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21 白と黒


 降りしきる雨が、燃え盛るセーフハウスの残熱を奪い、濃密な灰色の霧を路地裏に立ち込めていた。

 熾祈は左腕一本で玲奈を抱きかかえながら、濡れたアスファルトを蹴り続けていた。背後からは、ヴァニシング・オーダーの実行部隊が放つ、軍靴の無機質な響きが執拗に追いすがっていた。


「熾祈さん、私の足は動きますわ。降ろしてくださっても――」


「黙っていろ。舌を噛むぞ」


 熾祈の低く、鋭い制止。玲奈は彼の胸元に深く顔を埋め、雨の匂いに混じる、熱い鉄の匂いを嗅いだ。それは熾祈が敵を斬り伏せるたびに、彼のコートに刻まれていく、戦いの残り香。


 前方の角から、三人のエージェントが銃を構えて飛び出してくる。

 熾祈は速度を緩めない。右手から放たれた野球ボール程の赤い閃光弾が、次元を切り裂く高周波の唸りを上げ、雨粒を弾き飛ばしながら空間を縦横無尽に走り抜けた。


「グ、アァッ!?」


 悲鳴すら、雨音にかき消される。

 一瞬の交差。熾祈の光弾を受けた工作員たちは、その身を鋼鉄の壁に叩きつけられ、物言わぬ肉塊へと変わる。熾祈の動きには一切の無駄がなく、それは死を運ぶために設計された精密な機械のようだった。


 だが、その蹂躙が止まったのは、路地裏の突き当たりに、その影が立っていたからだ。


 激しい雨が、その男の周囲だけを避けているかのように蒸発し、白い蒸気が立ち昇っている。

 漆黒のロングコートに、病的なまでに透き通った白い肌。黒髪の間から覗く瞳は、右が「白」、左が「黒」に染まった、この世のものとは思えない異様な輝きを放っていた。


「逃げても無駄だよ?って、雑魚が言うセリフみたいで嫌だけど、俺の場合は本当だよ?」


 男は、退屈そうに首を傾げた。その仕草一つ一つが、残酷なまでに優雅だ。


「……ノワールか」


 熾祈の声音が一段と低くなる。玲奈をすかさず自身の背に隠す。

 全身の毛穴が逆立つような、異質なプレッシャー。目の前の男は、これまで屠ってきた組織の駒とは次元が違う。


「僕の視界において、世界は二色でいい。価値ある『白』か、不要な『黒』か。……君が連れているその女性は、この泥塗れの次元において唯一の純白だ。ヴィクターの元にいた時よりも、ずっとコレクションに相応しい白になっている」


 ノワールの視線が、熾祈の背後で息を呑む玲奈を捉える。その瞳に宿っているのは下卑た情欲ではない。対象をモノとしてしか見ない、剥き出しの蒐集欲だ。


「玲奈、と言ったかな? 君のような完璧な白を、こんな血生臭い『黒』に預けておくのは……僕の美学が許さない。君には僕が用意した、永遠に色褪せない額縁が相応しいんだよ」


「あいにくですが、貴方のような死んだ色しか愛せない蒐集家に渡すつもりはありません」


 玲奈が熾祈の背中越しに、気丈に言い放つ。ノワールは一瞬、驚いたように目を見開き、そして楽しげに、三日月のように唇を歪めた。


「ふふ、素晴らしい。その拒絶さえも、真っ白なキャンバスに散らした最高の一滴だ。熾祈、君を殺すのは組織の命令だが、僕は組織になど興味はない。ただ、君の手からその白が零れ落ち、君の赤が絶望で真っ黒に染まる瞬間……それだけが見たいんだ」


 ノワールが、細い手をかざす。

 刹那、彼の周囲に「白」と「黒」の粒子が渦巻き、熾祈が使う赤とは根本的に異なる、高密度のエネルギー体が凝縮された。光を吸い込み、あるいはすべてを弾き飛ばす球体を作り出す。


「死神の、幕引きだ」


「玲奈、離れるな」


 背中に隠した玲奈に絶対触れさせぬよう、熾祈の右腕が、唸りを上げて赤く発光する。

 雨の路地裏が、二つの絶大な力によって、色のない深淵へと変貌しようとしていた。



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