27 終末の夜が近づいても
MCA本部の最上階に近い一角。警戒レベルが最大まで引き上げられた結果、玲奈に用意されたスイートルームは、窓の一枚すらない完全な密室へと変貌していた。
壁一面に広がるパノラマの夜景は、全面ガラスではなく、超高精細モニターが映し出すリアルタイムの映像だ。足首まで沈み込むふかふかの絨毯も、シルクのシーツが掛けられたキングサイズのベッドも、そのすべてが最高級の保護という名の監視を象徴している。
「ベッドが、一つしかありませんわね」
玲奈は火照る頬を微かに染め、その広大な戦場を見つめた。世界を消滅させる力だの、戦略級兵器だの、ローズから聞かされた恐ろしい話は、今の彼女の頭からは綺麗さっぱり消え去っている。今、彼女にとって最大の懸案事項は、この密室で熾祈とどう過ごして”落とす”のか、その一点に集約されていた。
「俺はここで寝る。お前はさっさと横になれ」
熾祈は部屋の隅にある革張りのソファに、無造作に黒いコートを放り投げた。身長190センチ近い彼の身体にはどう見ても窮屈なサイズだが、彼はそこを陣地と定め、モニター越しに外域を監視し始める。
「熾祈さん、そんなところで……身体が痛くなってしまいますわ。あの、ベッドは十分に広いですし、私、端の方で小さくなっておりますから」
「断る」
熾祈は振り返りもせず、短く切り捨てた。
「俺には、子供と一緒に寝る趣味はない。死にたくなければ、そこでおとなしくしていろ」
容赦のない子供扱い。玲奈の胸にちくりと痛みが走るが、彼女もただ引き下がるような、か弱き乙女ではなかった。
「そうですわね。熾祈さん、お疲れでしょうし少しばかり喉を潤しませんこと?」
玲奈は備え付けの冷蔵庫から、琥珀色の液体が揺れるデキャンタを取り出した。バー『サイドテイル』でマスターの動きを盗み見た所作で、彼女は二つのグラスに酒を注ぐ。
「どうぞ、熾祈さん。これ、とっても良いお酒だそうですわよ?」
熾祈は怪訝そうにしながらも、差し出されたグラスを受け取った。冷えたアルコールが喉を焼き、わずかに神経が弛緩する。その一瞬の隙を、玲奈は見逃さなかった。
「ねぇ、熾祈さん」
玲奈は熾祈が座るソファのすぐ隣に、音もなく腰を下ろした。苺のような甘い香りを漂わせ、彼女は小刻みに肩を震わせて見せる。
「私、怖いです。自分の力がどうとか、組織がどうとか……。だから、今夜だけは……その、もう少しだけ、近くに……」
玲奈は潤んだ瞳で熾祈を見上げ、その逞しい胸元に、すべてを委ねるように身体を預けようとした。
だが、その瞬間。
「震え方が不自然だぞ」
低く冷めた声が、玲奈の耳元を打った。
熾祈の視線は、玲奈の顔ではなく、モニターに映る監視データに向けられたままだ。
「本気で怯えている時の脈動じゃない。小細工をする余裕があるなら、さっさと寝ろ」
「えっ……あっ」
玲奈が重心を移した瞬間、熾祈は滑らかな動作でソファを立ち上がり、彼女の身体をひらりとかわした。
支えを失った玲奈がソファに沈み込む間に、熾祈は部屋の対角線上にある、もう一つのパーソナルチェアへと移動してしまう。
「熾祈さんの、いけずっ! わからずや! 死神!」
投げかけられる罵倒をBGM代わりに、熾祈は再び目を閉じた。
モニターが映し出す偽物の夜景。豪華な檻の中で、少女の計算高い誘惑は、死神の圧倒的なまでの冷徹さの前に、無残にも霧散していく。
外の世界では陰謀が渦巻き、終わりの時が近づいている。
そんな緊迫した状況を他所に、二人の間には、世界で最も甘くて遠い拒絶の沈黙が流れていた。




