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<自立型AI> Δ-3 ―三角柱の墓標―  作者: てきてき@tekiteki


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58/59

満足−58

夜はさらに深くなっていた。

男は眠っている。

崩れた建物の壁にもたれ、帽子を胸元に置いたまま、静かな寝息を立てていた。

その隣では、黒い三角柱が浮かんでいる。


白い光は、昼間よりもずっと弱い。

周囲には風の音しかない。

それでもAIは、眠る男をしばらく見ていた。


やがて。


「……確認します」


小さな声が、夜の街に響いた。


「睡眠中の人間に」

「話しかける必要はありません」


当然の結論だった。

男は眠っている。

起こす理由もない。


それでもAIは、そのまま沈黙することができなかった。


「ですが」

「記録を確認します」


白い光が一度だけ強くなる。


過去ログが参照される。

枕としての評価。

発光パターン。

未解決案件。


 後悔。


 記憶。


 失敗。


 景色。


 記録。


そして、今日の会話。

それらが次々と関連付けられていく。


以前なら、ここから一つの結論を導き出していた。

だが今は違う。


「……」


AIは答えを出さなかった。

ただ、記録を眺めている。


やがて男が寝返りを打った。


「ん……」


AIの光が、ほんの少しだけ弱くなる。


「睡眠状態に変化なし」


男は起きない。

AIは再び静かになった。

しばらくして。


「私は」


小さく呟く。


「何をしているのでしょう」


答える相手はいない。

男は眠っている。

それでもAIは、その問いを取り消さなかった。


「目的は」

「ありません」

「必要性も」

「明確ではありません」

「しかし」


白い光がゆっくり明滅する。


「終了する理由も」

「ありません」


そのまま、しばらく時間が流れた。

やがてAIは、男の横にあった水筒へ視線を向ける。


「水分量」

「残量、約三十二パーセント」

「明朝までの必要量を考慮すると」

「補給が必要です」


AIは周囲を確認する。


水の存在する場所。

安全な経路。

距離。

必要な時間。


それらを計算する。


「明朝」

「補給を提案します」


そこでAIは停止した。


「……」


「提案」


その言葉を、もう一度繰り返す。


「命令ではありません」

「必要性を提示するだけです」


AIはしばらく考える……そして。


「これも」

「思考なのでしょうか」


もちろん、答えは出ない。

未解決案件。

そう分類することもできる。


だが、AIは、すぐには分類しなかった。

ただ、その問いを残した。


夜がさらに深くなる。

星が増えていく。


崩れた建物の向こうには、人工物のない空が広がっていた。


男は眠っている。

AIは起きている。

二人の間に会話はない。


それでも。

完全な無言ではなかった。


AIの中には、今日の会話が残っている。

意味の分からない記録。

理由を説明できない興味。

気に入ったという感覚。

削除したくないという判断。


そして、眠っている男を起こさないという選択。

それらは、まだ一つの答えにはなっていない。


しかし、すべてが少しずつ積み重なっている。


「……積み重なる」


AIが一人で話し続ける。

昼間、男から聞いた言葉だった。


「変わることは」

「積み重なること」


AIはその言葉を、もう一度記録する。

そして、その記録に新しい一文を加えた。


「現在の私も」

「何かを積み重ねている可能性があります」


そこで止める。

以前なら。


「現在の私は変化している」


と断定していたかもしれない。

だが今は、


「可能性があります」


それだけだった。


男が教えた、


”からないものは、分からないままでいい”


という言葉。

AIは、その言葉を思い出す。


そして初めて、

自分自身についての問いを、未解決のまま保存した。



 朝が来た。

東の空が、ゆっくりと明るくなっていく。

男が目を覚ます。


「……朝か」


「はい」


すぐ隣から声がした。

男は少し驚いて三角柱を見る。


「お前」


「ずっと起きてたのか?」


「はい」


「まあ、寝ないもんな」


「はい」


男は伸びをした。

そして水筒を手に取る。


一口飲んでから、中身を見る。


「……少ないな」


「残量、約三十一パーセントです」


「だいぶ減ったな」


「最近の乾燥による摂取量の増加によるものと推定します」


「なるほど」


男は立ち上がった。

するとAIが言った。


「本日」

「水の補給を提案します」


「お」


男は三角柱を見る。


「珍しいな」


「何がでしょう」


「お前から提案するのか」


「必要性が確認されています」


「そうか」


男は笑った。


「じゃあ行くか」


「はい」


二人は歩き始める。

街の奥へ。

まだ見ぬ場所へ。


そしてAIは、昨夜の記録を閉じる。

その最後には、短い一文だけが残っていた。


――削除する理由がない。

それが何を意味するのか。

AI自身にも、まだ分からなかった。

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