42 女性二人に綱引きされる男
MCA本部の冷たい廊下。熾祈は、重厚な特別保護室のドアを開けた。
「玲奈、入るぞ」
返事よりも先に、柔らかな体温が飛び込んできた。
「熾祈さん……! お帰りなさいませ、お待ちしておりましたわ!」
ベッドから駆け寄った玲奈が、熾祈の腕に力強く縋り付く。その瞳は、まるで渇いた大地が雨を吸い込むように、熾祈の姿を貪欲に捉えていた。
熾祈は戸惑いながらも、その細い肩を抱き留める。だが、彼の視線は部屋の隅で凍り付いている英莉花に向けられた。
「英莉花、すまない。玲奈の様子はどうだ?」
英莉花は、引き攣った笑みを浮かべたまま立ち尽くしていた。
少し前、不安がる玲奈に「しきぴょんの攻略法、私が教えてあげるから」なんて、余裕たっぷりに請け負ったのは自分だ。年上の、経験豊富な相棒として、導いてやるつもりだった。
(なんで、こんなに、もやもやと……)
視界の端で、玲奈が熾祈の腕に頬を寄せ、うっとりと目を細めている。
胸の奥で、泥のようなもやもやが急速に広がっていく。自分が教えるまでもなく、玲奈は女の武器を使いこなし、熾祈のパーソナルスペースをやすやすと侵略していた。
(教える必要なんて、なかったじゃない……。私よりずっと、あいつを揺さぶってる)
玲奈が熾祈の耳元に唇を寄せ、吐息を吹きかける。その手が、熾祈の背中を、服越しになぞる。
その指先が触れている場所を、英莉花は知っていた。
そこは、以前の任務で彼が自分を庇って負った傷がある場所だ。
(……そこは、私が癒やした場所よ。二人で死地を潜り抜けて、ボロボロになって、やっと守り抜いたあいつの背中なのに……!)
公式なバディではない。けれど、誰よりもあいつの呼吸を知っている。誰よりもあいつの死に急ぐ背中を見守ってきた。言葉にしなくても、視線一つで背中を預け合える。そんな、血と硝煙で築き上げた信頼が、玲奈の柔らかな指先一つで上書きされていくような、そんな耐え難い喪失感が、英莉花を襲った。
(私の方がずっと、あいつのことを信じてる。私の方が……あいつのこと、わかってるのに!)
英莉花の胸の中で、嫉妬という猛毒が決意へと昇華した。
彼女は一歩、踏み出した。そして――いつもの、弾けるような満面の笑みを玲奈に叩きつけた。
「あはっ! さすが特異点ちゃん、攻めるわねー!」
熾祈が「え?」と呆気に取られる中、英莉花は熾祈のもう片方の腕を強引に抱き寄せ、玲奈に負けない距離感で密着する。
「でもね、特異点ちゃん。しきぴょんの扱いは、私の方が何枚も上手なの。積み上げてきた『戦友』としての時間を舐めないでほしいわね!」
「英莉花さん?」
玲奈の火花を真っ向から受け止め、英莉花は熾祈の腕に胸を押し当てるようにして、凛とした声で宣言した。
「熾祈は、私のバディ。例え特異点ちゃん相手でも、譲ってあげるつもりなんて、これっぽっちもないんだから! 本気で欲しければ、奪ってみなさいよ。受けて立つわ!」
左右から腕を引かれ、まるで綱引きの中心になったかのような熾祈。
彼は冷や汗を流しながら、助けを求めるように二人を交互に見た。
「おい、二人とも。仲が良いのはいいが、腕を離してくれないか。骨が鳴ってるんだが」
そんな彼の鈍感な呟きなど、もはや二人には聞こえていない。
視線と視線が火花を散らし、逃げ場のない熱が狭い部屋に充満していく。
「熾祈さん、今夜はわたくしの隣で寝てくださいますわね?」
「ちょっ、何言ってんの特異点ちゃん。こいつの治療の続き、私の部屋でするわよ!」
「おい、話を聞け」
熾祈にとって、冥との死闘よりも苛烈で、かつ甘美な1日が、今、賑やかに幕を開けた。




