51 二度目の救済
廃工場の静寂を切り裂くのは、硬質な金属音と、赤と銀が混ざり合う死の火花だ。
熾祈が振るう『紅蓮の剣』が描く軌跡を、冥の刃が冷徹に、そして完璧に読み切って弾き飛ばす。彼女が放つ一撃一撃は、かつて熾祈が彼女に教え込んだ必殺のタイミングそのものだった。
「……くっ……!」
「どうしたの、熾祈。動きが鈍いわよ。……“また”私を殺すのが怖いの?」
至近距離で交差する刃の向こう側、冥の嘲笑が、熾祈の耳元で呪いのように囁かれる。
数年前、この廃工場と同じような暗がりのなか、彼女の胸を貫いた時の熱い血の感触。絶望と憎悪に染まりながら、光を失っていった彼女の瞳。
『貴方と、付き合わなければよかった』
あの日、彼女が最期に遺した刃よりも鋭い拒絶の言葉が、今も熾祈の心臓を縛り付けている。そのトラウマが熾祈の腕を、心を、冷たい鉄の鎖のように重く縛り付け、決定的な踏み込みを阻んでいた。
しかし、命を削り合う旋律のなかで、熾祈はかすかな違和感を覚える。
冥がとどめを刺せるはずの瞬間、あるいは熾祈の防御がわずかに遅れた刹那。彼女の剣先が微かに震え、コンマ数秒の奇妙な空隙が生まれるのだ。
「……殺して。……お願い、熾祈。……いや、逃げて……!」
それは、魔具の汚染を突き破って溢れ出した、冥の本音だった。
一瞬だけ、冷徹な人形の仮面が剥がれ落ち、そこには苦痛に歪んだ相棒としての彼女がいた。自分を殺そうとする敵ではなく、かつて背中を預け合い、未来を語り合ったあの頃のままの冥が。
だが、その祈りを踏みにじるように、漆黒の魔具が不気味な脈動を強めて発光する。
「……無駄よ。私の心は、もうこの闇と溶け合っているのだから!」
再び冷徹な処刑人へと戻った冥の刃が、熾祈の肩を深く切り裂いた。熱い血が溢れ、コンクリートの床に暗い赤の斑点を作る。
出血による脱力感、連戦の疲弊。そして何より、愛した女性に再び刃を向けなければならないという精神的な摩耗。熾祈の視界が白く霞み、膝ががくんと折れそうになる。
(もう……いいのかもな。俺のような、女一人救えなかった男は……ここで、過去の亡霊と一緒に消えるのが、一番の救いなのかもしれない……)
諦めという名の心地よい闇が胸をよぎった、その時。
重い瞼の裏に、一人の少女の、生意気で、けれど誰よりも真っ直ぐな声が響いた。
『――熾祈さんがくたばるのは、私の前だけにしてくださいね? それ以外は、わたくしが許しませんわ!』
それは、ノワールに奪われた玲奈の声だった。
過去の亡霊に引き摺り込まれ、死を待とうとしていた熾祈の魂を、現在の絆が、未来への約束が、強引に光の射す方へと引き戻す。
(そうだ……俺にはまだ、やらなきゃいけないことがある。玲奈を、あいつから取り戻すまでは……!)
熾祈の胸の奥で、燻っていた熾火が爆発的な熱量を持って再点火された。
熾祈の瞳から濁った迷いが消えた。
紅蓮の剣が放つ輝きは、これまでにないほど強く、しかし冬の太陽のように静かに燃え上がった。
冥が最期の決着をつけるべく放つ、最大威力の刺突。
熾祈はそれを避けない。
左手に握る銀色の銃の銃身を盾にし、刃を敢えて滑らせて受け流す。そのまま、肉を切らせて骨を断つ距離まで、地獄の業火の中を突進した。
「冥、二度もお前を殺させはしない。今度こそ、お前をその絶望から救い出す!」
熾祈が全魔力を、そして生きたいという玲奈への想いを叩き込んだ『紅蓮の剣』が、冥の剣の根元――不気味に脈動する漆黒の『核』を正面から捉えた。
それは破壊のための赤ではなく、凍りついた時間を溶かし、呪縛を焼き切るための浄化の炎だった。
――パキィィィィン!
空間を震わせる凄まじい硬質の破壊音が響き渡る。
漆黒の魔具が粉々に砕け散り、廃工場を濁った闇ではなく、眩いほどに純白の光が満たしていく。
光の渦の中で、冥の身体から力が抜け、熾祈の腕の中に倒れ込んだ。
「……熾祈。……私、やっと……」
その言葉の続きを聞く前に、熾祈は彼女を抱き留める。
冥の頬に、熾祈から一筋の涙が落ちた。




