Δ−3 (デルタ・スリー) ー8
「質問があります」
静かな機械音声が夜気へ溶ける。
俺は思わず天を仰いだ。
「またか」
苦笑しながら肩を落とす。
ここまで話しても、
結局こいつは質問へ戻ってくる。
それがΔ-3だった。
「多いな」
三角柱の表面を細い青白い光が一周する。
演算開始。
俺にはもう見慣れた光景だった。
「懐かしいとは何ですか」
俺は吹き出した。
「ほーら、来たな」
やっぱりそこへ戻る。
俺が何気なく口にした感情を、
こいつは見逃さない。
いや、聞き逃さない。
理解できない言葉ほど、
優先順位が上がる。
そんな癖まで昔と変わらない。
三角柱は静かに浮かんだまま答える。
「即時、回答を求めます」
「相変わらず面倒だな」
俺は頭を掻きながら笑う。
三角柱の装甲を滑る最後の雨粒が、
ぽたりと地面へ落ちた。
「いつも通りの質問スピードです」
「それもそうか」
俺はゆっくりと息を吸い、過去の言葉と共にそれを出す。
湿った空気が肺へ入り、
ゆっくりと抜けていく。
急かされても仕方がない。
こいつは理解したいだけなのだ。
「そうだな……」
言葉を探す。
簡単そうで、一番難しい質問だった。
「懐かしい……か。」
人間なら誰でも知っている感覚。
それなのに、
説明しようとすると途端に言葉が足りなくなる。
雨が少し弱くなった。
遠くに巨大広告の光が滲んで見える。
企業塔の壁面を埋め尽くす映像広告は、
相変わらず誰かへ商品を売り込み続けていた。
世界がどれだけ変わっても。
広告だけは変わらない。
「あんなものまで、懐かしくなるのか」
だが。
誰も空なんか見ていない。
俺達以外は。
俺はゆっくりと夜空を見上げた。
広告の隙間から覗く、本物の夜。
わずかに覗く星の光。
昔なら当たり前だった景色が、
今では宝物みたいに思える。
「……これも全て」
小さく呟く。
「懐かしい、なのかもしれないな」
三角柱は何も答えない。
青白い光だけが静かに流れている。
理解しようとしているのだろう。
答えを探そうとしているのだろう。
その姿を見ていると、
不思議と焦る気持ちは湧かなかった。
分からないなら、分からないままでいい。
少しずつ知ればいい。
昔、俺がお前を育てたみたいに。
夜風が二人の間を吹き抜ける。
黒い三角柱は、
俺の隣で静かに浮かび続けていた。
答えのない問いを抱えたまま。
それでも問い続けることをやめない。
その姿は、
人間よりもずっと人間らしく見える瞬間がある。
俺は苦笑しながら歩き出した。
三角柱も何も言わず、
一定の距離を保ったまま後を追う。
静かな足音と、音を立てない浮遊音。
その二つだけが、
終わりの見えない夜の荒野へ吸い込まれていった。




