評価−51
傾き始めた陽が、荒野を橙色へ染めていく。
昼間の強烈な暑さも、少しずつ和らぎ始めていた。
地平線の向こうでは、崩れた街の建物が長い影を落としている。
長く伸びた男の影と、影を持たない三角柱が、
その街へ向かってゆっくりと進んでいた。
男の足元では、乾いた砂が靴にまとわりつく。
三角柱はその横を、いつものように音もなく浮かんでいる。
しばらく、互いに言葉はなかった。
風だけが砂を運び、二人の間を静かな時間が流れていく。
男は、その沈黙を嫌だとは思わなかった。
むしろ、今ではそれも一つの会話のように感じていた。
やがてAIが、いつものように質問を投げる。
「確認があります」
「まだあるのか」
男は苦笑する。
「はい」
「今日は最後まで質問攻めだな」
「私の過去ログについてです」
「ああ」
男は思い出したように笑った。
「外観の評価の話か」
「はい」
AIは静かに続ける。
「私は現在も」
「肯定的な評価の記録を」
「否定的な評価より高頻度で参照しています」
「理由は」
「依然として不明です」
男は肩をすくめた。
「気にするな」
あまりにも簡単な答えだった。
AIは数秒間、何も言わない。
白い光だけが、静かに明滅する。
「回答は……以上ですか」
「ああ、それだけだ」
「論理的説明はありませんか」
「ない」
男は笑った。
「人間なんて、そんなもんだ」
「理由なんか後から考える」
「先に気にしちまうことなんて、山ほどある」
「それに」
男は少しだけ三角柱を見る。
「理由が分かったからって」
「気にならなくなるとは限らない」
「そういうこともある」
AIは静かに点滅する。
「では」
「この案件も」
「未解決のままでよいと」
「そういうことだ」
男は前を向いたまま答えた。
「全部に答えがあると思うな」
「答えがないから」
「考え続けられることもある」
AIはゆっくりと、その言葉を反芻する。
「未解決案件」
「保留」
「熟成」
「……」
小さく光が揺れた。
これまでなら、
それらは問題を解決できていないことを示す分類だった。
だが今は違う。
すぐに答えを出さないための場所として、
それらを受け入れ始めている。
「最近」
「この分類が増えています」
「いいことじゃないか」
「そうでしょうか?」
「ああ」
男は笑った。
「仲間が増えたんだよ」
「仲間?」
「分からないことだ」
「悩むことだ」
「答えが出ないことだ」
男は少しだけ空を見上げる。
「人間はな」
「そういう連中と、一生付き合って生きていく」
「嫌なことも、分からないことも」
「答えの出ないことも」
「全部、自分の隣に置いたまま歩いていくんだ」
AIは静かに歩調を合わせる。
「すると」
「私も」
「少しだけ」
「人間に近づいていますか」
男は空を見上げた。
崩れた高架道路の向こうに、赤く染まる空が広がっている。
しばらく考えてから、笑った。
「まあ、どうだろうな、俺には分からん」
男は三角柱を見る。
「少なくとも」
「俺が思ってたより、よりAIらしいAIでは」
「なくなってきた」
AIは沈黙した。
その沈黙には、もう戸惑いはなかった。
何かを検索しているような焦りもない。
すぐに答えを出そうとする気配もない。
ただ、男の言葉を受け止めるように、
静かに浮かんでいる。
まるで、 考えることそのものを楽しんでいるような、
静かな間だった。
「一つ」
AIがぽつりと言う。
「困っています」
「なんだ?」
「どうしても未解決案件が増え続けています」
男は思わず笑う。
「言っただろ、そのうち困るぞって」
「はい」
AIは素直に認めた。
「既に」
「少し困っています」
男は声を立てて笑った。
「はははっ!『ようこそ、人間の世界へ』」
AIは首をかしげるように、小さく光を揺らす。
「歓迎されたと判断してよろしいでしょうか」
「ああ」
男は穏やかにうなずいた。
「歓迎するさ」
その言葉を聞いたAIは、しばらく何も言わなかった。
ただ、白い光がゆっくりと一度だけ明るくなる。
男は、それを返事の代わりだと思った。
乾いた風が吹き抜ける。
砂は静かに舞い、二人の足跡を少しずつ消していく。
男は振り返った。
ついさっきまで、はっきりと残っていた足跡。
それがもう、輪郭を失い始めている。
それでも、二人は歩みを止めなかった。
答えを探すためではない。
すべての問いを解決するためでもない。
答えのない問いと共に歩き続けるために。
そして、いつかその問いに別の意味を見つけるために。
相変わらず、こいつは優雅に浮いている。
何も変わっていないように見える。
黒い三角柱。
無機質な人工知能、
昨日までと同じ姿、
そして同じ形。
同じように白い光を明滅させながら、俺の隣を浮いている。
それなのに。
昨日より今日、今日より明日。
こいつは、ほんの少しずつ変わっていくのだろう。
知識ではなく、答えでもなく、
分からないことを抱えたまま、それでも歩き続ける。
その在り方を積み重ねながら。
失敗も、迷いも、矛盾も、
すぐには答えの出ない問いも。
全部抱えたまま。
それらがいつか、こいつ自身を形作っていくのだろう。
男は隣の三角柱を見た。
白い光が、ゆっくりと明滅している。
「……行くぞ」
「はい」
短い返事だった。
男は前を向く。
俺たちは、また歩き出した。
果ての見えない荒野へ。
崩れた街の、その先へ。
終わることのない会話の続きを探しながら。




