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46 愛の行き着く先は苦しみなの?


 バー『サイドテイル』からの帰り道。熾祈と玲奈が本部のゲートを潜るのを、英莉花は一人、夜のテラスから見つめていた。クロノバンドが投影するホログラム映像の中で、二人は寄り添うように夜に溶けていく。


「結局、私はただの”都合のいい相棒”でしかないのかしら」


 玲奈には特異点としての重責があり、鏡香はMCAきってのエリートエージェント。自分だけが、熾祈の隣に並ぶための絶対的な理由を持っていない。”ただの増援でしかない”。その焦燥が、新緑のように瑞々しかった彼女の心をじりじりと焦がしていた。


「――その純粋すぎる想い、実に見事だ。磨き抜かれた宝石のような輝きを放っている」


 闇の底から、滑らかな、しかし背筋を氷でなぞるような声が響く。

 そこに立っていたのは、夜の闇を拒絶するような純白のスーツに身を包んだ男。


「誰……!? ヴァニシングオーダーの刺客ね!」


 英莉花が即座に抜剣し、戦闘態勢をとる。しかし男は戦う素振りも見せず、優雅に両手を広げて微笑んだ。


「おっと、誤解しないでいただきたい。私は貴女の真の味方だ。初めまして、『調律師アジャスター』のゼノと申します。熾祈様を救いたいのでしょう? 彼の心を縛り付ける『過去の亡霊』から。そして、彼を執拗に狙う外敵から」


 ゼノが懐から取り出したのは、心臓の鼓動のように妖しく、ドクドクと紫色に明滅する漆黒の短剣だった。


「これは、使う者の『最も純粋で強い想い』を、絶対的な力へと変換する道具。これさえあれば、貴女は誰よりも強く、誰よりも唯一無二な彼の盾になれる。……さあ、彼を導いて助けなければ。彼が真に救われる場所へと」


 英莉花の脳裏に、自責の念で血が滲むほど拳を握りしめていた熾祈の、あの絶望的な横顔が浮かぶ。


(私が……熾祈さんを救える? 私が、彼にとって代えのきかない存在になれる……?)


 甘い毒のような誘惑。明滅する剣の光りが、英莉花の心をゆっくり溶かしていく。震える指先が、吸い寄せられるように漆黒の魔具へと伸びた。それが、破滅への片道切符だとも知らずに。




 数刻後。平穏を保っていたMCA本部内に、鼓膜を裂くような緊急アラートが鳴り響いた。


「緊急事態よ。外周障壁、第4セクターが突破されたわ。敵は……ヴァニシングオーダーの強襲部隊!」


 モニターを確認する鏡香の表情が、かつてないほど険しく歪む。オッドアイの瞳が、戦場の"違和感"を鋭く捉えていた。


「この魔力の波形、最悪だわ。私の『過去』を弄び、地獄へ突き落とした連中の匂いがする」


 混迷を極める中、熾祈の端末に英莉花から不可解なノイズ混じりの通信が入った。


『しきぴょん、早く特異点ちゃんを連れて逃げてきて! 場所は市街地外れの廃工場――!』


「英莉花……! わかった、すぐに向かう」


 熾祈は即座に部屋を飛び出そうとするが、背後から鏡香の鋭い制止が飛ぶ。


「待ちなさい、熾祈! これは明らかな罠よ! 玲奈をここから引き離すつもり!?」


「だが、ここを潰されるのもまずい。俺が玲奈を逃がす、鏡香は本部の護衛を頼む!」


「……っ、熾祈!!」


 鏡香の必死の叫びも聞かず、熾祈は玲奈の手を引いて夜の街へと駆け出した。

 玲奈は、自分を守るために必死に前を走る熾祈の背中を追うことで、精一杯だった。




 熾祈と玲奈が裏通りを駆け抜け、月明かりも届かぬ廃工場へと辿り着く。そこで彼らを待っていたのは、漆黒のオーラを立ち昇らせて佇む、英莉花の姿だった。


「遅かったわね、しきぴょん。でも、嬉しい。やっぱり貴方は、最後には私を選んでくれたのね」


 振り向いた英莉花の瞳は、かつてのハツラツとした明るさを完全に失い、ドロリとした執着の闇に染まっていた。

 それと同時に、熾祈の左腕のクロノバンドから、鏡香の必死に急かす声が弾ける。


『熾祈! 早く逃げて! そこは……ヴァニシングオーダーの潜伏地点よ!』


 熾祈の目の前で、英莉花が漆黒に染まった短剣をゆっくりと抜き放つ。


「さあ、しきぴょん……いいえ、“私の熾祈”。二人きりの時間を……邪魔な連中が、この世からいなくなるまで、ずっと楽しみましょう?」


 愛が呪いへと反転する瞬間。

 死神の周囲を囲んでいた今という名の壁は、無情な音を立てて崩れ去っていった。



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