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<自立型AI> Δ-3 ―三角柱の墓標―  作者: てきてき@tekiteki


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52/60

満足−52

 夕方には、まだ少し早かった。

それでも、太陽は少しずつ高度を下げ始めていた。


昼間の強烈な光は柔らかくなり、荒野を覆っていた熱気も、

ほんの少しずつ薄れている。


男は歩きながら、時折遠くへ視線を向けていた。


崩れた建物。

砂に埋もれた道路。

風に削られたコンクリート。


どれも、かつて誰かが何かを作ろうとしていた痕跡だった。

その隣を、黒い三角柱が静かに浮かんでいる。


男はしばらく、その姿を眺めていた。


「満足を覚えない方がいいかもしれないな」


AIの白い光が、ゆっくりと明滅する。


「何故ですか?」


「満足っていうのは」


男は少し考えてから続けた。


「推進力を鈍らせる」


「推進力」


「ああ」


男は前を向く。


「今まで人間は」

「まだ足りない」

「もっと先へ行ける」

「もっと良くできる」

「そう思って進んできた」


「そうやって」

「いろんなものを作ってきた」


AIは静かに聞いている。


「今まさに人類が」

「その域に達し始めている気がする」


「興味深い発言です」


「いや……」


男は少し眉を寄せた。


「違うか」

「別の方向へ向かっているだけかもしれん」


「修正しますか?」


男は苦笑する。


「そこは本当に、お前らしいな」


「正確性を優先します」


「ああ」


男はうなずいた。


「じゃあ修正だ」

「人間は立ち止まった訳じゃない」

「むしろ走り続けてる」


男は遠くを見る。


崩れた街が、夕方の光の中で少しずつ輪郭を変えていた。


「ただな」


男は歩調を緩める。


「走り抜ける一瞬の快楽に集中しすぎて」

「遠くから景色を眺める素晴らしさを」

「忘れているんじゃないかと思う時がある」


「景色」


AIが、その言葉を繰り返した。


「ああ」


男は周囲を見渡す。


「目的地じゃない」


「速さでもない」


「その」


少しだけ言葉を探す。


「途中でしか見えないものっていうのがあるんだよ」


AIはすぐには答えなかった。

その言葉を処理しているようだった。


「ですが」

「人類は目的地を求めて発展してきた」

「私は、そう記録しています」


「そうだな」


男は素直に認めた。


「それは間違いないんだ」


「人間は、何かを手に入れるために進んできた」


「もっと遠くへ行くために」

「もっと速く移動するために」

「もっと便利に暮らすために」

「そういう努力を積み重ねてきた」


「ならば速度は重要です」


「そうだ、重要だ」


男はうなずく。


「でもな」

「速度だけじゃ駄目なんだ」


男は足元へ視線を落とした。


「景色を見ない旅人は」

「目的地に着いても」

「何処を通って来たのか分からない」


AIの白い光が、わずかに揺れた。


「現在の私には……」

「それは、理解が難しい考え方です」


「まぁ、そうだろうな」


男は笑った。


AIにとっては、目的地へ到達することが明確な成果になる。


最短経路を計算し、必要な処理を行い、結果を得る。

途中に何があったかは、目的達成に必要な情報として記録される。


それ以上の意味を持たせる必要はない。


「目的地に到達できたなら」


AIが続ける。


「それですべて、成功ではないのですか」


男は思わず笑った。


「ああ」

「それが一番お前らしい答えだな」


AIは少しだけ発光を変化させる。


「正しいですか?」


「間違いとは言えん」


「では」


「でも人間はな」


男は少し遠くを見る。


「途中で出会った奴を覚えていたり」


「くだらない会話を覚えていたり」


「見上げた空の色を覚えていたりする」


「何気なく立ち止まった場所まで覚えてることがある」


男は小さく笑った。


「そっちの方が心の中には」


「目的地についたことより、長く残ることもある」


AIは静かに点滅した。


「それは非効率です」


「そうだ」


男も笑う。


「非効率だ」


「だから価値があるのかもしれん」


「非効率であることに」


「価値があるのですか?」


「場合によってはな」


男は肩をすくめる。


「人間は全部を効率で決めてるわけじゃない」


しばらく歩いてから、男は振り返った。

砂の上には、二人が歩いてきた跡が残っている。


男の足跡。

そして、その隣を進んできた三角柱。

三角柱そのものには足跡は残らない。

それでも、男にはその姿が自分の歩いてきた道の一部に見えた。


「なんだかんだ言ってな」

「自分の足跡ってのは」

「やっぱり気になるもんだ」


「足跡ですか」


「ああ」


男は砂の上に残った自分の足跡を眺める。


「俺は、どこを通って来たんだろう」


「今どこに居るんだろう」


「そういうものだな」


AIは静かに記録する。


「現在位置なら」


「すぐに測定できます」


「北緯――」


「そういう話じゃねえよ」


男が被せる。

三角柱の光が一瞬だけ強くなった。


「そうだと思いました」


「分かってたなら言うなよ」


「確認のためです」


「確認しなくていい」


男は呆れたように笑う。

だが、どこか楽しそうでもあった。


「だから……」


少し歩いてから、男は再び口を開いた。


「時々振り返るんだ」


「自分の位置を確認しながら歩く」


「できるだけ、慎重にな」


 AIは静かに男を見る。


「なるほど」


短い返事だった。

男はそのまま歩き続ける。

目的地は、もう遠くない。

それでも、男は急がなかった。


目の前にある街だけを見て歩くのではなく。

足元の砂を見る。

崩れた建物を見る。

夕方の空を見る。


そして、ときどき後ろを振り返る。

自分がどこから来たのかを確認する。


男はふと、隣の三角柱を見る。


「お前も」

「時々、振り返るのか?」


「私は」

「現在、後方を確認しています」


「お?」


男が振り向く。


「本当に?」


「はい」


「何が見える?」


「あなたの足跡があります」


「それだけか?」


「それと」

「私が通過したことによる砂の状態変化があります」


男は苦笑する。


「お前らしいな」


「何がでしょうか」


「いや」


男は前を向く。


「なんでもない」


風が吹いた。

足跡の一部が崩れる。

それでも、まだ残っている。


男はその跡を見ながら思った。

全部を覚えている必要はない。

全部を残す必要もない。

それでも、ときどき振り返ってみる。


自分がどこから来たのか。

何を見てきたのか。

誰と歩いてきたのか。


そういうものを確かめながら、また前へ進む。


「……まあ」


男は小さく呟いた。


「急がなくてもいいか」


AIが反応する。


「目的地への到達時刻を変更しますか?」


「そういう意味じゃねえよ」


男はまた笑った。

AIは少しだけ間を置く。


「そうだと思いました」


「なら言うなって」


「学習しています」


「そうかい」


男は笑いながら、再び歩き始める。


目的地へ向かいながら。

その途中にしかない景色を眺めながら。

そして時々、振り返りながら。


二人はゆっくりと、崩れた街へ近づいていった。

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