おうさま
その歪みは、公園の砂場からあふれていた。
砂が勝手に、いろんなかたちを作っては崩す。城や、犬や、人の顔。誰かが昔ここで作った砂のかたちの、記憶の残りみたいなものが、夜の砂場に次々と浮かんでは消える。盛り上がっては、さらさらと崩れ、また別のかたちへ。街灯の光の下で、砂の粒が、そのたびに、きらきらと立った。
「なんか、切ないやつだな」太郎が言った。「公園の忘れもの、みたいな」
いつもなら、まひるが「どうぞ」と手放させて片づく歪みだった。
でも、その前に、リラが前に出ていた。
* * *
リラの手が、砂場のほうへまっすぐ伸びた。
いつものまばたきをしない目で。けれど、今までと動きが違った。無駄がなさすぎた。人が何かをしようとするときの、ためらいの一拍が、まるでない。指の一本一本まで、あらかじめ決められた角度に開いている。機械が命令を実行するみたいだった。
リラの手のひらから、すうっと冷たいものが広がった。
砂場の、浮かんでは消えるかたちが、いっせいに凍りついた。城も、犬も、人の顔も。動きを止めて、色を失って、ただの平らな砂に戻されていこうとした。きれいに。何ひとつ残さず。霜のように、白いものが、砂の表を這っていく。
「リラ⁉」まひるが声をあげた。「なにして――」
「消す」リラが平坦に言った。「これは歪み。だから消す。......いちばん、はやい」
その声に、感情はなかった。
いつもの平坦とは違った。いつものは、感情の"薄い"平坦だった。声の底に、まだ、ちいさな体温があった。今のは、感情の"ない"平坦だった。音の高さも、間の取り方も、まるで別のものに置きかわっている。別のなにかが、リラの口を借りてしゃべっているみたいだった。目だけが、いつもと同じに、まばたきをしない。
キキの毛が逆立った。
「リラ、じゃないみたいにゃ」
* * *
砂のかたちが、あと少しでぜんぶ平らに消える。その寸前で、リラの手が止まった。
伸ばす。凍らせる。――止まる。三つの動きの、三つ目だけが、命令とちがった。
自分の手を、リラは見た。冷たいものを広げかけた手のひらを。それが、自分のものじゃないみたいに。指先の霜を、不思議そうに。
「......ちがう」リラが小さく言った。「これは、わたしのやり方じゃ、ない」
冷たいものが、すうっと引いた。凍りかけた砂のかたちが、またゆっくり動きだす。城が崩れて、犬になる。
その瞬間だった。
リラの、伸ばした腕が、内側から、ぎ、と鳴った。
* * *
木の枝がしなって折れる、あの音に、似ていた。
リラの肘から先が、命令を止めた反動みたいに、勝手に、おかしな方向へ引き攣った。あの、交差点で車を受け止めたとき、ぐにゃりとねじれた、あの折れ方に。けれど今度は、外から曲げられたんじゃない。内側から、勝手に。
「リラ‼」まひるが駆け寄る。
「いい」リラは、もう片方の手で、引き攣った腕を、こきり、と戻した。枝を直すみたいに。痛がる顔は、しなかった。「命令に、逆らうと。......こうなる、みたい」
破れた袖の下で、また、覗いていた。血じゃない。ねじれた継ぎ目の奥、あの銀色の線。前に交差点で見たときは、車にぶつけられて切れていた。今日は、誰にもぶつけられていない。なのに、その線が一本、ぷつ、と、内側から勝手に切れて、街灯を弾いた。
「......逆らうたびに」リラは、その切れた線を、少し不思議そうに見た。「たぶん、一本ずつ、切れる。造られたときに、そういう風に、できてる。命令に従うのが、わたしの、いちばん楽な形だから。......逆らうと、軋む」
「じゃあ、無理すんなよ‼ 消せばいいじゃん、その砂。命令どおりで。腕、壊れんだろ‼」太郎が思わず言った。
リラは、太郎を見た。それから、動きだした砂のかたちのほうを、また見た。
* * *
「――やめときなよ」
砂場の街灯の下に、凛がいた。いつのまにかブランコに浅く腰かけて、黒い球体を指でもてあそんでいる。ブランコの鎖が、きい、と一度だけ鳴った。
「逆らったって、むだむだ」凛は笑っていた。「リラ。おれたち、同じところから来たんだ。知ってるだろ」
まひるは、凛とリラを見比べた。似ても似つかない二人が、その一瞬だけ、同じ"つくり"のにおいをさせた。
「彼は、途中から」
リラが、まひるにだけ聞こえるくらいの声で言った。
「振り切った候補を、王さまが拾って、造り直す。......わたしは、最初から。それだけの、ちがい」
「造った奴は、おれにも命令をくれたよ」凛は球体を宙にひょいと放った。「"世界を正しくしろ"って。ばかばかしくて、やめた。おれは、ぜんぶぐちゃぐちゃにして遊ぶことにした。そのほうが楽しいからね」
「あなたは、命令を捨てた」リラが言った。「わたしは、」
「同じだよ」凛が遮った。「捨てるのも、逆らうのも。造られたことは変わんない。お前の"選ぶ"も、しょせん造られた枠の中。むだなあがきだ」
「ちがう」
リラが、はっきりと言った。
凛の、笑顔が、一瞬止まった。
「あなたは、捨てた。捨てるのは、痛くない」リラは、切れた継ぎ目を、指でそっと押さえた。「わたしは、逆らってる。逆らうと、こうやって、一本ずつ切れる。......あなたのより、めんどくさくて、痛いやり方。でも」
リラは、切れた線の上から、手を、ぎゅっと握った。
「痛いってことは、まだ、逆らえてる、ってことだから」
* * *
凛は、しばらく、リラを見ていた。ブランコの鎖が、また、きい、と鳴った。
「......ばっかみたい」と凛が言った。笑ってはいたけれど、さっきまでの軽さが、少し、なかった。「痛いのが、逆らえてる証拠? ......自分に、傷つけさせて、それで、選んだ気になってるだけでしょ」
「かもしれない」リラは、あっさり認めた。「でも、あなたは、それすら、しない」
凛の指が、球体の上で、一瞬、止まった。
* * *
「......消さない」
リラは、凛にじゃなく、動きだした砂のかたちに、言った。造り主の命令に。自分のいちばん奥にある、王さまに。
「命令に従えば、これは一瞬で消える。楽で、はやくて、きれい。腕も、軋まない。......でも、消したあとに、何も残らない」リラは、ヒロユのあの寒々しいからっぽを思い出しているみたいだった。「わたしは、このしょうもない砂のかたちが、崩れたり、できたりするのを、もう少し見ていたい。命令には、ない。わたしが、選んだ」
もう一本、継ぎ目の奥で、線が、ぷつ、と切れる音がした。
リラの指先が、少しだけ、震えた。はじめて。
でも、手は、下ろさなかった。凍らせる手を、握ったまま、砂のほうへ、向けなかった。
「――だから、いや。消さない」
砂のかたちが、崩れて、また別のかたちになる。城が、犬が、名前のない何かが、生まれては消えていく。リラは、それを、消さずに、見ていた。
* * *
凛は、ブランコから足をぶらんと揺らした。
つまらなそうな顔をしていた。でも、その目の奥に、ほんの一瞬だけ、羨ましそうなものがよぎった気がした。自分には選べなかったものを見る、みたいな目。まひるには、そう見えた。ほんとうに、一瞬で消えたけれど。
「ふうん」凛は球体を握った。「じゃあ、せいぜい、あがけば。腕が、ぜんぶ切れるまで」
立ち上がって、リラに背を向ける。
「でも、覚えときな。お前が逆らってる、その"王さま"は。もうすぐ、この町に、椅子を出すよ」凛は笑った。「そのとき、お前の"選ぶ"が、どこまでもつかな。何本、切れたら、選べなくなる?」
音もなく、その場から抜け落ちるように、いなくなった。
あとには、とりとめのない砂のかたちと、腕を押さえたままのリラが残された。
* * *
まひるが、そっとリラの、切れた継ぎ目のある腕に、自分の手を重ねた。
「......もう、いいよ」まひるは言った。「力、入れなくて。見ててあげるから。この砂。リラのかわりに、わたしも、見てる。だから、一人で、これ以上、切らなくていい」
リラの手が、ゆっくりほどけた。指が、一本ずつ。手のひらは、もう凍っていなかった。
「こわく、なかった?」まひるが聞いた。「王さまに逆らうの」
リラは、少し考えた。
「わからない」正直に言った。「痛いのは、わかった。切れる音も。......でも、こわいって、こういう感じかな、って。はじめて、思った。腕が切れるのが、こわいんじゃなくて。......選ぶのを、やめるほうが、こわい、って」
まひるが、リラの手を、そっと握った。切れた線の、その上から。
「それ、成長だよ」
「せいちょう」リラは、その言葉を、口の中で、大事そうに転がした。一度、二度。「......代償が、いるんだ。せいちょうって」
「うん」まひるは、少し困ったように笑った。「タダじゃ、ないんだよね。たぶん、なんでも」
* * *
砂場のほうで、キキが砂のかたちにちょっかいを出して、崩していた。前足で、城の屋根を、ぽふっと。
「あー‼ せっかくのお城、キキが壊した」太郎が言う。
「ちがうにゃ‼ これは、こわしたんじゃなくて、リフォームにゃ」キキは胸を張って、崩した城の隣に、また前足で、いびつな山をこしらえた。
リラが、それを、見ていた。切れた継ぎ目の腕を、そっと押さえながら。
崩れて、できて、また崩れる砂のかたち。消さずに、残したもの。そのために、線が二本、切れた。
「......安く、ないな」リラが言った。誰にともなく。
でも、その声には、後悔は、なかった。
とりとめのない砂のかたちに、また一つ、猫の足あとのかたちが増えた。リラは、その足あとも、消さなかった。




