表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/63

18 共鳴する戦場


 降りしきる冷たい雨が、錆びついた鉄骨を無慈悲に叩く。廃工場の静寂を切り裂いたのは、一発の銃声ですらなく、空気を断裂させる"赤"の閃光だった。


 熾祈が影から躍り出た瞬間、重武装の護衛五人が、反応すらできずに宙を舞った。熾祈の指先から放たれたエネルギー帯のワイヤーが、次元の歪みを伴う赤き力を帯び、鋼鉄の柱ごと敵の四肢を絡め取る。


「……十七秒。少し遅いわね、熾祈」


 頭上、梁の上に立つ鏡香が、冷徹なオッドアイを細めた。丸メガネの奥、彼女の右目――青い瞳が、廃工場全体の構造、敵の位置、果ては空気の流れまでを"青"の力で完全に把握していく。青の力は空間に関わる影響を及ぼしたり、鏡香のように空間認識として使うことが多い。

 鏡香が梁から音もなく飛び降りた瞬間、その姿が霧のように掻き消えた。

 ――“赤の力”による、因果を無視した超加速。

 次の瞬間、彼女はターゲットである要人の背後に現れ、その首筋に冷たい銃口を突きつけていた。


「動かないで。……データを抜く間、暴れられると面倒だから」


 要人の護衛たちが鏡香へ銃口を向けるより早く、彼女の二挺拳銃が、一糸乱れぬリズムで火を噴いた。弾丸は遮蔽物を跳ね返り、熾祈の死角から迫る増援の眉間を、測ったかのような正確さで穿つ。


「黙って見ていろ。……掃討完了だ」


 熾祈が低く呟くと同時に、最後の一人が膝を突く。二人の間に、言葉による打ち合わせなど微塵も存在しない。

 鏡香が”青”で戦場を支配し、”赤”で要人を制圧する。熾祈はその完璧な盤面の上で、残敵を蹂躙していった。

 互いの命を預けるのではない。相手がミスをするはずがないという傲慢なまでの信頼。MCAの歴史が生んだ、美しくも残酷な「双璧」による蹂躙劇だった。


「ふふ、やっぱりあなたとの仕事は最高に効率的だわ。……でも、プライベートの管理は最低ね。今頃、蓮があなたの獲物を美味しく頂いているかもしれないわよ?」


 鏡香が皮肉な笑みを浮かべ、熾祈の肩に指を滑らせる。熾祈は無機質な瞳でそれを見下ろし、吐き捨てるように一言だけ返した。


「心配をするほど、暇ではない」




 一方、セーフハウスのリビングは、速水蓮が放つ甘い毒に侵食されていた。


「玲奈さん。貴女のような方を、こんな暗い世界に置いておくなんて……。先輩は、貴女の真の価値を知らなさすぎる。僕なら、貴女を世界で一番幸福な『宝石』にしてみせるのに」


 速水が至近距離まで顔を寄せ、その琥珀色の瞳に情熱を宿す。

 玲奈は頬をバラ色に染め、まつ毛を微かに震わせながら、守ってあげたくなるような儚い微笑みを浮かべていた。


「まあ。速水様、そんな……。私、耳まで熱くなってしまいそうですわ」


 その可憐な仕草に、速水は落ちたと確信する。

 だが、玲奈の脳内――その特級キャストとしての演算回路は、絶対零度の冷徹さで速水を査定していた。


(語彙が乏しい。声のトーンは甘いけれど、瞳の奥に欲が見えすぎている。合格点には程遠い三流の誘惑ね)


 玲奈にとって、速水の甘い言葉など、かつてサロンで浴びせられた数多の富豪たちの世辞に比べれば、ただのノイズに過ぎない。彼女の心は一ミリも動いてはいなかった。

 彼女が計算しているのは、自らの頭の傾き。速水の視線から最も弱々しく、かつ美しく見える角度、十五度。そして、自分の指先が彼の手に触れそうに、しかし決して触れない――拒絶と期待を同時に抱かせる絶妙な距離。


(この男に触れられるくらいなら、自分の指を切り落とした方がマシ。でも、熾祈さんが帰ってきたときに『私が奪われるかもしれない』という危機感だけは、完璧に植え付けなくては)


 玲奈は内なる殺意と嫌悪を、完璧な恋心へと翻訳し、速水の瞳を見つめ返す。

 それは、死神を揺さぶるための、最も甘美で冷酷な舞台演劇だった。




 制圧後の廃工場。鏡香は要人の端末からデータを吸い出し終え、雨の中に踏み出そうとする熾祈に声をかけた。


「熾祈。もう車を回してあるわ。そんなに急がなくても、逃げやしないわよ。あなたの『お人形』も、それから――あなたの居場所も」


 熾祈は答えず、雨の中に踏み出した。鏡香の皮肉を、単なるノイズとして聞き流したつもりだった。


 セーフハウスへ向かう車中。熾祈の表情は、任務中と何ら変わらぬ鉄面皮を維持していた。呼吸は整い、視線は冷静に前方の夜道を捉えている。

 焦燥など、どこにもない。速水が玲奈をどう扱おうが、それは自分には無関係なはずだ。あくまで速水は護衛であり、玲奈は管理対象。その図式に揺らぎはないと、脳内の演算回路は平然と結論を出している。


 だが。

 無意識のうちに、熾祈の右足はアクセルを深く、強く踏み込んでいた。

 エンジンの回転数が跳ね上がり、車体が夜の闇を鋭く切り裂いていく。


 ふと、熾祈は信号待ちで止まった際、サイドミラーに映る自分の顔を見た。


「ただの、管理だ」


 声に出した言葉は冷たく、どこまでも硬い。

 しかし、信号が青に変わる瞬間、タイヤが悲鳴を上げるほどの急加速で、彼は再びアクセルを踏み抜いた。

 死神の城壁は、彼自身の自覚を置き去りにして、自分の任務をこなすという気持ちに傾倒しているように思えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ