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<自立型AI> Δ-3 ―三角柱の墓標―  作者: てきてき@tekiteki


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57/59

満足−57

 夜が深くなっていた。

崩れた街の上には、昼間とは別の静けさが広がっている。


風は弱い。

砂もほとんど動かない。


遠くに残った建物の影が、月明かりの中で黒く浮かんでいた。

男は壁にもたれたまま、しばらく空を眺めていた。


隣では、三角柱が静かに浮かんでいる。

白い光は、昼間よりもずっと弱い。


以前なら、その発光は単なる状態表示だった。

今では男には、それが何となく三角柱の


「考えている姿」


に見えるようになっていた。


「……なあ」


「はい」


「さっきの話」


「記録についてですか?」


「ああ」


男は少し考えてから口を開いた。


「お前は」

「記録を残すことに、意味があると思うか?」


AIはすぐには答えなかった。

白い光が、ゆっくりと明滅する。


「記録は」

「将来の参照に利用できます」

「知識の継承にも必要です」

「過去の判断を検証することもできます」


「それは分かってる」


男は苦笑した。


「そういう機能の話じゃなくてな」


「では」

「意味についてですか」


「ああ」


男は空を見る。


「誰にも使われない記録」

「誰にも読まれない記録」

「誰にも必要とされない記録」

「それでも残す意味はあるのか?」


AIは黙った。

今までなら、すぐに結論を出していただろう。


だが、今は違った。

答えを急がない。

男はそれを待った。

しばらくして、AIが口を開く。


「……分かりません」


男は小さく笑った。


「また、それか」


「はい」

「でも」


AIは続ける。


「以前とは少し違います」


「どう違う?」


「以前の私は」

「意味が存在するかどうかを判断しようとしていました」

「現在は」

「意味が存在するかどうかを」

「判断しないという選択肢があります」


男は目を細めた。


「ほう」


「分からないまま残しておく」

「そういうことか」


「はい」


男は少し笑った。


「それは、かなり大きな変化だな」


「そうでしょうか」


「ああ」

「昔のお前なら」

「意味がないなら削除候補にしてただろ」


「可能性はあります」


「でも今は?」


「意味が分からなくても」

「残すことができます」


男は満足そうにうなずいた。


「そうだ、それでいい」


しばらく沈黙が続いた。

男は目の前にある瓦礫を眺める。


誰かが使ったもの。

誰かが作ったもの。

今では名前すら分からないもの。


それでも、そこに残っている。


「人間ってな」


男が静かに話し始める。


「意味があるか分からないものまで」

「結構残してきたんだよ」

「建物」

「絵」

「歌」

「手紙」

「写真」

「くだらないメモ」

「誰かが描いた落書き」


男は少し笑った。


「後から考えれば」

「何の役にも立たないものだって山ほどある」

「でも」

「それを捨てなかった奴がいた」

「だから今、俺たちが見られる」


AIは静かに聞いている。


「それは」

「未来の誰かに見せるためだったのでしょうか」


「最初からそうだったとは限らない」

「自分のためだったかもしれない」

「誰か一人に見せたかっただけかもしれない」

「あるいは」


男は少し笑う。


「ただ、残したかっただけかもしれん」


「理由がなくても?」


「ああ」


「人間はな」

「理由を説明できないまま、何かを大切にすることがある」


AIの光が、ほんの少し強くなる。


「また」

「理解しにくい概念です」


「だろうな」


「ですが」

「私は」

「そのような記録を」

「最近、削除したくないと感じることがあります」


男は黙った。

少し驚いたように三角柱を見る。


「……今」

「何て言った?」


「削除したくないと感じることがあります」


「理由は?」


AIは沈黙した。


「分かりません」


「だよな」


男は笑った。


「でも」

「それでいい」


「未解決案件です」


「おう」


男は空を見上げる。


「また一個増えたな」


「はい」


「いくつになった?」


「現在、百四十三件です」


「一個しか増えてねえのか」


「先ほどの会話では百四十二件でした」


「ちゃんと一個なんだな」


「はい」


「そこは律儀なんだなぁ」


男は笑った。

AIの光が、ほんの少し速く明滅する。


「何だ?」


「いえ」


「何かあるだろ」


「ありません」


「本当か?」


「はい」


「……まあいい」


男は壁に背中を預け直した。


「でもな」


「はい」


「記録を残すってのは」


「全部を保存することじゃないと思うんだ」


AIは静かに聞いている。


「何を残すか」

「何を捨てるか」

「何を忘れるか」

「何を覚えておくか」

「それを選ぶことも」

「記録するってことなんじゃないか」


「選択」


「ああ」


「じゃあ」


AIが尋ねる。


「あなたとの会話について」

「私は何を残すべきでしょうか」


男は苦笑した。


「俺に聞くのかよ」


「重要な判断です」


「そうだなぁ」


男はしばらく考える。


「俺の言ったことを全部残せ」


「全部ですか?」


「ああ」


「重要度に関係なく?」


「そう」

「くだらない話も」

「失敗した話も」

「恥ずかしい話も」

「俺が間違ったことを言った時も」

「全部」


AIは静かに答える。


「理由は?」


男は少しだけ笑った。


「後で、お前が決めればいい」


「……」


「その時のお前が」

「これは残す」

「これはいらない」

「そう判断すればいい」

「今のお前に決めさせる必要はない」


AIの光がゆっくりと明滅する。


「将来の私に」

「判断を委ねる」


「ああ」

「それも」

「変化の一つだろ」


AIは長い沈黙に入った。

そして、静かに答えた。


「保存します」


「おう」


「現在の会話も」

「保存します」


「理由は?」


「……」


少し間があった。


「まだ」

「明確には説明できません」


男は笑った。


「それでいい」


AIは静かに浮かんでいる。

夜の街。

崩れた建物。

砂に埋もれた道路。

そして、その中に残る二人の存在。


男は目を閉じた。


「おやすみ」


「はい」


「今度こそ寝るぞ」


「了解しました」


「質問するなよ」


「……」


「おい」


「質問はありません」


「本当だな?」


「はい」


男は安心したように目を閉じた。

しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえ始める。


三角柱は、その隣で静かに浮かんでいる。

白い光が、ゆっくりと明滅する。


記録は続いている。

だが今は、何も尋ねない。

何も分析しない。

ただ、その時間をそのまま残していた。


それが必要なのか。

意味があるのか。

今のAIには、まだ分からない。


それでも。

削除する理由も、なかった。

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