22 塗りつぶされる赤
熾祈が右手から放たれる渾身の赤のワイヤーが、ノワールの眼前に展開された幾何学的な「白」の障壁に触れた瞬間――。
ジジッ、と耳障りな高周波が雨音を塗りつぶし、赤い閃光はなす術もなく霧散した。
「無駄だよ死神。君の単色じゃ、俺の複合色には勝てない。まっさらな白、全てを合わせて出来上がる黒。俺は次元の能力者としての全てを得られる存在だ」
ノワールが退屈そうに指先で空を切る。
視認できないほどに鋭利な「黒」の粒子が、雨粒を微塵に断ち切りながら、玲奈を庇おうとする熾祈の背中を無慈悲に深く切り裂いた。
「が、はっ……!」
熾祈は玲奈を抱いたまま、濡れた地面を激しく転がった。泥水と、体温を失い始めた鮮血がアスファルトの上で醜く混じり合う。立ち上がろうとする熾祈の腕から力が抜け、彼は自らの血溜まりの中に、静かに沈み込んだ。
「熾祈さんっ!!!」
熾祈が動かなくなったのを見定め、物陰に潜んでいたヴァニシング・オーダーの実行部隊二人が、下卑た笑みを浮かべて這い出してきた。
「ひひっ……死神も形無しだな! おい、その女を渡せ! 手柄は俺たちのものだ!」
一人が玲奈の細い腕を、手荒に掴み上げる。だが、その瞬間。
背後に立つノワールの表情から、一切の温度が消え失せた。
「僕のコレクションに、その汚らわしい指で触れるなと言ったはずだ、クズ共」
ノワールが軽く、拳を握り込む。
ただそれだけの動作で、部下たちの体内に送り込まれていた白の粒子が、死の拍動と共に逆流を始めた。
「ぎ、あ、あああぁぁぁっ!?」
内側から膨れ上がる、破壊的なまでの輝き。二人の工作員は悲鳴を上げる暇もなく、内側から破裂するように光の塵となって消滅した。そこには肉片はおろか、血の一滴すら残っていない。
返り血の一滴すら浴びていないノワールが、恐怖に震える玲奈の前で、優雅に膝を突いた。
雨に濡れることのない黒髪をそっとかき上げ、彼はこの世で最も美しい最高傑作を愛でるような、狂気的に優しい微笑みを浮かべる。
「驚かせてごめんね。汚いゴミは掃除したよ。さあ、玲奈。その死神と一緒では、君という名画が汚れるだけだ」
彼は血に汚れていない、非の打ち所のない真っ白な手袋の右手を、玲奈へと差し出した。
「ボクの元へおいで。君を永遠の静寂の中で、誰にも汚されぬよう守ってあげる。俺と一緒に、行こう?」
玲奈は、差し出された白手袋の手と、冷たい泥の中で息を絶え絶えにしている熾祈を、交互に見つめた。
恐怖で足が震えている。だが、その薄緑色の瞳に宿った意志の光は、決して消えていなかった。
「……お断り、しますわ」
玲奈はノワールの手を冷然と拒絶し、泥にまみれた熾祈の身体に、自ら縋り付いた。
「私は、泥に塗れても……たとえ共に地獄へ落ちようとも、彼といます。貴方の差し出す綺麗な檻など、砂の一粒程の価値もありませんわ」
その言葉が、雨音を切り裂いて響いた瞬間。
絶命したかに見えた熾祈の指先が、痙攣するように、しかし力強く動いた。
熾祈の目が赤黒く光る。その発色は辺りを照らす程。
胸の奥で、かつてないほどの”赤”が脈打ち始める。
彼の傷口から溢れ出す血が、雨に流されるのを拒むかのように、彼の全身を覆う禍々しいオーラへと収束していく。
「……ノワール……」
熾祈の周りの雨が蒸発する共に、漆黒を帯びた紅蓮の炎が全身から立ち昇る。
ゆっくりと、しかし確実に立ち上がる熾祈の姿は、もはや人間が定義できる「死神」の域を超えていた。
「……その手に……触れるな……」
鋼鉄の理性が崩れ去り、その内側に潜んでいた獣が、今、深淵の底で咆哮を上げた。




