れじ
そのスーパーは、半年前に潰れたはずだった。
「サンマート」の看板は電球がいくつか切れて「サ マ ト」になっている。シャッターは半分下りたまま錆びついていた。なのに深夜、その半分下りたシャッターの奥から、光が漏れて、音がしていた。
ピッ。ピッ。ピッ。
会計の音だった。
太郎たちがシャッターをくぐると、無人の店内で一台のレジだけが動いていた。誰も立っていないのに、商品が一つずつひとりでにスキャンされていく。カゴもない。客もいない。ただレシートのロール紙だけがレジの口から吐き出され続け、床にとぐろを巻いて、うずたかく溢れていた。
太郎は、いちばん上のレシートの合計欄を見た。
「九億、超えてんぞ」
「なにを九億ぶん買ったにゃ」キキが紙の山に埋もれかけながら言った。
* * *
『歪みだな』ククがあくびをした。『"清算"だけが止まらなくなってる。誰も買ってないのに、勘定だけが走り続けてるんだ』
「止め方は?」まひるが聞いた。
『さあな。手順がいる。私の柄じゃない』
そのとき、リラが前に出た。
いつも一歩引いて、置物みたいに立っているだけのリラが、すっとレジの前に立った。動くレジをじっと見る。まばたきひとつしなかった。
「三千二百四十一番目の商品で、一度エラーが出ている」リラは床のロール紙を目でたどった。指では触れない。視線だけで、正確に位置を割り出していく。「そこで清算が確定できず、以降ずっと同じ一点を繰り返し数え続けている。止めるなら、その一点を清算しきればいい」
すらすらと、感情の乗らない声だった。まるで機械が自分の中身を読み上げるみたいに。
太郎とまひるは、一瞬だまった。
「リラ」まひるが小さく言った。「よく、そんなにすぐ分かるね」
「見れば分かる」リラはまひるのほうを見なかった。「これは、そういう風にできているから」
* * *
その"三千二百四十一番目"は、床に落ちていた。
一枚の割引シールだった。半額の、赤いシール。半年前の閉店セールのとき、誰かが商品から剥がして貼り忘れた、宙ぶらりんの一枚。売られも、捨てられもしなかった値段だ。
「これか」まひるはその赤いシールを拾い上げた。
しばらく、それを見ていた。手の中で、赤がやけに軽い。
「......これ、清算しちゃっていいのかな」と言った。「誰かの、売れ残りの半年が、これで、ちゃんと終わっちゃう」
それでも、手のひらをレジのほうへ向けた。
「――これで最後。ちゃんと清算していいよ」
ピッ。
最後の一音が鳴った。
レジがすうっと静かになる。吐き出され続けていたロール紙が、ぴたりと止まった。九億のレシートは、ただの紙くずの山になって床に残された。
* * *
「ふう」太郎が紙の山を軽く蹴った。「毎回、しょうもない一点だな。歪みの正体って」
まひるは、まだリラを見ていた。
さっきレジを読んでいたときの、あのまばたきをしない目。感情の乗らない声。人がああいう風にものを見るところを、まひるは見たことがなかった。
「ねえ、リラ」
まひるは素のまま聞いた。
「リラって、こわくないの? そういう変なやつら見ても」
リラは答えなかった。
一拍。二拍。
「......こわい、って」ようやくリラは言った。少しだけ遅れて。「どういう、感じ?」
まひるは、うまく答えられなかった。
そのとき。店の外の暗がりで、ころん、と小さな硬いものが転がる音がした。ガラス玉がアスファルトをひとつ跳ねたような音だ。
キキのひげが、ぴんと張った。
「いまの」
『気のせいだ』ククが素早く言った。いつもより少し早口で。
外を見に行く者はいなかった。ただその音は、聞き覚えがあった。梨畑で一度、聞いた音に。
* * *
帰り道、まひるはずっと考えていた。
「こわいってどういう感じ」――リラのあの一拍遅れの問い返しが、なぜか耳に残っていた。




