30 死神を食むサキュバスの宴
MCA本部が誇る超高層の外壁――次元干渉すら遮断するはずのその防壁が、陽炎のように不自然に揺らいだ。
次の瞬間、空間を透過するようにして、漆黒のドレスを纏った一人の女が音もなく姿を現す。
――ヴァレンタイン。
迎撃に向かった精鋭の男性エージェントたちは、彼女とすれ違っただけで、悲鳴を上げる間もなく自らの喉を掻きむしった。生命の源である水分と魔力を瞬時に強奪され、屈強な肉体は数百年放置されたミイラのように干からびて、砂となって崩れ落ちていく。
一方で、女性エージェントたちは、彼女の鋭い爪から放たれた漆黒の衝撃波に容赦なく弾き飛ばされ、肉片をぶちまける代わりに、無残に壁へと叩きつけられた。
「んー……やっぱり、雑魚の命は薄っぺらくて不味いわね。……熾祈じゃないと、到底物足りないわ」
彼女は退屈そうに、毒々しく赤い唇を舌でなぞる。そして、愛しい獲物――熾祈の放つ死の残り香を正確に辿り、一直線に玲奈たちのいるテラスへと歩みを進めた。
廊下のバリアゲートが紙細工のように破壊され、硝煙の中からヴァレンタインが悠然と姿を現す。
「見つけたわ、熾祈。やっとまた二人きりになれたわね。桃色の小娘も、また私の邪魔をしに来たのかしら?」
「……ヴァレンタイン。貴様、よくもこれだけの犠牲を……っ!」
熾祈は迷いなく銀色の銃を抜き、心臓、眉間、喉元へと正確無比な弾丸を叩き込む。同時に、右腕に収束させた赤の衝撃波を至近距離から炸裂させた。
だが、ヴァレンタインは避けない。それどころか、その破壊の奔流を全身で迎え入れ、豊潤な胸を波打たせて狂おしい声を上げた。
「っ、あ……あぁっ! 素晴らしいわ、熾祈! ロメロハートの時よりも、ずっと……ずっとエッセンスが濃くて、ドロドロになってる……っ!」
かつての戦いよりも、彼女の吸収能力は格段に跳ね上がっていた。
熾祈が放つ破壊エネルギーは一滴も漏らさずヴァレンタインの糧となり、彼女の白い肌を内側から艶やかに発光させていく。
熾祈は左手から赤の力で練り上げたワイヤーを放ち、彼女の四肢を縛り上げる。しかし、彼女にとってはこのワイヤーは極上のストローに過ぎない。
「はぁっ、ん……っ! ああ……最高よ、熾祈……っ」
恍惚とした喘ぎ声を漏らしながら、ヴァレンタインは抗う熾祈を力強く引き寄せ、その細い腕で抱きしめた。彼女の鋭い爪が、熾祈の首筋を愛おしげになぞる。
「……ぐ、あ……っ!」
熾祈の膝が、屈辱に震え、折れかける。
生命力を直接吸い上げられ、意識が遠のき、視界が白濁していく。朦朧とする熾祈の耳元に、ヴァレンタインの甘く、毒を含んだ吐息が吹きかけられた。
「ねぇ熾祈、もうエージェントなんてやめて、私と永遠に繋がりましょう? 安心して、あなたの全部を魂の最後の一滴まで、私が搾り取ってあげるから」
その言葉は、慈悲深い救済のようであり、絶対的な死の宣告だった。
熾祈の指から力が抜け、握られていた銃が硬い床に落ち、乾いた金属音を立てた。
「しきぴょん……っ! 嘘でしょ、しきぴょんが……っ!」
玲奈を連れて離脱しようとしていた英莉花の足が止まる。無敵だと思っていた熾祈が、別の女の腕の中で、あられもない姿で命を吸い取られている。その絶望が、英莉花の悲鳴を震わせた。
玲奈は――立ち尽くしていた。
目の前で、自分の世界そのものである男が、暴力的に、そして艶かしく奪われていく。熾祈の苦悶の表情。ヴァレンタインの悦びに歪んだ顔。
壊れていく静寂の中に、熾祈の力を啜る音と、ヴァレンタインの残酷で美しい微笑だけが響き渡っていた。




