ならび
商店街の福引所の前に、行列ができていた。
夜だった。もう店はどこも閉まっている。なのにアーケードの下に、人と、家財道具が、きれいに一列に並んでいた。消えかけた蛍光灯の下、影が縦に長く伸びて、その列を、さらに一本の線みたいに見せている。
先頭のおばあさんは、当たりの三角くじを握ったまま動かない。その後ろに洗濯機が一台。さらに食器棚、自転車、姿見と、家財が律儀に続いていた。持ち主たちは、それぞれ自分の家財の隣に立って、順番を待っている。誰も、しゃべらない。誰も、なぜ待っているのかを、たぶん自分でも知らない。ただ、わけもわからないまま、並んでしまっていた。
「なあ」太郎が声を落とした。「あの人ら、なに待ってんだ」
誰も答えられなかった。並んでいる本人たちも、たぶん答えられない。
列はゆっくり前へ詰める。詰めるたびに、いちばん前の家財が、福引所の暗がりへ、すうっと吸い込まれて消える。おばあさんの番が近づく。誰も、それを止めない。
まひるの部屋から見下ろしていたときは、ただの深夜の行列に見えた。降りてきて、すぐ分かった。並んでいる人たちは、べつに並びたくて並んでいるわけじゃない。かといって、こわがってもいない。ただ、いちいち気にするのが面倒なだけ、みたいな顔で、ぼんやり突っ立っている。おかしいと思う手前で、みんな、考えるのをやめていた。
* * *
キキが、列の横をたたたっと駆けた。
「にゃんで並んでるにゃ‼ もう店しまってるにゃ」
誰も反応しない。おばあさんは、三角くじを握ったまま、まばたきもしない。
『歪みだな』ククが、列を端から端まで一度眺めた。鼻を上げ、においを読む。それから目を細めた。『"並びたがり"が、一匹まざってる』
その目が、ちらりとキキを見た。
「わたしじゃないにゃ‼」キキが飛び上がった。「わたしは収まりたがりで、並びたがりじゃないにゃ」
「同じようなもんだろ‼」太郎がツッコむ。
『似たにおいだ、とは言った』ククは前を向いた。『あの列の一点から、"順番を待つのは正しい"って気配が、じわじわ滲み出してる。並んでる連中は、それをかぶせられてるだけだ。自分で並びたいわけじゃない。止めるには、一人でいい。"並ばなくていい"って、自分から抜ける一人が』
「抜ける、って」まひるが列を見渡した。「みんな、待つ気まんまんだよ」
太郎が、列の途中を指した。
「あの、いちばんつまらなそうにしてる兄ちゃんは?」
若い男が一人、スマホも見ずにただ突っ立っている。足元に、古い扇風機。首の折れた、羽根の黄ばんだ、去年の夏に一度も使わなかったやつだ。
「あの人、さっきからため息ばっかりついてる」まひるが言う。「並びたくて並んでる、って顔じゃない」
『じゃあ、そいつだ』
まひるは、扇風機の男のところへ歩いていった。その肩に、そっと手を置く。
「――もう、並ばなくていいよ」まひるは静かに言った。「その扇風機、置いて、帰っていいから」
男は、動かなかった。
声は届いている。目も、少しこちらを向いた。なのに足が、列から出ない。肩に置いた手の下で、男の体はぼんやりと前を向いたままだった。
「あれ」まひるが手を離す。「効かない」
「効かないこともあんのかよ‼」太郎が思わず声をあげた。いつも、これで抜けたのに。
『......許可は、命令じゃない』
ククが、列の男を見たまま低く言った。
『扉を開けてやっただけだ。くぐるかどうかは、そいつが決める。出る気がなけりゃ、開いた扉の前で突っ立ってるだけだ』
まひるは、肩に手を置いたまま、押しも引きもしなかった。ただ、待った。
男は、足元の扇風機を見た。首の折れた、去年の夏に一度も使わなかったやつを。しばらく、見ていた。
「......おれ」男が言った。「なんで、こんなとこで並んでるんだ」
ため息が、ひとつ。それから男は、自分の足で半歩、列の外へ出た。誰に言われたわけでもなく。
その半歩ぶん、開いていた扉を、男はくぐった。扇風機をその場に、ことん、と置いて。
その一人が抜けた瞬間、列の"正しさ"が、ほどけた。前後の人が我に返る。「え、なに?」「わたし、なんで洗濯機なんか」ざわざわと、列がばらけていく。誰もが、狐につままれたような顔で、自分の家財を見下ろしている。おばあさんが、握っていた三角くじを、まじまじと見た。
「あら。あたし、これで、なにもらうつもりだったのかしら」
* * *
列が散って、静かになったとき。
福引所の暗がりの、その手前に、いつのまにか男の人が一人、立っていた。
地味なカーディガン。折り目のついたズボン。眼鏡の奥の目は穏やかで、手つきは丁寧だった。列から抜けた男が置いていった、首の折れた扇風機を、両手で持ち上げる。こわれ物でも扱うみたいに。そして傍らに提げたかごへ、そっと移した。
かごの中には、もう、いくつか入っていた。骨の折れた、古いビニール傘。片方だけの手袋。誰かが「今度こそ捨てる」と言ったまま忘れていた、小さながらくたたち。どれも同じ丁寧さで、まるで棚に並べるみたいに、積んである。
太郎は、その折れた傘に、見覚えがある気がした。つい先日、どこかで見た。うまく思い出せないまま、背筋が、ひやりとした。
「あの」太郎が声をかけた。「あんた、この前の」
その男性は顔を上げた。太郎ではなく、その足元のキキを見た。穏やかに微笑んで、ひとことだけ言う。
「ずいぶん慣れてきましたね。この子」
キキの背中の毛が、ぶわりと逆立った。喉の奥が、ぐるる、と鳴りかける。
でも――今度は、逃げなかった。太郎の足の後ろに隠れかけて、それからぐっと踏みとどまる。震える四本の足で、その場に立って。尻尾が、ぴんと一本、立った。男を、まっすぐ見返す。
「......にゃ」
小さな、けれど確かな声だった。
その男性はそれ以上、何も言わなかった。かごを提げ、暗がりの向こうへ、ゆっくりと歩いて、消えていった。
* * *
「なんか、言い返した、キキ」まひるがそっとしゃがんだ。「えらい」
「こわかったにゃ」しっぽの先だけが、まだ震えていた。「でも、逃げたら、"収まりに来る側"の思うつぼにゃ。だから、にゃ、って言ったにゃ」
「"にゃ"だけかよ」太郎が噴いた。「もっとこう、あるだろ。文句とか」
「うるさいにゃ‼ せいっぱいだったにゃ」
いつもの声だった。太郎は、ちょっとほっとした。
その少し後ろで。
黒猫が、暗がりの消えた方向を、じっと見ていた。かごの中に丁寧に並べられていた、がらくたたちを思い返すみたいに。
『あの男』と、言った。『いらない物ばっかり、集めてる』
「そうだな」
『なんであんなに、大事そうに、並べるんだ』
夜のアーケードに、答えはなかった。ただ、扇風機の消えた床に、家財の並んでいた気配だけが、うっすら残っていた。




