だんご
木立の奥から、本物のクマが、ぬっと出てきた。
「なんでだよ‼」
太郎は叫んだ。逃げようにも足がもつれる。クマは、のっそりと、しかし確実に、こちらへ距離を詰めてくる。頭の中では、あの猫の声が「象徴は正しく再現されたにゃ」と平然と反響していた。
「再現しなくていいんだよ‼」
その時だった。
「大変だ‼ どうするの」
けたたましいベルの音とともに、砂利道を自転車が一台、猛スピードで突っ込んできた。前カゴに、バレーボールより少し小さい、黒くて丸い何かを乗せて。乗っているのは、中学生くらいの女の子だった。
「え?」
太郎がぽかんとしていると、女の子は前カゴの丸い物体に向かって叫んだ。
「何とかしてクク‼」
「クク? は?」
自転車を横倒しにするように急停車した女の子は、それまでクマとは別の方向をきょろきょろ見ていたのに、くるっと太郎に向き直った。そして、どこからともなく、手品みたいに三枚のぶ厚いカードを差し出してくる。
「変なお兄ちゃん‼ この三つのカードのひとつを選んで」
「変なのはお前だろ‼」
太郎の全力のツッコミを、女の子は完全に無視した。カゴの中の丸い球体――頭にアロエみたいな葉っぱを三枚生やしたそいつが、ビー玉の目でこちらをじっと見ている。次の瞬間、耳ではなく、頭の中に直接、氷みたいに冷たい声が落ちてきた。
『左から説明する』
「しゃべった⁉ 頭ん中で」
『【虫取り網】。あの熊を、網で捕らえる』
一枚目のカードに、のどかな虫取り網の絵。
「サイズ感バグってんだろ‼ 夏休みの宿題じゃねぇんだぞ」
『【怪獣】。この一帯に、怪獣を出現させる。熊など、比較にならん』
二枚目に、街を踏みつぶす巨大な怪獣。
「問題を巨大化させただけだろ‼ 熊で済んでたのに」
『【団子】』
三枚目に、串に刺さった、まんまるの団子が三つ。
「団子は? 団子で何すんの」
『......』
クク――と女の子が呼んだ球体は、沈黙した。
『選べ』
「説明しろよ団子だけ‼ 二枚だけ丁寧にこわくすんな」
クマは、もう五メートル先だ。低いうなり声が地面を伝ってくる。太郎の背中に、冷たい汗が流れた。虫取り網は論外。怪獣は、明らかに世界が終わる。だとしたら――消去法で。
「団子‼ 団子でいい‼ 一番マシそうだろ、これ」
太郎は、まんまるの団子のカードを、ばしっと叩いた。
指先が、ふわっとあたたかくなった。夕暮れの最後のひとすじの光みたいな、やわらかい熱。
『......よりによってそれかよ』
ククの声が、心底めんどくさそうに響いた。
三枚のカードが、霧みたいに一瞬で溶けて消える。そして――何も、起きない。
クマが、すぐそこまで来ていた。
「わけわかんねぇ、コレ‼」
団子だった。ただの、団子の絵だった。太郎は覚悟して目をつむった。
ブオオオオ――ッ。キキーッ‼
突然、砂利道の向こうから、出前のバイクに乗ったおっさんが猛スピードで現れ、クマを見るなり、急ブレーキを踏んだ。荷台のオカモチが、宙を舞う。ふたが開く。
定食が、道にぶちまけられた。
餃子。肉団子。あんかけの、まんまるの肉団子が、砂利道にころころと転がっていく。
クマの動きが、止まった。
鼻を、ひくひくさせる。そして、太郎たちのことなど忘れたように、道にこぼれた肉団子に、夢中でかぶりついた。むしゃむしゃと。至福の顔で。
その隙に、後ろから麻酔銃を構えた市の職員らしき人たちがわらわらと駆け寄ってきて、あっという間にクマを取り押さえた。
「......」
太郎と女の子は、並んで、呆然とその一部始終を見ていた。
「肉団子で......解決した......」
「団子は、団子でも......」
二人がへたり込んでいると、その脇に、するりと、あのポップコーン販売機が――いや、その上の歌う猫のぬいぐるみが、なぜか自分の足で歩いて、立っていた。
「わっ」
太郎が飛び上がる。
猫は、LEDの目をぎらりと光らせ、少し怒ったような声で言った。
「いたにゃ‼」
「いたのにゃ‼」
女の子の脇から、丸い球体――ククが、ぴくりと葉っぱを震わせた。ビー玉の目が、めずらしく、まん丸に見開かれる。
『......あっ。お前』
初めて、ククの平坦な声に、温度みたいなものがまじった。
猫は、ふんぞり返るように胸を張ると、高らかに宣言した。
「復讐の時なのにゃ‼」
太郎が、我に返って、叫んだ。
「復讐ってお前の話かよ‼ 俺関係ねぇじゃん。名前呼んどいて」
女の子が、太郎の袖を引っぱって、小声で聞いた。
「ねえ、あの猫、お兄ちゃんの知り合い?」
「モールのポップコーン販売機だよ‼」
「なにそれ意味わかんない」
「こっちのセリフだわ‼ そのタコみたいなのは何なんだよ」
『クク、だ』
「情報量が足りねぇんだよ‼」
猫と球体が、じりじりと、にらみ合う。神さまなのか、機械なのか、UMAなのか、もう誰にも分からない二体のあいだで、火花みたいなものが散っている。
その足元では、市の職員に運ばれていくクマが、最後の肉団子を、名残惜しそうに見つめていた。




