しずか
その朝、キキは郵便受けに収まっていた。
まひるの家の玄関脇、細長い金属の郵便受け。赤錆の浮いた蓋の投函口から、白い尻尾がちょろりと出ている。
「またかよ」太郎が尻尾を引っぱった。「出てこい」
出てこない。
もう一度引く。尻尾がするっと逆に奥へ吸い込まれて――かぽん、と投函口の蓋が閉じた。
「は?」
太郎が郵便受けを開ける。
空だった。昨日の朝刊と、ピザ屋のチラシ。それだけ。金属の底がひやりと覗いている。まるで、集荷された後みたいに。
「キキ?」
返事はない。
「なあ」太郎の声が裏返った。「なんで、猫が、備品みたいに紛失すんだよ」
* * *
三十分後。まひるの部屋。
太郎と、まひると、黒猫のクク。三人と一匹――いや、二人と一匹が、畳の上で黙っていた。
「えっと」まひるが口を開く。「とりあえず、手分けして、探す?」
『そうだな』
「うん」
窓の外で、風鈴がひとつ鳴った。
太郎は気づいていた。会話が続かない。いつもならこの間に、キキが「わたしが探すにゃ‼」と勝手に飛び出して、勝手にどこかへ行って、勝手に変なものを拾ってきて、太郎が「拾ってくんな‼」とツッコむ。あのしょうもない往復で、場が回っていた。
それが、ない。
「なあ、クク。お前、においとか、わかんねぇの」
『キキの役だ、それは』
「知ってるよ‼ でも今、いねぇだろ‼」
『............』
クク、黙る。太郎の全力のツッコミが、誰にも拾われずに、畳の上に、ぱさりと落ちた。
風鈴が、また鳴った。さっきと同じ、間の抜けた音。この部屋で音を出しているのは、もう、あれだけだった。
畳の目がやけにくっきり見えた。太郎の視線が行き場をなくして、天井のしみへ逃げる。
* * *
その時、まひるのスマホが鳴った。近所のおばさんからの伝言だった。
「商店街の、古い時計台。針がぜんぶ逆に回ってて、気味が悪いって......」
『歪みだ』クク。『行くぞ』
久しぶりに、動く目的ができた。三人は商店街へ向かった。
――が。
時計台の下で、太郎は反射的にスマホのカメラを構えていた。写真、五枚。いつもの。文字盤の、逆に流れる針へピントを合わせる。
パシャ。
何も起きなかった。
指の下で、画面はただの画面だった。写真が一枚撮れただけ。あの、授かるときの、手のひらがじんとする熱が来ない。
「あれ」
もう一度。パシャ。パシャ。何度切っても、逆回りの時計が写真に写るだけだった。撮っても、撮っても、死んでいる。
「そっか」太郎の手が止まる。「あれ、キキの、力だったんだ」
授けられていたのだ。キキから。キキがいなければ、太郎はただ、時計台をカシャカシャ撮っている変な大学生でしかなかった。手の中のスマホは、冷たい板きれだった。
「クク‼ お前の三択は」
『出す』
ククが、宙に三枚。だが、いつもより雑だった。【時計を止める】【針をもぐ】【見なかったことにする】。
「投げやりすぎんだろ」
「え、えっと」まひるが、気合いだけで一枚をばしっと叩いた。「これ‼ 見なかったことにする」
時計台は、逆回りのまま残った。
誰も、何も、解決しなかった。
三人はしばらく、逆に回る時計を見上げていた。カチ、コチ、と、ふつうと反対に鳴る音だけが頭の上で続いている。
「いつもの、しょうもない感じ」太郎が言った。「あれでも、いちおう、連携してたんだな」
* * *
キキが見つかったのは、夕方だった。
商店街のはずれ、宅配便の集荷所。積み上がった段ボールのいちばん上。ガムテープで十字に封をされた箱の、伝票の真下に。
白い子猫が、ぴったりと収まっていた。四角い箱の角に、自分の輪郭をぴたりと合わせて。
伝票には、【ワレモノ注意】。
「キキ――‼」
まひるが箱をこじ開ける。中で、キキがまんまるの目でこちらを見上げた。
「あ」
しばらく、誰もしゃべらなかった。
「......おそいにゃ」
キキが、ぷいと顔をそむけた。
「なんで、そんな、迷惑そうなんだよ‼ こっちは、一日、探して――」
「......別に、たのんでないにゃ」キキの声が小さくなる。「勝手に、収まっちゃうだけ、だし。勝手に、持ってかれそうに、なるだけ、だし」
前足の先で、箱の底をかりかりと掻く。
「......でも」
ひとりごとみたいに、こぼれた。
「気づいたら、いないことに、なってるの......やなんだよ」
* * *
帰り道。
誰も、そのことには触れなかった。
ただ――なんとなく。
太郎が右、まひるが左、ククが後ろ。三人で、キキをまんなかに囲むみたいにして歩いていた。路地は肩がぶつかりそうなほど狭い。その狭さのぶん、四人の影が、地面でひとつに、重なっている。
キキが、道端の空いた植木鉢に、ちらっと目を留める。
すかさず、まひるがその首根っこをつかんだ。
「だめ」
「ちぇっ」
夕暮れの商店街。逆回りの時計台は、まだ放ったらかしのままだ。キキがなんで収まりたがるのかも、誰が持っていこうとしているのかも、何もわかっていない。
黒猫は、その日はじめて、キキから目を離さなかった。誰にも言わずに。
でも、今日のところは。
まんなかのキキが、またどこかへ収まってしまわないように、みんなで、へんてこに固まって、歩いた。




