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50 鏡像の幸福、終わりの始まり


 廃工場の片隅、狂おしく荒れ狂う漆黒の魔力が火花を散らす。魔具『アジャスターズ・コア』の毒に侵された英莉花は、もはや理性を失い、獣のような咆哮を上げて短剣を振り回していた。その刃が狙うのは、かつて「しきぴょん」と呼び、誰よりも慕った男の心臓だ。


「悪いけど、今は貴女の我儘に付き合っている暇はないの」


 鏡香の声は、凍てつく冬の夜風のように冷徹だった。彼女の指先が優雅に空を舞うと、周囲に展開された数多の浮遊氷が幾何学的な陣形を描き、不可視の結界を構成する。英莉花が纏う黒い霧が、青白い粒子の奔流によって強制的に中和され、霧散していく。


「嫌……来ないで! 熾祈は、私の……私だけのものなの……っ!」

「そうね。でも、その想いごと眠りなさい」


 鏡香の右目は薄い青色だが、右目は燃え盛るような赤――。彼女の右手から放たれた”赤の力”を乗せた衝撃波が、英莉花の意識を寸分の狂いもなく刈り取った。

 糸が切れた人形のように崩れ落ちる英莉花を、浮遊氷が優しく受け止める。鏡香は短剣の中心部を次元の力で圧迫すると、短剣はあっという間に砕け散った。


「しきぴょん……ごめん……なさい……」


「あとは貴方の問題よ、死神さん。過去を清算できない男に、未来を護る資格なんてないわ」


 鏡香が英莉花を連れて離脱し、再び静寂が戻った廃工場の中央。

 熾祈の『紅蓮の剣』と、冥の冷たい刃が、火花を散らしながら競り合う。互いの剣が軋む不快な音が、死神たちの鼓動と重なった。


「鏡香の言う通りね。私たちが幸せになれる道なんて、最初からなかった」


 冥の声は、かつて熾祈が愛した鈴の鳴るような響きのままだった。だが、そこに宿る温度は絶対零度だ。刃を通じて伝わる彼女の憎悪に触れた瞬間、熾祈の脳裏に、鉄の意志で封印していた色鮮やかな記憶が、濁流となって溢れ出した。




 ――数年前。まだ彼が"死神"という名で呼ばれる前のことだ。

 MCA第六課のエージェントとして、熾祈と冥は背中を預け合う唯一無二の相棒バディだった。


『熾祈、次の任務が終わったらまたマスターの店に行きましょう。あそこのカクテル、好きなの』


 任務明けの夜、バー『サイドテイル』のカウンター。琥珀色のライトに照らされた冥は、少しだけ悪戯っぽく微笑んで、熾祈の肩に頭を預けた。二人で笑い合い、血生臭い日常の先にあるいつかを語った夜。それは間違いなく、熾祈の過酷な半生において唯一の、混じりけのない幸福だった。


 だが、その平穏は、ある特異点調査任務において脆くも崩れ去った。

 次元の裂け目から覗き見えたのは、無限に広がる可能性の断片――「別の世界マルチバース」の光景。


 鏡のような次元の壁の向こう側。そこには、銃も剣も持たず、返り血で汚れることもない一人の女性がいた。穏やかな陽だまりの中、エージェントではない別の男性と寄り添い、心からの笑顔を浮かべている冥の姿だ。


(……俺と一緒にいる時より、ずっと幸せそうだ)


 熾祈の心に芽生えた、小さな、しかし猛毒のような自信の喪失。自分といる限り、彼女はこの戦いから逃れられない。自分が彼女を不幸に縛り付けているのではないか。その心の隙間に付け入った謎の人物が居た。


 その男による執拗な精神汚染は、冥の心を急速に蝕んでいった。熾祈を守るために戦っていたはずの彼女の正義感は、いつしか熾祈の存在そのものを不幸の根源として憎む、歪んだ執着へと変質していく。


『……熾祈、わかったの。あの鏡の中にいた私が、本当の私なんだわ』


 漆黒の魔具……自ら愛した者を斬り裂く剣を手にした冥は、絶望に目を見開く熾祈に、魂を切り裂くような呪いの言葉を突きつけた。


『貴方と、付き合わなければよかった。私の幸福は、もっと別の場所にあったのに……!』


 逆上した冥が、熾祈の喉元へと斬りかかる。熾祈は彼女を止めるためにその胸を赤く染めた――はずだった。だが、力尽きた彼女の身体を回収し、嘲笑う白スーツの男と共に暗闇へと消えていったのが、あの地獄のような夜の終焉だった。




「……あの時、俺がお前を救えていれば。お前の言葉を、ただの汚染だと断じることができていれば」


「救う? 笑わせないで。貴方はいつだって、その独りよがりの優しさで私を殺すのよ。相手の事を想っているんじゃない。結局、自分が可愛くて逃げているだけなのよ」


 冥が再び、冷徹な殺意を込めて剣を構える。

 過去の悔恨と、現在の絶望。そして、奪われた玲奈への焦燥。

 熾祈は、自分を不幸の象徴だと断じ、存在を否定した女を前に、再び剣を握りしめるしかなかった。


「冥……俺は、お前を止める。それが二度目の殺人になろうとも、俺はお前を、独りにはさせない」


「言ったはずよ、死神。貴方の行き先は、私の墓標の隣だけなの」


 激突する二人の影。それは、失われた幸福への追悼か、あるいは永劫に続く地獄への招待状か。崩れゆく廃工場に、終わりの始まりを告げる金属音が虚しく響き渡った。



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