう!」
嘲笑する魔術師たちの言葉は、熾祈の全身から放たれた赤い衝撃波によって物理的に断ち切られた。
熾祈は十倍の重力など存在しないかのように、力任せに床を踏み抜く。ひび割れた術式から行き場を失った魔力が漏れ出し、空間そのものが悲鳴を上げて軋んだ。
「俺を待たせている『お姫様』が、なかなかに気が短くてな。これ以上、あの娘を待たせるわけにはいかない」
熾祈の背中から、紅い翼のような、圧倒的な密度の魔力が噴き出す。それは玲奈への想いと、自らへの覚悟が凝縮された命の輝き。
重力という名の鎖を千切り、弾丸以上の速度で突進する死神。魔術師たちの首を次々と刎ね飛ばし、三階を掃除し終える頃には、熾祈の意識は既に、遥か高みで待つノワールの元へと飛んでいた。
彼の鼓動は、加速するエレベーターのように、最上階へと向かって高鳴り続けていた。




