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26 世界の理を捻じ曲げる少女


 サイドテイルの店内に、ローズの低く、静かな声が染み渡るように響いた。

 彼女がカウンターに置いたのはMCAエージェント専用のタブレットPC。ヴァニシング・オーダーの不気味なエンブレムが刻印された数枚の写真が表示されている。


「以前、ここに襲撃してきた連中の素性は割れたわ。彼らは最初から、玲奈ちゃんを回収するために送り込まれたヴァニシング・オーダーの末端、使い捨ての駒よ」


 ローズは琥珀色の液体を一口含み、グラスの中の氷を微かに鳴らして、熾祈と玲奈を交互に見据えた。


「あいつらは元々、ヴィクターという巨大な障害と正面衝突するのを避けていた。けれど、熾祈ちゃん……貴方が玲奈ちゃんを彼から引き剥がしたことで、あいつらにとっての回収の壁は消滅した。貴方の行動が、皮肉にも最悪の駒・ノワールを招き入れる隙を作ったのよ」


 ローズの冷徹な指摘。だが、熾祈は視線を逸らさず、ただ静かにその言葉を受け止めていた。


「だが、疑問が残る。なぜそこまでして、組織は彼女に執着する?」


 熾祈の問いに応じるように、ローズは一枚のホログラムを宙に表示させた。浮かび上がったのは、銀白髪の特務課エージェント、水無月鏡香が抽出した、最新の魔力波形データだった。


「鏡香ちゃんが持ち帰ったデータの解析が終わったわ。玲奈ちゃん、貴女を狙っている理由は、その美貌や希少性なんていう単純なものじゃない」


 ローズの瞳に、獲物を定める狩人のような鋭い光が宿る。


「この子の本質……それは、この多次元世界における『特異点シンギュラリティ』を無に帰す、完全なる消滅の力。ヴァニシング・オーダーは、自分たちの多次元支配を根底から揺るがすその『消しゴム』を使って、世の中の理を書き換えようとしているのよ」


「……消滅、させる力……?」


 玲奈は自分の掌を見つめ、困惑したように首を傾げた。

 世界を塗り替える戦略級の兵器。特異点の消滅。そんな大層なことを言われても、彼女には全く実感がなかった。物を壊したことさえ数えるほどしかない自分に、そんな恐ろしい力があるとは到底思えなかったのだ。


 一方で、隣に座る熾祈は、驚くほど平然としていた。


「そんな話、知ったことか。聞いたこともないし、興味もない」


 感情の起伏がほぼ見られない、冷淡なまでの肯定。熾祈にとって、彼女が世界を滅ぼす力を持っていようがいまいが、目の前にいるのが管理対象の玲奈であるという事実以上に重要なことなど、何一つなかった。


「聞いたこともない話を信じろと言うのなら、もっとマシな嘘を吐け。彼女が誰であろうと、俺がやることは変わらない」


 ローズは、熾祈の予想通りの反応に小さく肩を竦めると、実務的な口調に切り替えた。


「ええ、そう言うと思ったわ。だって、こんなお話壮大すぎてついていけないわよね。でも、考えてみて?私たちのこれからの未来が全て消される。抵抗もできず、何もできない。もしくは、存在そのものも消されてしまうかもしれないの。だから、当面の措置を伝えるわよ。玲奈ちゃん、貴女は引き続きMCA本部の宿舎に泊まってもらうわ。セキュリティは最高レベルに引き上げる。そして熾祈ちゃん、貴方には他の任務を一切割り当てない。専従警護、それだけが貴方の仕事よ」


 それは組織としての「隔離」に近い決定だったが、ローズなりの、熾祈への信頼と玲奈への配慮でもあった。


「いい? 二十四時間、常に彼女の側にいなさい。これが今の、最適解よ」


 ローズの言葉が終わるか終わらないかのうちに、玲奈の心臓が、これまでとは全く違う理由で大きく跳ねた。


「二十四時間も、熾祈さんと」


 恐ろしい組織に命を狙われている。自分には恐ろしい力があるかもしれない。そんな絵空事のように思える世界の危機よりも、玲奈の頭を支配したのは、あまりにも単純で、甘やかな事実だった。


(……二十四時間、ずっと熾祈さんと一緒に……?)


 任務が割り当てられないということは、彼はどこにも行かない。自分のためだけに、その力と時間を注いでくれる。

 恐怖よりも、緊張よりも。

 玲奈の胸の奥から湧き上がってきたのは、不謹慎なほどの純粋な喜びだった。


「はいっ、喜んで!」


 思わず弾んだ声を上げた玲奈を、ローズはふっと優しく微笑み、熾祈は怪訝そうに見つめる。

 琥珀色の静寂の中で、少女の恋心だけが、無慈悲な運命を鮮やかな桜色に染め上げていた。



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