第31話 微笑ましい休息
梓はトイレから席に戻ると自分の弁当が置いてあり、何しにトイレに行ったかを思い出した。
(そういえば、ご飯を食べるために手を洗いに行ったのか…………食べる気力が無い!)
梓は弁当を片付けて、椅子に座り夏の暑さによって、急速に溶けていくアイスのように机に突っ伏した。
何も考えたくない、動きたくない、こんなことすら考えたくないと思いながら、時が過ぎるのを待った。
食堂から戻ってきた遥花は全身をビクッとさせて驚いた。
(梓がああなるの初めて見た! きっと……姫乃だろうな……)
遥花は心当たりがありまくった——梓が疲れて机に突っ伏す原因は絶対に姫乃だと。
(ウチでさえ、姫乃とのやり合いは朝練より疲れたのに、梓は体弱そうだし無理ないか……心中お察しします)
遥花は心の中で梓に向けて手を合わせた。
さすがに見過ごすわけにもいかず、遥花は自分のカバンをゴソゴソとあさり何かを探し始めた。
「あった!」
小さく呟き、探していた物を持って梓の席に向かった。
梓の側まで来て「梓、梓!」と呼びかけるが反応しなかった。
梓は遥花が側にいることにさえ気がつかない。
全ての音が雑音と捉えられて、右耳から左耳へと通り過ぎるだけ。
どれだけ時間が過ぎたかも分からないし、どうでもいい中で——突然、頬に冷たく柔らかい感触が伝わり、目をかっぴらいて上半身を起こした。
辺りを確認して……ようやく遥花が側にいることに気がついた。
「えっと、遥花さんどうしたんですか……?」
梓はまだ寝起きのように頭が回らない中で言葉を捻り出した。
「あ、ごめんね……別に、そんな驚かせる訳じゃなくて……話しかけても起きなかったから……」
遥花は思いの外、梓が驚いたことに罪悪感を覚えて、少し遠慮した言い方で話した。
「それで、なん、ですか?」
「えっと……迷惑かもしれないけど、良かったら飲んで!」
遥花は梓に虚数ゼリー・ブドウ糖——ゼリー飲料を渡した。
「これ飲んだら元気出ると思うからあげる!」
「ありがとう。でも……」
梓が言い終わる前に遥花は側を離れた。
遥花はじっと梓が飲むのを確認している。
梓は飲むしかなかった。
ゼリーを吸って口いっぱいに含んで、味わい喉に通した。
体はゼリーをもっと欲して、どんどん体に入れていった。
気がつくとすでに空で、容器は萎んでいた。
心身共に活力が湧いてきて、ましにはなった。
梓は優しく微笑んでいる遥花にお礼を言いに行った。
「ありがとうございます。おかげで楽になりました」
「いいよ!……お礼ならさ、ウチに対して敬語やめて、タメ口で話して!」
「え?」梓は本当にいいのか、眉をひそめて疑った。
「いいんですか?」
「だから、タメ口で話して!! 姫乃と戦った仲でしょ!」
「呼んだかしら?」
遥花と梓は嫌な声がして、恐る恐る声の方を見ると、姫乃が立っていた。
(やっぱり……!? なんでいるの!?)
2人は同じことを思った。
「あたしの——」
姫乃が言い始めた時、caco3の呼び出し音が3人の近くで鳴った。
姫乃は遮られたことに腹を立てて2人を睨んだ。
2人は自分のスマホを確認して、梓のスマホからだと分かった。
「あ、私だ。ひかりからビデオ通話だ」
「なんですって!?」
姫乃は主人が帰ってきて、はしゃぐ子犬のように飛びついた。
遥花はなんだろう?と思い顔を覗かせた。
梓は両脇に来た2人に挟まれて、窮屈に思いながらも電話に出た。
「梓!……!?」
ひかりは開口一番に言葉を発したが、想定外の人が映っているのが目に入り、そこで止まった。
「もしもし? ひかり、どうしたの?」
「ひかり下僕の分際で入院とは——仕方ないからお見舞いに行ってあげるわ」
「やっほー! ひかり、元気?」
3人はそれぞれ言葉をかけた。
ひかりは状況を理解してない様子で目を左右に動かし、
「遥花に姫乃ちゃん? なんで?」
と困惑した様子で言った。
「なんでって、ウチは梓と話してて」
「あたしは梓に用があっただけだわ」
姫乃と遥花は全く同じタイミングで言った。
そのことに2人は突っかかった。
「ウチが最初でしょ! 姫乃は後から来たんだし」
「被さないでちょうだい! 下僕の分際で!」
2人はまた同じタイミングで言った。
「ウチは下僕じゃない! ドッジボールはウチの勝ちでしょ」
「関係ないわ! 先にいようが後にいようがあたしが最初よ!」
2人は声が被って聞こえづらいはずなのに、相手の言葉にまた同じタイミングで答えた。
お互い睨み合い、一向に終わる気配はない。
「どんだけわがままなの!——いい加減にして!」
「あれはあたしの勝ちだわ! いい加減にしなさい!」
梓は何も言わずにそっとその場を離れて、ひかりとの通話に集中した。
「もしもし、どうしたの?」
今まで途方に暮れた顔をしていたひかりは用件を思い出した。
「……どうしたのじゃない! なんで既読無視するの!! 2人へのボイスメッセージ送ったのに……」
ひかりは怒ったかと思えば、顔をしかめた。
梓は姫乃との心理戦の最中だから返信を後にしようと思って、終わったらその疲れですっかり忘れていた。
「ごめん、忘れてた」
「ひどい……梓の……バカ!!!!」
ひかりは舞台上で自分1人にスポットライトが当たっているかのように、大きく動き失望をあらわにした。
「大袈裟じゃない?……ごめんね、わざとじゃないんだよ……」
梓の顔は雲がかり暗くなった。
「そうなの? 何があったの?」
ひかりはすぐに普通の調子に戻った。
梓は外カメラにして、姫乃と遥花の言い合ってる様子を写した。
「ああいうことが、今日を通してたくさんあって、返信するのに気が回らなかった」
ひかりは察して苦い顔を浮かべた。
梓は内カメラに戻した。
「あはは、姫乃ちゃんね……猫みたいで可愛いけど付きっきりだと疲れるよね」
「姫乃さんのこと猫だと思ってるの?」
「うん! そんな感じしない? アルみたいに上からだけど、甘えてくるし」
梓の頭にハテナが浮かんだ。
なぜなら、思い当たる節がなかったから。
「姫乃さんは分かるけど、アルは甘えてた?」
「えっ、だって、トイレした時アタシに片付けさせたし」
「それは、ひかりを侮辱してのことだと思う」
「あと、カバンの中にずっと入ってたし」
「それは、私がアルを脅したから……」
「——とにかく、2人とも可愛いの!」
ひかりは自分の意見を否定されて、話を切り上げた。
「アルは可愛い?」
「可愛いよ! 猫だもん!」
「それは猫が可愛いのであって、アルは可愛くないんじゃ」
「うるさーーい!」
梓はつい口が滑って、言ってしまったことを反省した。
「ごめん、本当にごめん。2つのことを謝るよ……」
「ポッチーで許す!——そうだよ、ポッチーを早くアタシに……病院の箸が全部ポッチーに見えてくるよー」
「禁断症状が精神にも出てるじゃん。無理だから後3時間は我慢して」
「梓の鬼!! 非道!! ケチ!!」
ひかりは喩えるなら、おもちゃを買ってくれない親に向かって子供が言い放つようだった。
「悪口のレベルがどんどん下がっていってる。
——学校が終わらないと行けないから無理!」
「分かったよ……」
ひかりはとてもがっかりして、「はあ〜」と息を漏らした。
梓は助けてもらったから何かしようと思い、考えているとまだお礼を言ってないことに気づいた。
「……」
「じゃあ、切るね……」
「待って……」
梓は今できる特大の笑顔を見せて、
「ありがとう!! ひかりのおかげで助かった!! ひかりは大好きな親友だよ!!」
「うん! アタシ達は親友だね!」
梓は少し顔が赤くなり、それを見たひかりはいじった。
「顔赤いよ。ね、照れてるの?」
「こんなこと言うの初めてだから、恥ずかしい……」
「梓!」「梓!」
姫乃と遥花は突然梓の名を呼んだ。
詰め寄るように早足で梓に近づいて来た。
「なんで離れてるの!」
「ひかりを独り占めしてズルいわ!」
「姫乃から助けてよ! 虚数ゼリーあげたんだし!」
「あたしはひかりと話したいの! 遥花なんかより!」
「え……」梓は2人の気迫に押されて顔が引き攣った。
「ひかり、助けて」
とスマホを見ると——ポロン、と通話が切れた。
「ひかり?!!」
「梓!」「梓!」
梓は2人に詰められて、昼休憩が終わった。
***
「てへへ!」
ひかりは可愛い子ぶって、梓を見捨てた。




