44 あの女、いけ好かないですわ!!!
MCA(マルチディメンショナル・クライシス・エージェンシー)本部。監視ルームの重厚な自動ドアが、一切の音を消してスライドした。廊下へと足を踏み出したのは、二人の最高幹部。
先頭を歩くのは、特務課リーダー、クラリス・ヘイゼル。その後ろを、面白そうに目を細めたローズが追う。
「なるほど。モニター越しよりも、現場の『熱気』は凄まじいわね。エントロピーが増大して、空気が物理的に歪んでいるわ」
クラリスは、ドアの隙間から漏れ出る玲奈と英莉花のプレッシャーを肌で感じ、琥珀色の瞳を細めた。二人が室内に入ると、そこには左右から腕を固定され、魂が抜けかかっている熾祈の無残でありながら、どこか羨望を禁じ得ない光景が広がっていた。
クラリスは無造作に歩み寄り、至近距離から熾祈の顔を覗き込む。
「直接見ると、いい男であることは確かね。『死神』の二つ名に似合わず、その眼には、捨てられた獣のような危うい情愛が宿っている。なるほど、女たちが放っておかないわけだわ。観察対象としては、実に”そそる”個体ね」
物理学博士らしい客観的かつ、相手を人と思わぬような無遠慮な評価。それが、静まり返った部屋に特大の爆弾を投げ込んだ。
「…………なっ」
玲奈の周囲で、パチッ、と金と銀色の火花が激しく爆ぜる。
「……クラリス様。……その”品定め”、あまり愉快ではありませんわ。彼は……熾祈さんは、サンプルではありません」
玲奈の瞳が、これまでにないほど鋭くクラリスを射抜く。英莉花もまた、熾祈の腕をより強く自分の方へ引き寄せ、剥き出しの警戒心を露わにした。
「落ち着きなさい、小娘たち。あなた達の欲情を高めるためのAVなんて持ってきてないわ……本題に入るわよ」
クラリスは電子タバコの蒸気を淡く吐き出し、空中にホログラムを展開した。一瞬で室内の温度が数度下がったかのような錯覚を覚える。
「玲奈。貴女の特異点としてのエネルギーレベルが、我々の予測を上回る速度で上昇している。そして、それを嗅ぎつけた”ネズミ”がいるわ」
「ヴァニシングオーダー、か」
熾祈が低い声で応じる。クラリスは短く頷いた。
「ええ。裏で玲奈を拉致するための専門部隊を編成しているという情報が入ったわ。今の貴女をこのまま野放しにすれば、みんなこの世から消される。文字通り、存在の痕跡すら残さずにね」
玲奈の顔からスッと色が失せる。だが、彼女が震えたのは死の恐怖からではない。熾祈の腕を離さなければならないかもしれないという、切実な独占欲の崩壊に対する不安だった。
「熾祈。貴方には引き続き、玲奈の護衛を命じる。二十四時間、文字通り片時も離れず、彼女の”絶対的な盾”であり続けなさい。これは業務命令よ」
「……了解した」
熾祈の淡々とした、しかし揺るぎない返事。その響きに玲奈の表情がパッと明るく華やぐ。だが、ローズがワイングラスを傾けながら愉しげに投げかけた言葉が、その歓喜を瞬時に凍り付かせた。
「でも、今の熾祈一人では手が足りないわ。後方からの情報支援と、現場の物理的バックアップに、特務課からもう一人、腕利きを回すことにしたわよ」
「特務課から? どなたですの?」
玲奈が不審げに問いかける。クラリスが左耳のピアス型デバイスを軽く叩き、無機質な声音でその名を告げた。
「水無月鏡香よ。彼女なら、熾祈の戦い方の癖も、貴女たちの無駄な衝突のいなし方も熟知しているわ」
「…………っ!」
その名が出た瞬間、部屋の温度がさらに数度下がった。
鏡香。銀白のロングヘアに、冷静沈着なオッドアイを宿した、MCA特務課きっての才女。MCAニ大美女の一人と噂されているとのことを英莉花から聞いた玲奈としては、彼女が障壁になることは避けられないと感じていた。
それに、”お人形さん”と呼ばれるのも癪な理由の一つだ。
「……鏡香さん、ですのね」
玲奈の言葉に、隠しきれない棘が混じる。
「あの方、熾祈さんを見る目が、時々とても、”女”になりますもの。あんなにクールを装っておきながら」
「そうよ! 鏡香さんはダメだって! あの人、クールな顔して熾祈のことになると、すぐ冷静さを欠いて私情を挟むんだから! 昔のコンビだからって、今更しゃしゃり出てこないでほしいわよね!」
英莉花も身を乗り出して抗議する。
熾祈は、二人のさらなる猛反発に、ただただ天を仰いだ。
(鏡香が来るのか。あいつは優秀だが、皮肉屋で、少し手が掛かるんだがな。それに、眼鏡の奥の目が笑っていない時のあいつは、冥とはまた別の意味で恐ろしい……)
しかし、玲奈達に異を唱えたのはクラリスだった。
「あのねぇ子猫ちゃん達。鏡香は鏡香で別の男を追いかけるので手一杯なの。こんな死神、眼中じゃないわよ」
仕事上の懸念など、ヒロインたちの耳には届かない。
冥という過去の亡霊。ヴァニシングオーダーという外敵。そして、鏡香という現在における最強のライバル。
「ふふ……これは賑やかになりそうね。熾祈、一週間もつかしら? 貴方の心臓が」
ローズのくすくす笑う声が、静かに、しかし残酷に響く。
熾祈の周りに渦巻く嵐は、もはや次元崩壊の規模を超え、制御不能な恋愛地獄へと突入しようとしていた。




