かたづけ
梨泥棒の一件から、数日。太郎はようやく、当初の目的を果たそうとしていた。服を買う。最初にあのモールへ来た、たったひとつの理由だ。
「なんで、お前らまで来るんだよ」
まひるがエスカレーターの手すりに頬杖をつく。その足元に、黒猫のクク。太郎の肩には――いない。
「あれ」まひるがきょろきょろした。「キキは?」
* * *
おもちゃコーナーの、棚の、いちばん端。
くまのぬいぐるみが三段、うさぎが二段。その列のいちばん下、白い子猫のマスコット――ポップコーン機の、あれと同じやつ――が横一列に並んだ、その端っこに。本物の白い子猫が一匹、寸分たがわぬ姿勢で、ビー玉みたいに目を見開いて、ちょこんと座っていた。前足を揃え、尻尾をぐるりと足に巻き、微動だにしない。胸のあたりに、透明なテープで値札まで貼られている。三百八十円+税。
「なんで、お前、そんな、売り物みたいになってんの」
「はっ」
我に返ったキキが、なぜか平然と胸を張った。値札を貼られたまま。
「......ここ、落ち着くにゃ」
「落ち着くな。棚だぞ」
『昔から、こいつは機械に住み着く才能だけはあった』ククがあくびまじりに、雑に煽る。『ポップコーン機に半年。今度は陳列棚。順調に家電へ近づいてるな』
「最低の煽りだにゃ‼」
まひるがキキを棚から抱え上げて、しげしげと見た。値札が、ぺらりとぶら下がる。
「ねえ。あんた、前より、変じゃない?」
「変じゃないにゃ」キキはすっと目をそらした。「ぜんぜん、いつもどおり、だにゃ」
いつもどおり、と言いながら。キキの視線は、また、そろりと棚の端の空いた隙間へ戻っていた。ちょうど、子猫のマスコットが一つ抜けたぶんの、白い空白へ。
* * *
その時だった。
かちゃ。かちゃ。かちゃかちゃかちゃ。
売り場じゅうの商品が、ひとりでに動きだした。
ワゴンに山積みだったタオルが、角をそろえて、一枚ずつきっちり畳み直されていく。色のばらばらだったマグカップが、赤、青、黄と、まるで見えない手が並べたみたいに一列になる。クレーンゲームの中では、乱雑に折り重なっていたぬいぐるみが、下から順にきちんと積み直されて、四角い山になった。落とし物コーナーの、片方だけの手袋や、忘れ傘や、名前の消えた定期入れが、ふわりと宙に浮いて――誰も頼んでいないのに――どこからともなく現れた箱に、隙間なく、ぴっちりと収まっていく。
「うわ、なにこれ」まひるがあとずさった。「店が、勝手に、片づいてる」
『歪みだな』ククは動じもしない。『"収まりたがる"やつが、一匹まざってるせいだ』
全員の視線が、キキに集まった。
「わたしのせいみたいに言うなにゃ‼」
「お前のせいだろ‼」
* * *
事態は、拍子抜けするほどあっけなく片づいた。
たまたま通りかかった店員が、ひとりでに整った売り場を見て、感激していたのだ。畳まれたタオルの角を、指でそっとなぞって。
「わあ......今日、棚卸し、はかどるなあ」
歪みは、ただのやたら便利な現象として、あっさり受け入れられ――それでおしまいだった。誰も困らなかった。誰も、変だとすら思わなかった。
けれど。
その、片づいていく流れの、いちばん最後に。
宙に浮いた大きな空き箱が、ふわりとキキを――ほかの落とし物と、まったく同じ手つきで――すくい上げた。
「あ」
キキが、箱の中にすぽっと収まる。ガムテープが、ひとりでに、しゅるりと伸びてきた。
「あれ。にゃ。ちょっと。これ、」
蓋が閉まりかけた。一瞬、キキの姿が視界から消えた。四角い段ボールの、内側の暗がりへ。
「キキ‼」
太郎が箱をこじ開ける。中で、キキが目を白黒させていた。
「いま、ちょっと、持っていかれかけた、にゃ」
キキはへらっと笑った。笑ってごまかそうとして――でも、その前足の先が、ほんの少しだけ震えていた。
『......キキ』ククが言った。声に、あくびの気配がなかった。『お前、いま、少し、降りやすい』
「おりやすい、って、なに」まひるが聞き返す。
『......なんでもない』
黒猫は、それきり口を閉じた。けれど目だけが、まだキキから離れなかった。
* * *
帰り際。
太郎がようやく買ったシャツの袋を提げて、出口へ向かうと。
キキが、いなかった。
振り返る。エレベーター脇の、宅配ロッカー。銀色に並んだ扉の、ちょうど空いた一室に。白い子猫が、また、ぴったりと収まっていた。膝を抱えるみたいに身を丸めて、扉が半分、閉じかけている。
「キキ‼ またかよ」太郎が駆け寄って、引っ張り出す。
「......なんか、ここも、落ち着くにゃ」
太郎は、キキを小脇に抱えたまま、しばらく黙った。それから、言った。
「お前、それ。......笑えなくなってきたぞ」
キキは、答えなかった。
太郎の腕の中から、また、ぼんやりと――さっきの宅配ロッカーの、四角い空白を見ていた。ぴったり閉じれば、きっと、静かなのだ。
なぜ自分だけが、こんなにも、どこかへ収まりたくなるのか。
自分でも、それがなぜだか、わからないまま。




