03 白い布地
女の子に蹴られて初めて空を飛んだ。
蹴飛ばされたあとの記憶は曖昧だが、そのときに見えた青い空はいつもより青く感じた。快晴かと思われた空にはぽつんと白い雲があった。そういえば、彼女の下着もあの雲のように白かった。なんともなまめかしい、その一瞬の光景をまじまじと目に焼き付けた。下着が見えたのは不可抗力だし、罪悪感はない。むしろ、清々しいとさえ思える。蹴られる代わりに下着を見る、それはいわば等価交換に他ならないわけで。
新しい学校生活の幕開けとしては、悪くないと思えた。
◆
日向家はタワーマンションの一〇階にあった。豪邸を思い浮かべていたけれど、一人一部屋の割合で部屋数もさほど多くないし、想像していたよりも狭いと感じた。
昨夜、僕の部屋のベランダから見えた夜景も大したことはなく、見渡す限りに同じようなマンションの建物が並んでいたから、一〇〇メートル以上先にある真向かいの家の生活がわずかに見える程度だった。ただ悪い点ばかりではなく、建物全体が綺麗だし、家は新築同然、ロビーの共用スペースには座り心地の良さそうなソファがあったり、自動販売機もあった。塵ひとつないエントランス横には、名前の知らない絵画が飾られていた。白波が立っている海の絵、───眺めていると波の音が聞こえてくるようだった。筆触は荒く、それは荒い波の再現をしているからなのだろう。油絵の良い味が出ていると感じた。以前、通っていた中学校で描いていた絵は、まだ途中だったかもしれないとそのとき思い出した。
登校時の移動手段は、兄から借りたクロスバイクで行けることになった。自宅のあるマンションから学校までは約四キロあり、自転車だと十五分ほど漕げば着く距離だが、知らない街を寄り道しながら走ることにしたので、三〇分はかかりそうだ。
どんな学校生活になるのか楽しみではあった。友人が一〇〇人もできることはそうそうないだろうし、親友みたいな存在が数人と、あわよくば、彼女が欲しいなとは思っていた。
学校書類には校則が書かれていた。これから通う学校は恋愛オッケー。真面目な話、服装の指定はなし。過度に露出がなければ、何を着ても構わないとあった。これは世間が緊急事態だから色々と間に合わなかったのだろうと思う。訓練時の制服だけは支給されるらしい。
普通科はA棟、訓練科はB棟。僕のクラスはB棟の二〇三号室。訓練科の授業は午前と午後でわかれており、午前中は一般教養の義務教育が主で、午後からは基本的に地下五階から地下二十階で行われる。午後から始まる過酷な授業がありありと目に浮かんだ。おそらく、帰るころには、僕は虫の息なのだろう。
腕時計の針が午前七時五十五分をさしている。正門の手前でクロスバイクから降りて校門標識を見た。学校名は、B区画併設型教育学校とあったので略して、B校と呼ぶことにした。校章は桜の花模様である。
僕も他の生徒と一緒に学校の門を通ろうとした。そのとき、お高そうな黒いリムジンが停車した。執事のような男性が運転席から降りて後部座席のドアを開けた。車の中から同い年くらいの女の子が降り立った。それは天から舞い降りた女神のような面立ちで、長い黒髪に整った容姿、僕よりも背が高く、一七〇センチはあろうか。
周りの生徒も彼女に視線を送っていた。彼女が歩き始めると周りにいた生徒たちがその場を退けていった。どこかのお嬢さまなのだろうか。僕もみんなと立ち止まって、彼女のお姿を拝見していた。段々と僕のもとへ歩いて来ているような。……あれ?
「貴方、もしかして、日向?」
とお嬢さまが言った。
「昨夜、私の部屋を見ていたでしょ?」
「え?」
僕は呆気に取られた。
呼び捨て? いや、そこじゃない。どうして僕のことを知っているんだ? いや、そこじゃない───。
それはフィルムのコマ送りのようだった。彼女の足がぱっぱっぱっとやって来て、僕の顔面に目掛けて飛んできた。後ろ回し蹴り、すらっと伸びる足の根元に、白い布地のパンツが見えた。気付けば、僕の視界は青い空の彼方にあった。
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