28 桃色の嵐
翌朝。電子モニターが映し出す偽物の朝日が、皮肉なほど爽やかに室内を照らす頃。玲奈はスイートルームのキッチンで、静かな闘志を燃やしていた。
昨夜の失態——もとい、戦略的撤退による心の傷はすでに完治している。彼女が新たに繰り出したのは、古今東西、男の胃袋を掴むという王道中の王道『朝食作戦』だ。
「ふふん、熾祈さんだって人の子。美味しい香りに誘われて、つい顔が綻んでしまうはず……!」
エプロンをきゅっと締め、玲奈は手際よく料理を並べていく。絶妙な焼き色のトースト、シャキシャキの生野菜、そして豆から丁寧に淹れた芳醇なコーヒー。
彼女の計算では、ここで熾祈が「お前、こんなこともできるのか」と目を丸くし、「昨夜の非礼を深く詫びる。代わりに、お前にキスさせてくれ……」と陥落する完璧な勝利シナリオが出来上がっていた。
「熾祈さん、朝食の準備が整いましたわ!」
ソファで瞑想するように目を閉じていた熾祈は、玲奈の声にゆっくりと重い瞼を持ち上げた。彼は無言でテーブルに歩み寄ると、並べられた彩り豊かな料理を、まるで爆発物でも見るような冷徹な眼差しで一瞥した。
「……毒味は?」
「ど、毒味!? 私が心を込めて作ったんですのよ、あるわけありませんわ!」
「MCAの管理調理場以外で作られたものは、混入のリスクが排除できない。……まあいい、俺が先だ」
熾祈は玲奈が期待した感心の言葉など一言も発さず、ただの栄養補給作業のように淡々とフォークを動かす。そのあまりに事務的な態度に、玲奈が「もう一度、昨夜以上の誘惑を仕掛けてやろうかしら」と身を乗り出した、その時だった。
——ピピピッ!
突如、最高警戒レベルを維持していたはずの電子ロックが、軽快すぎる音を立てて解錠された。
「おっはよーございまーす! しきぴょん、元気してたぁ?」
爆音の挨拶と共に、重厚な扉が勢いよく開け放たれる。そこに立っていたのは、無機質な部屋の空気を一瞬でパステルカラーに塗り替えるほど鮮やかな、桃色の髪をなびかせた女性だった。
毛先がふわっと巻かれた透き通るようなパステルピンクの髪。白のオフショルダーから覗く健康的な肩と、MCAの制服をラフに改造したような超ミニスカート。彼女は玲奈の存在など背景の家具か何かのようにスルーし、一直線に熾祈へとダイブした。
「うわぁ、しきぴょん相変わらず死神面だね! 最高! 見てるだけでテンション上がるわー!」
「……英莉花か。ロメロハート支部のエージェントが、なぜ許可なくここにいる」
熾祈がわずかに眉を寄せ、距離感ゼロで詰め寄るその女性を片手で制止する。
彼女こそが、MCAロメロハート支部から派遣された最大の問題児——西園寺英莉花。その天真爛漫な破壊力は、一部で”歩く特異点”とまで囁かれている。
「ひどーいぃ! 本部がピンチだって聞いたから、英々花ちゃんが助っ人に来てあげたんだよ? 感謝してよね!」
英莉花はひまわりのような笑顔を振りまきながら、熾祈の逞しい腕に遠慮なく抱きつく。その光景に、玲奈の手にあったコーヒーカップが「カタカタカタッ」と激しく音を立てて震えた。
「ちょ、ちょっと、あなた! 熾祈さんから離れなさい! この方は今、私の……私の、その……専属護衛中なんですのよ!」
玲奈の悲痛な叫びに、英莉華はようやく動きを止め、不思議そうに首を傾げた。
「あ、もしかして君が噂の『特異点ちゃん』? 想像してたより地味だけど、よく見ると結構可愛いじゃん! そういう放っておけないタイプ、嫌いじゃないよぉ!」
そう言うなり、英莉花は玲奈のパーソナルスペースを強引に突破。驚愕で固まる彼女の頬を、遠慮なくぷにぷにと突き始めた。
「な、ななな……何なんですの、この方は……!」
圧倒的なポジティブエネルギーと、可愛いを具現化して乱雑にかき混ぜたような人物の乱入。
熾祈を巡る戦いに、世界の破滅よりも厄介で、桃色の嵐が吹き荒れ始めた。




