05 スパイシー
温かい光があった。
髪の長い女の子がこちらを見下ろしている。その素顔は影に隠されて見えないが、なぜだか歳の近い女の子だとわかる。頭のうしろにある感触は弾力のある枕かと思われたが、おそらく、この女の子の太ももの上に違いない。視界を下に向けると、自分の身体が横たわっていた。腕や足先もしっかりと動く。僕は、知らない女の子の太ももの上で膝枕をしていたのだ。
女の子が僕のおでこを撫で始めた。
次第に眠気がやって来て瞼を閉じた。暗闇の中で、彼女の指先から人のぬくもりをかすかに感じた。身体が洗われるような、心が浄化されてゆくのような感覚があった。彼女が僕のおでこに何かをなぞっているようにも思えた。
◆
「痛っつ!」
白衣を着た女性が僕の頬に消毒綿を当てていた。眼鏡に髪型はショートカット、優しそうな雰囲気に包まれたその姿は、まさに保健室の先生のようであった。
「ごめんなさい。噂は本当だったのね」
と保健室の先生が意味深に言った。
僕は身体を起こしながら訊いた。
「噂ってなんですか?」
保健室の先生は消毒綿を片しながら答える。
「啓示現象を受けた人は丈夫だって」
僕は自分の手の平を見たあと、保健室の先生に顔を戻した。
「お姉さんは?」
「お姉さんだなんて、もう私、三十一よ」
保健室の先生が嬉しそうに言った。
「私はこの学校で養護教諭をしている坂口と言います。昨日、こちらの保健室に配属されました。はじめまして、日向くん」
毎日、保健室へ来よう。
僕はそう思いながら挨拶を返した。
「はじめまして、日向 葵です。治療してくれたんですよね? ありがとうございます」
突然、保健室のスライドドアが開いた。そこには背の小さな黒いスーツを着た女性が立っていた。背丈に似合わず長い刀を腰に携えている。女性は腕に抱えていた資料を応接スペースにあるソファ席前のテーブルに置いて言った。
「坂口! 日向は起きたか?」
「氏家先生、今、ちょうど起きたところです」
氏家先生がそれを聞くや否やこちらへ歩いて来て、ベッドにいる僕の襟を鷲掴みにして怒鳴った。
「日向! お前、やってくれたなあ!」
僕は首を横に振って叫んだ。
「何かの誤解です!」
「お前、藤原家のご令嬢に何しでかしてんだ! あん?」
藤原家? ご令嬢? 僕のことを蹴飛ばしたあのお嬢さまか!
「氏家先生⁉︎ まだ彼は怪我人ですよ!」
坂口先生が荒ぶる猛獣のような氏家先生の肩に手を置いて抑えるように促した。氏家先生は舌打ちをして僕から離れ、ベルトを外し、ソファの端に刀を立て掛けた。氏家先生がソファにドスンと腰かけて座った。
「日向くんは何をしたんですか?」
と坂口先生が心配そうに訊いた。
氏家先生がそれに答える。
「こいつはなあ、昨夜、藤原の部屋を覗いていたんだ」
坂口先生が女の敵でも見るかのような眼差しを僕へ向けた。変態クソ野郎! 、坂口先生の顔はそう言っていた。
僕はもう一度首を横に振った。
「弁明させてください!」
「聞かせろ」
と氏家先生が圧のある視線を送り始めた。僕はしどろもどろになりながらも、昨夜のことを必死に思い出してこと細かく説明した。
◆
「───つまりこういうことか?」
氏家先生が続けて言った。
「お前はたまたまベランダに出ていて、たまたま向かいの夜景を眺めていたと?」
「いや、まあそうなんですけど……」
「藤原の言い分だとな、着替えているところを見られたと言っているんだが」
……マジか。
僕はあのお嬢さまの生着替えを見ていたのか。
僕は誤解を解こうと奮闘した。
「───夜でしたし、一〇〇メートル以上先の部屋の明かりが見えて、生活している人がいるなあくらいで、別にいろいろ見えたわけじゃないです」
「いろいろとはなんだ」
「いろいろ?」
───は、いろいろだろうが! 皆まで言わせるな!
とは怖くて言えなかった。
「そもそも、どうして藤原さんは僕が見ているとわかったんですか? 僕は遠くて何も見えなかったのに」
氏家先生はため息をついて言った。
「藤原は人よりも視力が高い。そして、藤原の能力に殺気を感じるとその方角がわかるらしい」
僕は、彼女に殺気を送っていたのか……。
「氏家先生、そこまでにしましょう」
坂口先生が仲裁に入ってくれた。
「どうやら行き違いがあったようですし、あとで藤原さんに説明しましょう」
「……そのようだな」
氏家先生がようやく理解してくれたようだった。この先生は明らかにやばい人だ。学校に刀を持ち込んでいるし。もしかして、父さんが言っていた教え子ってこの人のことか。師匠、あなたと同じで弟子もヤバさを受け継いでいます。
「入りは悪かったけど、同級生同士、仲良くやれると良いですね」
坂口先生が健気に微笑んだ。
え? あの藤原とかいう横暴で暴力的なお嬢さまは、僕と同級生なんですか? と訊きたかったけれど、口をつぐんだ。余計なことは言わない方がいい。口は災いの元と言うし。何か気に障ることを言って、氏家先生にぶん殴られるのも嫌だ。
ひとまず、誤解が解けて良かった。このまま話がトントンと進んでいたなら、転校初日で退学になるところだった。しかも、その理由が女の子の部屋を覗いていたからだなんて不条理が過ぎる。次、あのお嬢さまに会えたなら、ひと言だけでも謝ってもらおう。
「自己紹介がまだだったな」
氏家先生が膝の上で手を組んだ。
「私は、氏家 千春。お前の担任教師だ」
終わった……。
僕は天井を見上げた。
「なんだ。不服のようだな。あとで覚えておけよ」
「───何も言ってないじゃないですか」
「まあいい。とりあえず、飯を食え」
氏家先生が坂口先生に箸を持つような仕草をした。
「そうでした、そうでした」
坂口先生はあたふたと冷蔵庫から何かを取り出して、僕の目の前まで運んで来た。おぼんの上にはサンドイッチと紙パックのリンゴジュースがあった。
「早く済ませろ。それが済んだら、抜き打ちテストだ」
氏家先生がせかせかと言った。
「テスト?」
僕はサンドイッチへ伸ばした手を止めて、氏家先生を見た。
「もう十二時過ぎだ。午後十三時ちょうどから抜き打ちテストを始める。それまでに昼食とトイレを済ませておけ。テストの時間は三十分間、選択問題が五〇問。テストが終わったら二十分間の講義。その次は、午後十六時まで射撃と戦術のテストだ」
終わった……。
僕はそう思いながら、もう一度、天井を見上げた。テスト対策なんて一切していない。範囲もわからない。お手上げだ。サンドイッチを美味しく食べることだけに専念しよう。たしか、B校には学生食堂があった。A棟とB棟のあいだに食堂が設けられている。おそらく、このサンドイッチはそこのだろう。サンドイッチは食パンが半分に切られていて、具材はスライストマトにサニーレタス、スクランブルエッグ、チキンぽいのがあった。
ひと口───。
……美味い! トマトやサニーレタスのみずみずしさに、スクランブルエッグからバターの風味がする。チキンにパサパサ感はなく、しっとりとした食感。チキンの主張は強いが、味付けはトマトやレタスといった野菜が抑えてくれているのか、全体的なバランスを保っている。これは、完成度の高いサンドイッチだ!
「食堂のサンドイッチ、美味しいですね」
と僕が口にすると、坂口先生がにこっとして言った。
「そのサンドイッチは氏家先生が作ってくれたんですよ」
・・・・・・ん? 何かの聞き間違えか?
僕はサンドイッチと氏家先生を交互に見た。
「日向、嬉しいこと言うじゃないか」
氏家先生がまんざらでもなく喜んでいるように見えた。
少し頬が赤いような。これがギャップか……。
「氏家先生は料理が好きなんですか?」
「早く食べろ!」
と氏家先生が急かす。僕は萎縮して、はいとだけ答えてサンドイッチを頬張った。
◆
午後十三時まであと五分。
テーブルの上には解答用紙と問題用紙が一枚ずつ、鉛筆が二本、消しゴムが一個だけ置かれていた。氏家先生と坂口先生がぺちゃくちゃとお話をしている。全然、まったくもって集中ができない。何この状況。
想定できる出題の問題として、中学三年生の夏までの範囲と予測すると、数学は二次方程式や関数、平方根があげられるが、他にもこれまでに勉強した範囲も視野に入れておかないとだ。
「三分前」
と氏家先生が急に言った。
「日向、自分の名前を書いとけ。お前の出席番号は六番だ」
僕は鉛筆を持った。
日向 葵、出席番号は……六番と。
六番ということは、訓練科三年生は僕含めると六人しかいないのか? ずいぶんと人数が少ないような……。
「名前と出席番号は書いたか?」
「書きました」
「もう始めていいぞ」
僕は問題用紙の表紙をめくった。とりあえず、どんな問題が出題されているのか全て目を通した。簡単なものから難しいものまである。出題された範囲は中学三年生から高校一年生くらいまであった。解けそうなものから解答して、難しいのは最後に残した。壁に立て掛けてあった時計を見ると二十分も経過していた。残り十分、解けそうにない問題に挑む。
「そこまで!」
氏家先生が止めるように言った。
残り三分で自己採点してみたが、七〇点以上しか取れていなかった。予習しておけば、点数はもっと取れたはずだ。
氏家先生が採点を始めた。ものの数分で終わり、七十六点と告げられた。
「お前の成績順位は五位だ」
と氏家先生が言った。
えーっと、訓練科の人数は僕含めると六人だから、その五番目か。みんな頭が良いな。
「トイレはしなくていいか?」
「大丈夫です」
「講義に進むぞ」
「はい……」
講義では、今、世間で何が起きているのか。訓練科のルールや啓示を受けた人たちに発現した能力についての説明もあった。
昨日、目覚めてからニュースというものに触れていなかったせいか、氏家先生の口から明かされる情報が新鮮でならなかった。まとめるとこういうことだった。
①訓練科の備品について、
訓練科では色んな備品を貸し出していて、その中には訓練用のスーツや武器があるのだとか。武器に関しては、殺傷能力が十分にあるので学校からの持ち出しは禁止としているそうだ。
②テロリストについて、
海外では、ラスト・ジャッジメントというテロリストによる被害が拡大しているという。まだ、日本ではその関連したことで何か起きているわけではないが、備えをするようにと言っていた。まるで予期しているような口ぶりであった。
③メディアについて、
田園都市ユートピアの第一地区と敷地外側を隔てる検問所では、各社メディアがこぞって取材に来ているらしい。プライバシーの保護と警備上の観点から、この施設内での取材は固く禁止しているのだとか。メディア関係者の中で、啓示を受けた人たちもいて、何人ものメディア関係者がルールを破り、この都市から退去という形で追い出さられたそうだ。
もし、街中でそういう人から取材を受けても突き放すか、近くの検問所の警備員や人型ロボット ピンキーに相談することを勧められた。
④衝撃や打撃の耐性について、
啓示現象を受けた人々には、衝撃や打撃による一定の耐性があるのだとか。まだ、その仕組みは解明されていないそうだ。カッターで切れないとか、銃弾が効かないとか、高所から落ちても死なないとか、個体差はある。そのことについては、あとで訓練の際に教えてくれるらしい。怖い!
⑤能力について、
受け取った能力が一つのこともあれば、複合的に能力を得ることもあるのだとか。頭の中にあるイメージを現実に具現化する際、より精度を高めるために名前を付けるといいらしい。
氏家先生が能力を見せてくれた。
「神風」
テーブルの上でそっと風が吹いた。僕の解答用紙が宙に浮いて、ひらひらと桜のように舞った。
こんな形で自分の努力が見られるとは、この先生はなんて残酷で刺激的な人なのだろう……。
氏家先生がドヤ顔して言った。
「というわけだ」
どういうわけ?
氏家先生が宙に舞う用紙を一枚手に取り、テーブルの上に置いた。鉛筆で用紙裏の白紙部分に何かを描き始めた。
「能力は大きくわけて四つに分類される。丸が重なるように三つ描く。丸の一つずつに、───」
「事象的能力」
「精神的能力」
「肉体的能力」
と言いながら書き、三つの重なった中心部分に、
「規格外的能力」
と言って書いた。氏家先生が続けて説明した。
「要約すると、事象的能力には物理現象や化学的反応などの要素がある能力のことを指す。
次に、精神的能力には超感覚的知覚やサイコキシネスなどの要素がある能力のことを指す。先ほど、お前が見たあの風がこれに分類される。
肉体的能力については、運動力の向上や動植物への擬態があげられる。
最後に、規格外的能力は、今言った能力に当てはまらない能力のことを指す。ここまで説明したが、何か質問はあるか?」
ありすぎて……。
「自分の能力がわからないんですけど……」
「そのうちわかるさ」
と氏家先生が言って、チャイムが鳴り始めた。
「よし、次の授業へ行くぞ!」
いやだ! 行きたくない!
坂口先生に助けてと視線を送ったが、彼女は首を横に振るだけだった。氏家先生がソファから立ち上がり、立て掛けてあった刀のベルトを腰に巻いた。氏家先生に担がれ、僕は恥ずかしい思いをしながら、もうそれに身を任せることにした。小さな身体のどこからこんな力が出るのか謎でしかなかった。




