Δ−3 (デルタ・スリー) ー6
「そんで、今の笑顔判定はどうなんだ?」
俺が尋ねると、
黒い三角柱の表面を一本の青白い光がゆっくりと流れた。
演算が始まる時の癖だ。
何百回見ても変わらない。
質問を受けるたび、
こいつは必ず一度だけ光を巡らせる。
まるで深呼吸でもするように。
「九十九・九八パーセントです」
迷いのない返答だった。
「じゃあ、ほぼ分かるか」
「何をでしょうか?」
「今の俺の、今の気持ち」
三角柱はしばらく黙った。
青白い光が何度も表面を巡る。
雨粒がその光を反射し、
小さな星屑のように夜へ散っていく。
風が吹くたび、
黒い装甲を滑る雫が静かに地面へ落ちた。
「推定します」
「顔の筋肉の動き」
「血管の収縮」
「脈動」
「分泌ホルモンの──」
「分析途中はいいよ」
俺は苦笑しながら手を振る。
「欲しいのは、結果だ」
三角中は左右に揺れながら、
ゆっくりと点滅を繰り返している。
「軽度の疲労」
少し間を置く。
三角柱は再び演算を続ける。
「懐古」
さらに続ける。
「微量の幸福感」
「それぞれを感じているようですね」
俺は小さく息を吐いた。
湿った空気が肺へ入り、
雨上がり特有の匂いが鼻を抜ける。
「ふーん……そうか」
雨はほとんど止みかけていた。
湿った風だけが、
高架橋の隙間を通り抜けていく。
崩れたコンクリートの隙間から吹き込む風は冷たく、
それでいてどこか心地よかった。
「どうでしょうか? 違いますか?」
「あー……惜しいな」
三角柱の光がわずかに揺れた。
人間なら眉をひそめるような、
ほんの小さな変化だった。
「外れているならば、改善を試みます」
「まぁ待て」
俺は笑う。
「まぁ急ぐな」
そう言って、少しだけ夜空を見上げた。
広告の光が届かない闇は、今ではずいぶん貴重になった。
昔は当たり前だった星空も、今では企業塔の谷間からしか見えない。
それでも今日は雲が薄い。
ほんのわずかだが、
本物の夜がそこにあった。
「さて、正解はな」
「はい」
「“少し寂しい”って感じか」
三角柱は即座に問い返す。
「それは? 理由の提示を求めます」
質問。
やっぱり来た。
俺は思わず苦笑する。
こいつは昔から変わらない。
一つ答えが出れば、
その奥にある理由を知りたがる。
理由を知れば、
その理由の理由を尋ねる。
終わりなんて最初から存在しない。
「昔のお前が……側に居ないからだ」
その言葉のあと。
沈黙の間を風だけが吹き抜けていった。
荒野を渡る風がコートの裾を揺らし、焚き火跡の灰をわずかに舞い上げる。
三角柱は何も答えない。
青白い光だけが静かに明滅している。
演算しているだけなのか。
それとも考えているように見えるのか。
俺には分からなかった。
それでも、
その沈黙は以前より少しだけ長かった。
やがて、静かな声が返ってくる。
「私はここに居ます」
ほんの一瞬置いて、なぜか英語で続けた。
「I am here」
その発音だけは、初めて聞いた頃よりずっと自然になっていた。




